第18話:「アスフォデルスの取り扱い説明書18・やっぱり幸運に恵まれる」
――ファングインが水蛇の迷宮に辿り着く少し前。
元酒屋の倉庫では引き続き、バルレーンが説得を行っていた。
「なんで!?」
「あの方と妾達の縁はもう切れておる……今更助ける道理もあるまいて。何故剣士殿もバルレーンも助けに行く?
そなた等、別に「仲間じゃろうが!」とか「人を助けるのに理由がいるのか?」で命を賭けられる人種でもなかったろうに」
「まさか、この前の事まだ引きずってるの!?」
「当然じゃろ! あの方はされて当然じゃと思っておる、その様な方助けて何になる!?」
そこでバルレーンの右耳が動く。そうしてバルレーンは一度嘆息すると、右手に一度針を出し。
「……そりゃ、もう助けるしかなくなっちゃったからに決まってるじゃん」
「なに?」
「ちょっと後ろに下がって、破片が飛ぶ」
バルレーンは殺気を辿る。彼女は向かい合ったユーリーフの身体をほんの僅かな力で小突いて突き飛ばすと、自分達の部屋の扉に対して無造作に針を一本投げる。それは突き刺さった瞬間扉を破裂させ、破片となり向こう側に控えていた刺客に突き刺さった。
それと同じ要領でバルレーンは胡座をかいていたその場に針を一本刺す。突き刺した一点から力が流れ、それは壁を伝って屋根裏に集中し爆ぜ、天井に空が見える程の大穴を開けた。窓硝子には通りに刺客達が落ちる姿が一瞬映る。
彼女はもう一段針を床に刺すと、天井の穴から通りに落ち損ねた刺客の一人が落ちてきた。……そこで彼女は速やかに右のこめかみに針を深々と刺すと、閉じていた瞳が限界まで見開かれ、刺客の男の息が強制的に吹き返される。
「所属と目的吐いて」
「盗賊……ギルド。ころ、ころ…殺す。アスフォデルスの、仲間、賢者の石、うば……う」
声に感情はない。脳に達した針により、男は機械的に言葉を述べるだけだ。
「依頼主」
「魔術師、ガノン……ダー、ル」
男のこめかみに刺さった針を、一度弾くと途端彼は気絶した。同時にバルレーンの右腕が老化に耐えきれず弾け飛ぶ。
鮮血の香りが部屋中に漂った。
彼女は爆ぜた右腕に眉一つ変えず、左の腕で腰に括り付けた革袋の水薬を一口舐める。すると途端右腕は傷が塞がった。
「ひょ、ひょえええええ暗殺特化型知らん人じゃとぉおおおおおお!?」
「当たり前でしょ! さっきこいつを引きずり出したんだよ、気付かれた事なんてもうバレてる! ……きっと来るぞー、更に手の長い強化型知らん人達が!」
金髪の女魔術師は、バルレーンの腕を手早く回復し傷を塞ぐ。
「見捨てる見捨てない、好き嫌いじゃない――秘密に触れた以上は既に無関係ではいられない、お解り?」
「……」
ユーリーフがそれでも押し黙るのは、きっとあの別れが未だ彼女の中で尾を引いているのだろう。それに対してバルレーンは一度嘆息し。
「どちらにしろ、戦うしかないぜユーリーフ。こうなった以上は、実入りが多い方を選ぶのが吉さ……それに」
「……それに?」
ここでバルレーンはあえてユーリーフのプライドを擽る。
「今の所、君のアスフォデルスとの口論の戦績は百戦中四十五勝一引き分けと言っていいだろう。チェスは一戦一敗……このまま行けば一生負け越すぞ」
そこでユーリーフの顔が歪む。苦い物を無理矢理飲み込む様な顔と声で。
「あんな方、どうなっても構わぬ……」
「知ってる」
「構わぬが……」
そこで彼女はちらりと作業机を向く。小人のゴーレムの瞳が回転し、チェス盤には像が形成。そうして車椅子に仕込まれた腕が展開し。
「負け越すのだけは嫌じゃ。じゃがバルレーン、妾は少し時間が欲しい……五分待つのじゃ」
× × ×
暗殺者達の動きは軽やかで、密室を巧みに利用し間断なく己(おれ)を攻め立てる。
両手が使えるなら兎も角、片手だけでは少し荷が勝ちすぎる。せめて一呼吸でいい、調息が出来ればいいのに。
「我ら影より来たりて、影に去る者……」
「……五臓の影すら残さず喰らう」
「取り囲むは我ら、我らは檻を編む……」
常に暗殺者達は耳元で一定の韻律で己に囁き続ける。きっと意味はない、ただ絶えず話しかける事で判断力を落とす為にやってるのだろう。単純だが効果的な策だ。
花の剣で短剣を捌くが、活路が見えない。あぁ、でもこうしている間にもアスフォデルスが遠くに行ってしまう!
邪魔だ。しかし、邪魔だと思う心すら闇に囁く韻に奪われていく――
その時だった。
「《機構の一つ、撃炮なる右》!」
耳をつんざく炸裂音。……メイスを握った右拳は錐揉み回転し、鎖を手首から伸ばしながら壁に直撃する。一撃は速度と衝撃をもって暗殺者を散らした。
「あぁあああああやっぱり来ちゃったのじゃ。知らん人がいるけど平気平気……説明しよう! アンオブタニウム・ゴーレムとは――」
「今回はショートカットでお願い」
鎖を巻き取る音と共に、そこにいる筈のない二人の声が聞こえてくる。カラカラという車輪の回る音を立てて、正面の闇から現れたのは――ユーリーフとバルレーンだ。
次いで重たい音が響く。遅れて二メートルの黒鉄の騎士もやって来た。……調子を完全に崩された暗殺者達は四方を、まるで獣の様に後ずさりながら彼女達の出方を見る。仕掛け機構を警戒しているらしい。
「よ、お待たせ」
バルレーンは右手の革袋の薬を一口舐める。
そして、その赤瑪瑙の瞳を闇に向けると、どうやら全てを察したらしい。
「すまない、出遅れたらしい――ここは任せて、先に行くといい。早く」
「済まぬな、剣士殿……こいつを仕上げるのに少し手間がかかった」
バルレーンに車椅子を押され、彼女は己に黒い布袋を渡す。ずっしりとかなり重たく、そして硬い感触がした。バルレーンはともかく、ユーリーフはなんで……と思った時、顔で悟られていたらしい。ユーリーフはこほんとわざとらしい咳払いをし。
「勘違いされては困るのう! アスフォデルス殿には死んで勝ち越しなんてされたら困るからな……もしもの時はこれを使うといい、これは――」
ユーリーフがそう言いかけた時、己と彼女の間を短刀が掠める。闇から放たれた黒い刃は、岩壁に当たると飛び魚の様に跳ねた。
「ンアーッ! 妾の説明を遮りおって、許さん! 絶対許さんぞ暗殺者共め!」
「やっすい照れ隠しだ」
「その次はそなたじゃからな、バルレーン!」
ユーリーフは魔力の糸を繰ると、アンオブタニウム・ゴーレムを荒れ狂わせる。左の盾に仕込まれた回転鋸と、右のメイスの刃が高音を立てて回転した。
これは結局なんなの……そう思った直後、バルレーンがすかさず。
「使えるのは六回。ユーリーフ曰く、威力は高いらしい……時間がない、早く行って!」
……己は首を縦に頷くと、この場を二人に任せ鉄球を回しその場を離れた。遠り過ぎ去る中で、黒衣の暗殺者がぞろぞろ闇の至る所から現れ始める。
その様子に臆する事のないバルレーンとユーリーフの声が響いた。
「さて、こっから先は通行止めだ」
「知らん人達よ、覚悟せよ。妾、知らん人だから手加減できんぞ?」
――――。
――。
返して! お願い、返して!
闇の中で己(おれ)はアレを追って疾走する。なんで、なんで行かせてしまったんだろう。こうならない為に来た筈なのに。
――闇の中を、それは水が跳ねる様に縦横無尽に壁を潜航する。
己は音と腐臭を頼りにそれを追った。右手の痙攣はようやく治まりつつある。
その中でぼこり、という音が鳴る。瞬間、放たれたのは赤い矢の魔術。コイルが回転し、次々と放たれるものの、鉄球を駆使それを何とか回避。……どうやら奴はアスフォデルスの装備を使えるらしい。
次いで、焦がされる香料の香り――焔が来る。一面に広がる紅蓮の炎が、壁となって立ちはだかった。
「――」
焔は左で放つ花の剣で散らす。突っ切る中、火の粉が細やかな燐光を残して消えた。足元に魔力を込め、更に加速する。
更に突き進む度、聖なる鉄炮や粘着スライム弾、散弾が放たれるが刃で一切合切を叩き落とし、少しずつ魔族に追いつき始めていく。
フードの真横を矢と、そして身を切る様な風が掠める。
もう少し、あともう少し――左手の剣を収め、その手を伸ばした。
しかし、魔族はそれを許さない。悪意が香った。
「――」
ごぽりという音が響く。
巨大な腕が、影の中から現れたかと思うと吐き出す様にあの自動人形が来る。三連望遠鏡が回転し、巨大な魔法銃の筒先が己を睨む。
閃光が吼えた。弾け、捻じれ喰らう。それと同時に足元の車輪が回転し、左の拳が狙いを定め――。
瞬間、右手に神経が再び通った。己は躊躇する事無く剣の柄を両手で握ると、顔の横に刃を置く。
……歓喜の剣という。花の剣が力を霧散させる技だとしたら、これは逆に力を爆ぜさせる技だ。
刃が拳に触れた瞬間、力を流すと破裂音と共に自動人形の左腕が爆ぜた。通り過ぎる中で鉄と木とヤギの胃の皮、スライムの粘液、ポンプの破片――粉砕した様々な部品が己の頬を撫でていく。
振り返ると同時に忍ばせていた短刀を投げる、それは丁度己に狙いを付けてた魔法銃の筒先に突き刺さると暴発させた。
今は十九階、終点が近い。
そうして、見えて来たのは巨大な鉄の扉だった。逃がさない、そう思い己は再度柄を両手持ちにすると剣先を石畳に付け歓喜の剣を放つ。
更なる加速。そうして、扉の直前――魔族に追いつき、右手を伸ばしたその瞬間。
目の前に突如広がったのは鉄の網。そう、機帥の迷宮でアスフォデルスが使ったあの網だ。
――まずい。
――こんなのに当たったら血が出ちゃう。
――嫌われちゃうじゃない。
一瞬の未練が泡沫の欲望となって弾ける。
突如放たれた網を左に避けた事で、己は思わず速度を急激に落としてしまう。それが致命だった。魔族はその隙に二十階に駆け込むと、途端扉は重たく閉じた。
待て、待て待て待て! 開けろ、開けろ!
立ち塞がった扉に無駄とは解っているが数度叩く。しかし、分厚い扉はそんな事で空きはしない。
両手で構えた剣で歓喜の剣を放つも通らない。魔力を込めた刃を当てた瞬間、全ての力が吸い尽くされる――どうやらただの歯車仕掛けの扉では無いみたい。
……………………伸ばせば、よかった。
傷つくのが怖かったんじゃない。傷ついて、この血が漏れる事……そうして正体がバレるのが怖かった。
臆病だったから、怖がりだったから、弱虫だったから、わがままだったから。思い返せば何時だって少しでも自分の事を考えたから、こうして大切な物を救えなくなる。
自分自身への怒りが走り、鉄を再度叩かせる。木霊する残響音は未練の陰り。
門を開ける術はない。
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