第20話:「アスフォデルスの取り扱い説明書20・同じ血を持つ」


 思えばいつもこうだ。守りたいものと、保身があってどっちも選べなくて最悪の結果になる。……あの時、一歩を行かせなかったら。無理矢理にでも止めていたら、そもそも作業場の時にこれを破壊していたら。

 死脳喰らいの時も、明け方の喧嘩別れの時も、倉庫の時も、ついさっき起きた時も、そして今この時も。


 ――嫌われたくない、その考えがずっと足を引っ張ってきたじゃないか。


 そうだ、バルレーンもあの時こう言った。

『感傷と決別しろ、獣性すら解き放て。……彼女を守りたいのなら』

 なのに己(おれ)は、結局同じ事を繰り返してた……。



 ……神様、お願いします。誰でも良いです。もう一度機会を下さい。

 今度こそ、己は命を賭けます。あの人の為なら何でもします。嫌われたっていい。だからお願いします、どうかこの扉を開けて下さい。


 己は岩の扉の前でそう願う。

 その時に咄嗟にポッケへしまったある物の事を思い出した。

 それは、金属のねじ回しの先に奇妙な部品の取りつけられた物だった。ボタンを押すと筒先が三叉に別れ、先端から赤と緑の斑――血髄玉が出て来る。確か、これは――


『名付けて……超音波ねじ回しとでも呼ぼうか』


 超音波ねじ回し。ユーリーフが作った発明品の一つだ。迷宮の時と違って羽ペンよりも小さく、手の中に収まる程縮んでいた。どうやらユーリーフの事は嫌いでも、ユーリーフの発明品には思う所があったみたい。


「うー……」


 どう使うかは遠目でしか見てないけど、とりあえず扉に向けて一番大きいボタンを押してみる。

 甲高い音を立て高音が鉄の扉を叩く、しばらくすると重たい音を響かせ始めた。一瞬やったと思って心がざわついた。しかし、直ぐに超音波ねじ回しが止まる。

 魔力が足りないらしい。

 どうしよう、でも己にはもうこれしか術はない。


『魔力電池はアスフォデルス殿の魔法銃から失敬する!』


 そうだ、魔力電池だ。これが機械だったら魔力電池で動いてる筈。……超音波ねじ回しを改めて見回すと、そのお尻の部分がねじ式になってて、蓋を外すと中には魔力電池が入っていた。

 後は……そこで、右手を見る。


 何でもする……とさっき願った。なら、この代償なんて些細な物だ。

 己は右の手甲を外すと、剥き出した親指を出す。そして手にした刃でその腹を切った。……百合が香る血を、その魔力電池の中に絞り込んで入れる。


 瞬間、超音波ねじ回しは息を吹き返した。血を絞れば絞る程、ねじ回しは呼応してコイルの回転数を上げていく。

 かちゃん、という音がした時。神様がくれた最後のチャンスだと思った。

 ――何を守りたいのなら、無傷でいられないらしい。己は常に代償を支払わなくてはならない。


「……うー」


 一度、左手を見つめる。端から見れば何も載っていないが、己にとっては載っていた。

 獣性。あるいは宿命、この血に流れる確かな因果。

 手放す事が出来ないなら、握りしめるしかない……。

 ――決意を、血断を握る。

 なら、今度こそ何も躊躇わない。そう覚悟を決めて、己は中に入る。


「……」


 鉄球を仕舞い中に入ると、更に濃い闇の中。古代の霊廟の様な空間が広がっている。よく目を凝らすとそこには更に階段があった。

 その闇の中を己は降りていく。一度魔力を通すとローブに施された刺繍がぼんやりと光ってその蔓草模様を青みがかって光らせ、地下を仄かに照らした。


 北のエルフの秘伝、ミスリルの隠し刺繍だ。己は魔力があまり多くはないから多用は出来ないけど、ランタンと違ってこれは武器が両手で持てるから便利。

 瞬間、左右から敵意が香る。同時に右回りに一回転しその刃で斬り伏せる。

 ぼとり、という水っぽい音と共に落下したのは生々しい白の不定形の怪物だった。一方は上半身の人型を形成しており、それはまるで魔族の分体を死脳喰らいに近づけた様な物だ。もう一方は丸い体に無数の腕が生えており、尻にあたる部分には薄い半透明の殻――卵胞の跡が付いている。


 ――あぁ、これは。


 次々と襲ってくるそれを、己は握る刃で斬り払い続けた。口の中に苦いものが広がるのを噛み殺して。不意に耳がその啜り泣きを拾う。何かいる。


「ファングインさん……?」


 少し進むと、そこには金髪の髪に淡褐色の瞳。黒い三角帽と青いコートこそ泥で汚れているものの、アスフォデルスがいた。鼻腔が僅かにひくつく、香りはそのものだ。筋肉の密度と内蔵の位置、胸の鼓動、汗から伝わる怯えと恐れと希望の感情も。


「助けに来てくれるって信じてました! ファングインさん、ファングインさん!」


 手や足には何も嵌っておらず、己を見るとアスフォデルスは一挙に駆け寄る。

 僅か一メートル程の距離を開けたそこで、彼女は膝から崩れ落ちた。


「師匠は……もういませんでした。ガノンダールが、私を魔族に食わせる為に仕掛けた罠だったんです……」


 あぁ。


「私は間一髪逃げて……でも、もう魔力電池が切れて動けなく……」


 あぁ。


「もう、私には貴方しかいません」


 ……あぁ。

 その涙で潤んだ目が、その吐息が、その白い喉が。その傷一つない白い首が――


「愛してます、ファングインさん。本当に、心から」


 それが本当だったら、どれ程よかったろうか。

 そしてそんなアスフォデルスに対し己は――右手に握った剣を走らせた。左下から右上にかけて両断した時、アスフォデルスの心臓の音は既に止まっていた。


 荒れそうになる息を何とか律し、痛む心を押し殺す。血なんて残さないが刃を左の袖で拭うと鞘へ収める。……刃を収めたのと二つに分かたれた身体が落ちるのは丁度同じだった。


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