第14話:「アスフォデルスの取り扱い説明書14・それに気づけない」
隕鉄のゴーレムの装甲が砕け落ちる。腹からは幾つも歯車が溢れ落ち、橄欖石の瞳には深い罅が入っている。
それでも……アスフォデルスの入った水晶の卵には掠り傷一つ付いていない。しかし、誰の目から見ても限界は明らかだった。
「あっあっあっ、死ね、あっあっあっ、壊れろ、あっあっあっ」
死脳喰らいの触手が振るわれ、とうとう右腕が吹き飛ばされた。魔力の供給が途切れた隕鉄は赤から無機質な鋼へ。十字魔法銃が宙を舞い、地面を数度転がる。……己(おれ)は、なんとか体を動かそうとするも血を流しすぎたらしい上手く立てない。
鋭く尖った触手がゴーレムの胸を、亡者達が骨肉の刃を装甲が剥げた部分に突き刺しまくる。それでもゴーレムは耐え、まるで意思がある様に藻掻き足掻く。
――その時、大いなる業が成る。
この場にいる誰もが――亡者や死脳喰らいすらも一瞬視線を移す。水晶の中の培養液が徐々に目減りし、やがて零となる。
後に残ったのは卵の中を埋める大粒の泡。しかしてそれも、水晶の卵が台座との連結を切り離され、まるで蓋が外れる様に滑車に括り付けられた鎖によって上に上げられると弾けて消える。最後に残ったのは――喩えるならそれは羽化したばかりの蝶。両手足は完全に再生して、彼女はあまり力の入らない手足でよろよろと台座を降りる。
彼女の再臨。それが最後の一線だったらしい、それを見届けると両膝を着きゴーレムはその場に崩れ落ちる様に倒れ込み――二度と動く事はなかった。
その姿は、大きく変わっていた。まず髪は金。背中の半分まで伸びたそれは、今は培養液に浸されていた為か、濡れて背中に貼りついている。
白目に大きく広がった瞳は淡褐色。青と黄と橙が混ざったその色は、魔眼の様に人の気を惹く引力を持つ。濡れそぼった顔は整った目鼻立ちでありながら、あどけなさと美しさが綯い交ぜになった黄金比で成り立っている。
一度口を開くと、牙の様に鋭かった歯はそこに無く、大理石の様に白い歯が並んでいた。胸元に埋め込まれた赤い賢者の石も、それまで昏い血の色であった筈だが、今は鮮血の様な輝きを放っている。身長こそ百三十センチと変わらず、身体つきは幼いままだが、その姿は全くと言って良い程様変わりしていた。
しかし、復活の喜びはない。そのゴーレムの残骸を踏み躙る亡者達を一瞥すると彼女は着ている筋力増幅装甲服の裾を翻し、右耳に天球儀のイヤリングを付けながら向かうのは弾き飛ばされた十字魔法銃の所へ。そのボロボロになった銃を、まるで労る様に手を取ると前方の魔族達を見詰め――
「これをして、まさか許されるとは思ってませんよね……?」
十字魔法銃に魔力が通う。再び爛れた鬼灯の様な赤。
着ている服の機能はもう戻っているらしい。倍増された筋力は、まるでナイフでも持つ様に身の丈以上の魔法銃を右腕だけで掴み上げ――その銃口を向ける。
「私の前に立ちはだかるのなら、誰であっても容赦はしない」
まずい。これは……まずい。彼女に死脳喰らいを殺させる訳にはいかない。
そんな残酷な事させちゃ……なんとか身体を、左手で剣を掴んで杖代わりにし彼女の前へ。百合の血の匂いも、獣性も……今はもう気にならない。
それだけはさせてはいけない。……突如、左手の感覚が無くなり再度地べたを転がる。こんな時にまたしても痙攣癖が! 右手は傷が深すぎて動かす事が出来ない!
だめ、だめ、――だめ!
「……ころしてくれ」
「くるう。きもち、いい……」
亡者達が怨嗟と歓喜の入り混じった声を上げる。それに対し、アスフォデルスは目を逸らさず冷徹に。
「――それでも、慈悲は差し上げましょう」
赤い閃光。轟音と爆音。圧倒的な質量の矢の魔術が、血肉を無限に一掃し続ける。
それは――亡者だけでなく死脳喰らいすらも。霊肉が弾け、鳥肌が立つ程の魔力量で増幅された魔弾はいともたやすく彼を引き千切る。
「あぁああああああああああああああああああ!」
絶叫は……事切れるまで続いた。そのあまりに凄惨な光景に思わず涙が溢れ、血溜まりに何度も落ちる。……反吐が喉を焼いた。
こんな事を見たかった訳じゃない。あまりにも、これは。
……嗚咽が無機質な部屋に反響する。それは苛む死脳喰らいの怨嗟の様に。
――――。
――。
「うッ……」
死脳喰らいが動かなくなってからしばらく呆けてた後、勝利の余韻を味わうより早くアスフォデルスから反吐が出る。
「なんで、なんで急に、気持ち悪く……」
自分でも訳も分からず困惑した様子だった。
己は、ローブの中の匂い消しを擦り何とか百合の血の匂いを消した。血止めの薬草を包帯で巻き、それで何とか体を動かす。
死脳喰らいの前に立つ。圧倒的な隕鉄の弾丸の掃射により、粉々に砕け散ったその遺骸。あんまりにも可哀そうなその姿に抱くのは途方もない喪失感。
その時、ぼこりと彼の遺骸が起こる。
「……あああぁぁぁアアアAAAAッ」
枯れた苦悶の叫び声。周囲が一度ビクンと硬直する中、霊肉はまるで沸騰する様に泡立つ。そして肉の泡は徐々に人の形を取り、やがて出来たのは獣人の男の姿だった。色こそ赤黒いが、短く切りそろえられた短髪まで再現されている。
「な、なぜだ。なんで俺達が死ぬ……」
人間の様に見えるそれは、単なる肉体反応にしか過ぎないのだろう。その苦悶の生々しさも。次いで、泡はハーフエルフの女の姿になった。
「なんで、アンタ達が生き残るのよ! なんでなんでッ! わた、わたしわたしが……あ、溶け」
最後まで語る事なくハーフエルフの女の泡が弾ける。
その一瞬。
――痛い、痛いよ……母さん。
死脳喰らいの中から、子供の様な声で誰かがそう言った気がした。様子を見ると他の誰もそんな素振りを見せていない。どうやら己にしか聞こえてないらしい。……理由はなんとなく察しが付く。
魔族の触手がアスフォデルスに伸びた。触手は恐る恐るというべきか、彼女に向かってゆっくり伸び、そこで突如地面に落ちる。
痙攣を、起こしてしまったらしい。
それに対し己は――彼女の前に立つと剣を突き立てた。もう涙も枯れ果てても、それでもやるべき事はしなくてはならない。ただ使命だけが己を動かしていた。
それに気になった事がある。さっきの、「しばらく寝てろ」と言った時。伝わらない筈の言葉に返事が返って来た事。……それを踏まえれば、恐らく多分。
――お願い、通して?
――駄目だ、通す訳には行かない。
やはり、か。死脳喰らいの最後に残った瞳が大きく見開かれる。
どうやら、己と彼は言葉が伝わるらしい。
――眠れ、お前は安酔の舟に抱かれ……やがて楽土の路を辿るだろう。
なら、かつて送られた鎮魂の言葉を贈る。人が死んだ時、冥府の渡し守が漕ぐ舟が彼も拒まない事を祈り、その言葉と鎮魂の刃で一線を断つ。……最後に一度蠕動する様に蠢いて、死脳喰らいはそれきり動かなくなった。
剣で出来た墓標と、それだけが彼の魂への供物だ。彼は許されない事を沢山したんだろう、でも……その魂に安らぎを祈る事だけは許して欲しい。
「ふぁ、ファングインさん……」
後ろから怯える声が響く。十字魔法銃を再び掲げ、彼女はその淡褐色の瞳でじっと見つめていた。
「死んだのですか、そいつ……?」
目は焦点が合っておらず未だ唇を青くしながら、アスフォデルスはそう訊ねる。その姿を見た時、枯れた筈の涙が更に浮かびそうになる。
だから舌を噛んだ。それは流してはいけない涙だから。
「……うー」
隠せない沈んだ声音で一度唸る。彼女には万が一にも死脳喰らいと己の事は気取られてはいけない。
死脳喰らいを悼む気持ちだけじゃない、そうした打算的な自分が嫌気が差すのを押し殺して……。
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