第21話:「アスフォデルスの取り扱い説明書21・それでもやっぱり幸運に恵まれる」


 所変わり、暗殺者達を足止めするバルレーン達。死屍累々と言った状況で、ユーリーフの杯の騎士が荒れ狂う。幾ら手練れの暗殺者と言えども、仕掛け機構のゴーレムを相手は分が悪かった。


「《機構の三つ、麒輪脚》」


 ゴーレムを使った戦闘で恐ろしいのは、魔法でゴーレムを補助出来るという点だ。


「《天地は鳴動し、壁は道となれ》」


 ユーリーフは呪文を唱えると、そのまま足裏の車輪で疾駆する鉄の騎士を壁に走らせる。ウォール・ウォークという本来なら崖や壁への登攀に使う呪文だ。杯の騎士が丁度天井近くまで上がると、彼女は右手の因果糸を下げた。

 すると杯の騎士の鎖で編んだマントが孔雀の尾の様に広がり、両肩から格納された小型のオベリスク柱が広がる。


「《理を以って手に灯す、雷よ奔れ》」


 瞬間、周囲を稲光が撫でた。本来なら一方向しかいかない雷の呪文であるが、ゴーレムを介せばこういう使い方も出来る。賢者の石を手に入れた事により戦略の幅が大きく広がったユーリーフの前に、暗殺者達は為す術もなく打ち倒される事となる。


「やったかのう」


 深い土煙が立ち込める中、そこでチェス盤の上に新たな像が一つ。


「――ユーリーフ、前」

「《機構の一つ、撃炮なる右》!」


 ……濛々と立ち込める煙の中、彼女が一度ゴーレムを繰り機構を放つ。しかし、それが直撃する事は無かった。手を伝う感触は弾かれた事を告げている。

 そこで土煙が一閃された。そこに現れたのは機帥の迷宮で出会った右目の潰れた男、レナードである。彼は血振るいの様に剣を振るうと焔を散らし鞘に納め。


「いやぁ、お久しぶりですねお嬢様方……こんなとこでまたお会いするなんざ奇遇だ」


 笑いながら男はそう言う。それに対しバルレーンは一歩を進めると、ユーリーフの前に庇う様に立ちはだかった。……二人の感覚が告げている、この男はけして並みの存在ではない。


「ガノンダールの爺様も、安物買いの銭失いのようで……」

「バルレーン、この方はもしやして……」


 そう言うと、赤髪の女盗賊は手で制し、対敵に誰何する。


「粗方片付いたけど、まだ何か用かい?」

「死合っていただきますぜ、バルレーン・キュバラム」


 男の瞳は常にバルレーンが映っていた。その色を少し眺めた後、バルレーンは右手を口元に当てる。


「君、あの時相変わらずと言ったが、どこかで出会った事ある? もしかして?」

「憶えちゃいないか。まぁ、そうでしょうね……」


 そういうと、レナードはその潰された右目を一度擦る。


「アンタにとっちゃ、大勢いる奴の一人さ。あっしだって今まで斬った奴の事なんざ一々憶えちゃいねぇ」


 彼が一言話す度、周囲の空気は冷たく凍っていく。ユーリーフはその底冷えする物に呑まれていった。対し、バルレーンは――


「あぁ、でもアンタだ。間違いない。あの冴月の夜で、あっしの目を潰したのは。……しょんべんを漏らしたあっしを見て可愛らしいの一言言っただけで、アンタは暗命剣を振るわなかったんだ……」


 そこで彼は懐から林檎を取り出す。赤く熟れたそれは、まるで赤い目玉の様だった。


「丁度、これぐらい赤く熟れた奴だ。赤い月、赤い裸身、アンタに取られた目玉も赤く……代わりにくれた林檎もまた」


 そんな老翁に対しバルレーンはまるで長く別れていた友人の様に問いかける。


「あぁ、そうか……君は」

「……えぇ、そうです」

「バルレーン、どうしたのじゃ……?」


 ユーリーフがその緑色の瞳を不安げに向けると、赤髪の女盗賊はにこりと笑って。


「悪いね、ユーリーフ。どうやら彼はボク自身が相手をしなくちゃいけないみたい」

「大丈夫なのか、その……」

「無事ではいられないかもな……」


 そこでバルレーンは革袋に口を付けると、薬を一口――どころか三分の一まで胃に流し込む。髪は炎の様に、瞳は灼ける様に闇の中で赤々と揺らぐ。


「ユーリーフ、もし戻って来れたら回復を準備しといて」


 彼女は右手にいつの間にか握られた針をレナードに向けると、老翁は腰を落として右手を剣の柄に滑らせる。刻一刻と空気は比重を増していく。

 その中で変わらずバルレーンは陽気な口調で話しかけた。


「ここに来たのは恨みかい?」

「いえ」

「なら憎しみかい?」

「いえいえ」


 剣の老翁、金級冒険者でも名高い『死なずのレナード』は首を横に振り続ける。冒険者の中でも生きる伝説とまで呼ばれた剣士は、けして怒っていなかった。悲しんでもいなかった。


「言葉になんざ、出来やしやせんよ」


 バルレーンは――


「なぁ、一つ質問だが。どうしてそのバルレーンがボクだと思うんだい?」

「異な事を。本人じゃなかったら、どうしてアンタは笑ってるんですかい?」


 ――バルレーンは笑っていた。手の奥で楽しそうに、つられてレナードも笑う。

 一刹那。ただの一瞬、それだけで十分だった。

 ユーリーフの膝の上にあるチェス盤の上、二つの人形が動きを描画出来ずに一瞬にして霧散。遅れて再構築された像は、互い違いの構図となっていた。


「がっかりしたろ、雪辱の相手が弱くなってて」


 バルレーンの口から血が漏れる。


「何もかも、昔のままですぜ。狂おしいまでに」


 レナードがいつの間にか抜き放っていた刃を鞘に納める。


「今度は覚えたよ、レナード」


 彼女が右手を上げると、手の甲から一筋血が垂れた。

 ぐらり、とレナードの身体が揺れる。そうして一度膝を着くと、彼はその場に倒れ込む。


「これがバルレーン・キュバラムが秘奥、暗命剣だ」


 バルレーンの体中から、血が爆ぜる。

 大陸に伝わる風聞の中で、バルレーン・キュバラムという名は様々な側面を持つ。かつて大陸が動乱の時代を迎え、現在全土を統べる王国が興った時、既に彼ないし彼女は伝説の暗殺者としてその存在をまことしやかに伝えられていた。


 ――曰く、暗命剣なる秘奥を振るう悪鬼。


「バルレーン!」


 叫び声を上げて、ユーリーフが車椅子を走らせて駆け寄る。

 賢者の石の水薬の効果を超える程の出血。これを以てしても、ユーリーフの回復を施したとしても、今これ以上バルレーンが戦うのは不可能だろう。

 ただの勝利では済まなかった。


「…………あの夜には間に合ったかい、レナード?」


 あの日、あの時と同じ血の匂いが香る。

 彼女しか振るえない絶技にて葬ったレナードを見るその瞳は、まるで冴えた月の様だった。


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