第19話:「アスフォデルスの取り扱い説明書19・それは恨みよりなお深く」
とぷん、という音が聞こえた気がした。影から影へ、アスフォデルスは激流の中にある木の葉の如く突如起こった事に為す術なく翻弄される。そして、巡り巡ったその先は薄暗い石造りの地下室であった。部屋の広さは闇の濃さで測る事は出来ない。
悪臭に数度咽ると、慣れ始めた闇に目を凝らしながら彼女はぽつりと呟く。青の瞳は、自然と緑色の液体の入った大きなフラスコに向く。
「酷い匂いですね……それに、あれは?」
「――お前の為に特別に用意した部屋だ、■■■■■。いや、今はアスフォデルスと言った方がよいかな」
張り詰めた神経と本能が十字魔法銃を向ける。が、それは直後放たれた電流に落とされた。
忌まわしい名を呼ぶ声が一つ。直後、古代語が響きぼんやりとした光が灯ると。その先には白髪に白髭の老翁――ガノンダールがそこにいる。
「あ、貴方は!」
「いかんな、周囲に気を付けなくては。お前を探す者からすれば、隙だらけだったぞ。酒場での賭けチェス荒し……然るべき伝手を使えば探れるのだよ」
まるで教え子を導く教師の様に、ガノンダールは滔々と語る。
「いやはや、運が良いなアスフォデルス。あれ程の爆発を生き残り、更には迷宮まで踏破するとは……」
その言葉にアスフォデルスは青い瞳を大きく見開く。
「不死鳥の召喚の味は格別だったろう?」
顔を蒼白にするアスフォデルスに対し、無表情にそう言う。それに対しアスフォデルスは恐る恐る、喉を震わせながら問うた。
「復讐、ですか……あの時の?」
「それもある。だが、それが目的ではない……そなたにはその姿に戻ってもらう必要があってな。ファルトールの姿となって失われた皇帝の玉体に」
「じゃ、じゃあ何の為に……」
「――この身は二百五十の齢を経て、限界が来ておる」
ぽつり、と呟く様に言うと。ガノンダールは自らの老いた姿をアスフォデルスの目に焼き付ける様に見せつける。
「見よ、この姿を。そなたはファルトールの姿を模り若く美しいままで二百年を歩き、儂は醜く老いさらばえて二百年を歩いた……。肉体だけではない、目も心も衰えてきている。この身は遠からぬ内に滅びるであろう」
ガノンダールは淡々と自らの過ちを口にする。ただこれは過ちを認めているのではない、先に言葉にし自己防衛する為に口に出したのだというのがアスフォデルスには解った。
「だが死ぬのは恐ろしくない……恐ろしいのは、二度と会えぬ事だ」
老翁は、フラスコに寄ると一度それを撫でる。ぼんやりと、その中に納められた物が見えて来た――それは一人の青年の身体だ。
「フロウィス、もう少しの辛抱だ」
フロウィスという名は知っている。それは、魔術の実験中に亡くなったガノンダールの息子の名。
「フロウィスは儂の全てだった。死したのなら、その理を覆すまでよ――だから、この技術を復古したのだ」
そこで彼は右手に持った杖の石突でその場をとんと叩く。すると、アスフォデルスの足から黒い触手が蛇の様に現れ両腕を締める。彼女は見た事がある。そう、この独特の感触。あの時箱庭村の工房で出会ったのと全く同じ物だ。
生理的な嫌悪からアスフォデルスはその場から逃れようとするも、装備は一切使えない。
「名を影喰い沼。この魔族を呼び操る術。これこそ理性を以って、混沌を制御する今は失われし時代の魔術の再現である」
どの様な技術を用いてるのか分からないが、今は完全にガノンダールの制御下にあるらしい。
「そして、この齢まで生き永らえる事が出来た理由そのものだ。……倅を生き返らせる研究の副産物よ」
「何をするつもりですか……」
「……故に、儂は計画したのだ。本来であるなら、あの夜に全て手に入る筈であったのだが、ままならぬ物よ」
「な、何をするつもりですか!?」
錫杖を一度叩くと、アスフォデルスからひきつった声が漏れた。
「――そなたは供物だ」
怯えながら尋ねるアスフォデルスに対し、ガノンダールは淡々と事実を告げる。老翁は右手の人差し指でアスフォデルスの頭を、次に胸に収まった赤い賢者の石を指さす。
「倅に必要なのはまず魔力だ。賢者の石が生み出す膨大な量の――そしてミス一つ許されない演算も」
そしてガノンダールは再度杖の石突を叩くと、先端が針の様に尖った触手が彼女の右腕に突き刺さった。痛みと……致命的な侵入を許してはならない何かが流れ込んだ感覚が走る。
咄嗟に彼女はその触手を掴んで引き抜こうとすると……鋭い痛みが走った。
「う、嘘……神経が……繋がってるの?」
「この影喰い沼は対象の生命と同化する機能を持たせた……そして影喰い沼が命を喰らえば、その知識や魔力が儂に流れ、あのフラスコに流れ込む」
そこでガノンダールはアスフォデルスの胸元、……罅割れた賢者の石が収まってる箇所に目を向ける。
「更に物質化した霊肉という特性を利用し、修復性質も持たせている。肉体の傷は勿論、本来哲学者の卵でしか修復できない賢者の石ですらもな……もっともこやつの寿命が大幅に削られたが、得られる物からすれば蚊の涙よ」
影喰い沼が一度苦悶の声を上げた。
ぞくり、と背筋に戦慄が走ったのは魔を恐れる人の本能である。一瞬の内にアスフォデルスは今言われた事を韜晦する。自分が、同化する? この化物と? ……そして、その意味を正しく理解できた後、漏れ出たのはあまりにもか細い声だった。
「や、やだ……」
青い瞳に涙が浮かぶ。じわりと顔の右半分には深い火傷が浮かび上がり始めた。
「た、助けて下さい……何でもします」
「ならぬ……」
「わ、私を生かしといた方が得です! そう得! 貴方の息子を生き返らせる為、必ず結果を出します!」
「ならぬのだ……」
自分が自分でなくなる恐怖から、小便がズボンを濡らした。
尊厳とか、誇りとか、そう言った物をかなぐり捨て媚びへつらった笑みを浮かべる。
死にたくなかった。自分は生きなくてはならないのだ、何としても。その為ならなんでもする。
「なんでもします、必要なら貴方の元に戻ります。ホムンクルスだって何体も産みます……死ぬのだけは嫌なんです、死ぬのは絶対嫌……」
「これは私怨ではない、正義でもない――この子の為だ。あらゆる魔術に親和性を持つ皇帝の肉体が必要なのだ、そなたをくべねばフロウィスは生き返らぬ」
「……た、助けて師匠……」
その時彼女が呼んだのはバルレーンでもユーリーフでもなく、ましてやファングインでもなく、師匠であるファルトールであった。その名を呼んだ時、飛竜の時と同じ様に彼女の身体からあらゆる力が抜ける。しかし、喩えどんな事だろうと過ちは修正しなくてはならない――それがガノンダールの師としての信条である。
そうして彼は石突を再度突く。……影から生えた触手は、彼の前にそっと十字魔法銃を届けた。
ガノンダールはその隕鉄で出来た肌を、そっと一撫でする。
「お前はファルトールに盲従し、遂にはその姿すら模った。……だけど知っておるのか、お前はファルトールにとって何の価値もない存在だと」
「……何ですって?」
「ファルトールがお前を救った理由、それは一重にお前の身体が欲しかったからだ。皇帝の玉体に、黄金の血……新しい魔術を生む実験生物としては申し分ない」
「嘘だ! 出鱈目を!」
「ならば、何故そなたの前から姿を消した? 愛されているなら、どんな姿でも受け入れる筈だろうて」
それを言われると、アスフォデルスが一瞬止まる。実験動物のくだりは嘘である。しかし、それは今から言う言葉の前哨戦にしか過ぎない。
「何より、ファルトールは来んよ。奴ならもう死んどる」
「…………え?」
「知らぬとは言わせぬよ、アレは元々胸に死病を患っていた……長くはなかった」
まるで熱が急速に冷める様に、アスフォデルスの顔から感情が消えた。その様を楽しむ事なく、彼は淡々と言葉を告げる。
「イシュバーンより南にあるスランに足を向けてみよ。奴の墓が無名者達の中にある――これが証拠だ」
アスフォデルスの前に立つ十字魔法銃は、まるで墓標の様だった。
ガノンダールは自らの白衣の中に左手を入れると、そこには金色の髪が一房地面に差し出される。どれだけ時を経ようとも見間違える筈なかった、それはファルトールの髪である。
「まさか、本当にファルトールが今も生きてると思っていたのか?」
「嘘、嘘嘘嘘……」
そう言いながらも、身体はファルトールの遺髪であると確信していた。そしてアスフォデルスが自然と手を伸ばした矢先、ひとりでに炎が立ち上がると髪は瞬く間に焼かれ、後には何も残らなかった。
「お前がアストロラーベで追っていたのは、これだ」
彼が錫杖を叩くと、影喰い沼が触手を一本彼女に差し出す。そこには真鍮で出来たランタンがあり、中では灰色の肉が不気味な脈動をしていた。
「培養した奴の肉だ。奴自身の魔力も含んでおる」
「し、師匠……」
「過去を語らぬ奴であったが、あの時。そなたを攫ったあの夜だけ、生まれ故郷の話をしていてな……伝手を頼り七年の歳月をかけ探し当てたのだ」
ガノンダールは次々にファルトールの遺物を懐から取り出す。
髪飾りだった。首飾りだった。紫色のトラベラーズマントの切れ端だった。それは真鍮製の義腕の欠片であった。……次々取り出しては灰すら残らず焼き尽くし、アスフォデルスはそれを泣きながら集めようとする。最後、ガノンダールはある物を取り出し地面に落とす。そこでアスフォデルスの青い瞳は大きく広がった。見間違いよう筈がない、その淡褐色の瞳は間違いなく――ファルトールの目であった。
アスフォデルスは脊髄反射で手を伸ばすが、師の義眼は直後炎が焼き尽くす。
「あぁぁあああ!」
「死に目を向けるな、真実に目を向けよ」
泣きじゃくる彼女に、ガノンダールは諭す様にそう言った。
そうして、杖の石突を何度も乱打する。その都度影喰い沼は触手を伸ばし、彼女の身体を貫き同化していく。彼女の身体は徐々に原型を失いつつあった。
「もう一つ告げる事がある。そこにいる影喰い沼、そして死脳喰らい――双方そなたの子だ」
「な、なにを……」
「魔族を使役する手段は、依り代を立てればよい。腑分けし取り出した脳髄を魔族に埋め込めてな、――お前知らなくてはならない」
その声は、痛みで我を忘れそうになるアスフォデルスにもはっきりと聞こえた。ガノンダールは錫杖をもう一叩きすると、影喰い沼は彼女の目の上に触手を翳す。そしてそれはもう一本の触手が、布巾を絞る様にへし折った。
ヘドロの様な血が顔にかかる。その香りは極楽百合の香りがした。
ありえない。だって、稀血の香りはその者だけ。例外は直系の血族だけである。
「愛されたい、愛されたいと叫ぶそなたが、我が子を手にかけるという悲劇を。あれはそなたの中に還りたかっただけなのに」
「嘘だ、嘘だ、そんなの――」
叫ぶ。絶叫と共に、絶望をアスフォデルスは叫ぶ。
殺してしまった、殺してしまった! 自分が、我が子を! いや、違うあれは私の子じゃない! 私の子じゃない!
あれは還りたかっただけなのだ、愛されたかった、抱き締めて欲しかった、昏い虚の中で生きて来た。そんな憐れな子供を私は殺してしまった!
「最後に指摘してやろう、お前は愛を求めるが――お前が求めてるのは愛ではない、ただ都合の良い相手が欲しいという我欲だ」
「ああああああああああああああ! あああぁぁぁあ――――」
途中叫び声が途切れたのは、喉を触手が貫いて同化する事で声帯が失われたから。それでも影喰い沼を通して彼女の叫びは、声にならない叫びをいつまでもガノンダールに届けていた。
それは、まさに彼女がガノンダールの徒弟だったあの時の様に。
――――。
――。
魔術師アスフォデルスを自らの支配下にある水蛇の迷宮に繋いだ後、ガノンダールが行うのは待つ事であった。盗賊ギルドを通し、高額な暗殺者を雇い入れた、更にもう一人。……成功の可否は彼が右手に付けたアミュレットで解る。事前に暗殺者達に同じ物を持たせ、彼等が倒されれば紐が切れる仕組みとなっていた。
自室に拵えた迷宮に繋がる門をくぐると、そこには弟子――青い瞳の青年が待っていた。
「……師父、こんな事もうやめにしましょう」
その紐が数本切れるのと、彼の弟子がそう言ったのは同時であった。イシュバーンにあるガノンダールの私室、青い瞳の徒弟は一人彼に向かって諭す様に語り掛ける。
「何が不満なのだ?」
高弟の証たる金のメダリオンが陽に照らされ一度輝く。ガノンダールは自らの助手である彼にだけは詳細を教えていた。
「こんな事はやはり間違ってます。確かにアスフォデルスがやった事は許せる事ではありません。しかし、これは余りにも……余りにも」
「……落ち着け、熱くなるのはそなたの悪い癖だ」
「いいえ黙りません。師父は間違ってる! こんな事、ご子息が喜ぶ筈ありませんよ!」
その青い瞳を持つ若い徒弟に対し、ガノンダールは正面から向き合い彼の両肩に手を置く。
「そなたは儂の元に来て何年になったかのう……」
「今年で十四年になります」
「そうじゃな、この地に桜が芽吹く季節じゃった。御母堂から預かった日の事は覚えておるよ――じゃが、そなたは今日まで儂の事を理解しておらなかったようだな」
ガノンダールはこの場にいる全ての徒弟を覚えている。今年入った十にも満たない童から、今は過ぎ去ってしまった者の名まで。
――石突が突かれる。
尊敬する師父がそう言って、彼が思わず両目を見開いたのと。師父の影から魔物の触手が伸び、両足を絡め取り、水音を残して影の中に取り込んだのは同時である。悲鳴すら上げる事なく徒弟はその場から消えた。邪魔者を消したというのに、ガノンダールの顔は沈痛な面持ちだった。
「……せめて、何も知らずに逝け。そなたはフロウィスに似ていた」
ガノンダールは魔族と霊的な結びつきにより、感覚を共有している。彼は影の中に取り込んだ徒弟が速やかに息の根を止められたのを感じた一方で、先程取り込んでから届かない苦悶の叫びを上げる彼女の鼓動を感じていた。声も姿も分からないが、絶えず泣き叫んでるのが解る。
「もう少し、後少しだフロウィス」
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