第13話:「アスフォデルスの取り扱い説明書13・心が弱い、誘惑に弱い」


 哲学者の卵の中、アスフォデルスは過去を見る。それは死に瀕した時に見る走馬灯と同じ現象である。

 ――それは遠く過ぎ去ってしまった過去の記憶。

 私は、師匠になりたかった。自分の人生を思い返せば、痛みと傷に満ちていた。そうすれば、前を向いて生きていけると思ったから。


「何を作ってるんだい、アスフォデルス? もうこんなに夜遅くなのに」

「ごめんなさい師匠! 出来るまでちょっと内緒です……」

「何を作るにしても、あんまり無理はするなよ……」


 でも骨格も肉付きも何もかも違う。なら、根本から作り変えなくてはいけないと思った。


「貴方は私の子じゃない。貴方は、生まれてはいけない物なんです……これは、せめてもの手向けです」


 別れ際、安酔の舟への餞別に与えた熊のぬいぐるみ――忌まわしい過去がちらつく。

 ……この身体は痛くて、辛くて汚い事ばかりだった。だから、新しい姿に……師匠の姿に生まれ変わったら人生が楽しくなる筈だ。そうじゃないといけない。師匠も凄い凄いと喜んでくれる筈だ!

 一人で暮らし始めてから、数年がかりで身体を大量の霊薬に慣らさせ下地を作った。身体の幾つかに新しく培養した臓器を移植し、骨格は流動性の人工骨格に置換した。


 そうだ、もう■■■■■はいない。今や私は魔術師アスフォデルスだ!

 それで久々にあった時、師匠にその姿を見せた。そしたら――


「済まなかった」


 それで返って来たのは、痛い位の抱擁と初めて見せる涙。遺跡荒らしのファルトールと、大仰な伝説で呼ばれた人は……まるで自分が傷を負った様に涙を流していた。


「済まなかったッ、済まない、済まない……」


 そして、師匠が消えた。

 一体どうして消えてしまったのか、それはわからない。血眼になって探したけど、師匠の足取りは一向に掴めなかった。だから、探すのを止めて待つ事にした。

 でも、ただ待つのは暇だったから一人でも研究をし続けた。魔術師は生まれ持った才能に技術の研磨を重ね、常に熟達者でなくてはならない。研磨をせず知識のない技能、知識という根本のない技術に価値はない。これが師匠に教えられた魔術師の基本だからだ。


「……そこにベゾアール石の粉末一ミリに乾燥マンドラゴラを二ミリ投入し撹拌。後に光と熱を伴った錬金術反応が起きれば、これを以て賢者の石精製時の促進剤となす……」


 師匠を待つ間に手慰みで始めた研究だったが、一度世に出せば面白いくらいに当たった。


『これは……凄い、なんて革新的な技術だ』

『素晴らしい、素晴らしすぎる……』


 研究を出せば、出す度に皆褒めてくれた。凄い凄いと言ってくれて、幾つかの技術は多額のお金を産んだ。

 魔術師アスフォデルスの名前は、時間と共に名誉と称賛に膨れ上がっていった。昔の私がいた痕跡もつぶさに消し、誰も私の正体――その本質を捉えられない様にした。もう弱くて醜い私はいない。

 そんな綺麗な私が有名になればなる程どんどん気持ち良くなって、褒められる度心にゾクゾクとした。鏡に映る、師匠の姿をした私は……なんて綺麗なんだろう。だけど、アルンプトラはそれを許さなかった。

 成長したその姿。二十代も半ばになった彼の背丈は私や師匠を越えて、黒髪の少年は今や黒髪の青年となった。

 ……師匠が消えて一年が経った時、彼は珍しく黒いローブを羽織って私の元に現れるや否や、躊躇いながらもこう語る。


「……なぁ、アスフォデルス。もう止めにしないか?」

「何をです? アルンプトラ」

「……君の師匠の真似だよ。こんな事、続けてたらいよいよおかしくなってしまうぞ」

「どうして、そんな事を言うですかアルンプトラ……酷いじゃないですか。折角、師匠になったのに」

「現に君はおかしくなってるからだよ! まともじゃないよ、こんなの! 師匠だって君にこんな事望んでいない!」


 そこから口論になった。今でも思うのは、どうしてアルンプトラは私を理解してくれなかったんだろうという事だ。顔の火傷もなくなって、綺麗な師匠の姿になった事の何が気に食わないんだろう。口論の度、何度かアルンプトラは堪えきれない物をむりやり飲み込む様に何かを言いかける仕草をした。それが一体何だったのかは今となってはわからない。


「君は、ありのままの君が一番だ……師匠だってそう思っている、元に戻ってくれ」


 あぁ、でもこの言葉を言われて頭が真っ白になった。


「嘘を言うなっ!」


 言葉は反射的に。猜疑に歪んだ暗い瞳でせせら嗤った後、私は今にして思えば酷い言葉を言い尽くした。


「顔には火傷で腹には切開跡。傷しかない女を選ぶ人なんている訳ない! それとも、アルンプトラは奥さんと私だったら私を選ぶの? 選びっこないでしょ!」


 アルンプトラは言葉を失っていた。解ってる、誰だって傷なしと傷ありを選べるなら傷なしを選ぶに決まってる。凄く酷い事を言ったと思う。でも、私だって譲れない事があるんだ。


「私は、男の人はいらない。もう壊れ切ったから子供だって産めない。私すらいらない。私の人生は師匠だけ、師匠だけなの! それを否定するなら貴方だって――」


 師匠は綺麗で、私の憧れで、私の全て。私は師匠になりたかった。アルンプトラにはきっと解らないだろう、だってアルンプトラは師匠の弟子だけど対等で憧れなんて抱いた事はなかっただろうから。そこでアルンプトラはそれまで見た事のない様な顔をした。痛みに堪える様な。


「ご、ごめん……アルンプト――」


 そうして居心地の悪い空気が数拍溜まった後、彼は振り絞る様な声で言った。


「……でもね。僕は、それでも君の事を家族だと思っている。君の事を愛してる……ずっと、永遠に」


 あぁ、そして彼はその名を呼んだ。■■■■■、と。


「その名前で……呼ぶのは、誰であっても……許さない」


 それが、彼と最初で最後の口論の結末だった。そこから長い時の中で、私とアルンプトラの関係は何処か壁のある物になった。その壁の中で彼に子供が生まれ、成長し、孫が生まれ、何人かが彼より先に旅立った。私は研究に研究を重ね、果てには錬金術の到達点である賢者の石を精製し、今や師匠となった身体を更に拡張していった。


 けれどアルンプトラの薄紫の目だけは真正面からは見れなくて、毎年のお誕生日のプレゼントだけが私と彼を繋ぐ唯一の物だった。

 そうして、久しぶりにアルンプトラに会ったのは……永別の時。

 使い込まれた黒檀の香りが残る部屋だった。壁紙の色は深い血の色を彷彿とさせる赤、その中に真鍮製の高価そうな実験器具が幾つも置かれている……師匠の工房とそっくりだった。


「今日呼んだのは他でもない、形見の生前贈与の為さ。きっと喜ぶと思うよ」


 久しぶりに見たアルンプトラ、一瞬本当に彼なのか疑ってしまう程。でも声だけで解る、目の前にいるのは間違いなくアルンプトラだ。もう余命の長くない彼が、私に最後の贈り物をする為に呼んだのだ。


「……何で喜べると思うの、馬鹿じゃないの」

「まぁ、そう言わないでくれ。これは師匠の作品なんだから」


 私が目を擦り、鼻を啜るとアルンプトラは用意していた黒い小箱を手に取る。上蓋を開くと、そこには青と黄と橙が混ざった淡褐色の球体が一つ。それはまるで目玉の様だ。


「数十年前。師匠が君の元を去った後、独り立ちした直後僕の所に寄ってくれたんだ。その折に渡された物だ――師匠が残した最後の義眼だ」


 その日は、私の誕生日。それが彼から渡された、最後の誕生日プレゼントだった。



 そうして私に師匠の義眼を移植した数日後、アルンプトラが死んだ。

 アルンプトラが死んだ時、辛かった。

 生きていて欲しかった。いなくならないで欲しかった。あの日貴方だって、と言った自分を張り倒してやりたい。

 許さないって言ってしまった、許されない事をした。

 けれど、彼はもう覚悟を決めていて。私は結局何も出来なかった。

 心が、割れる。割れる、割れた。



 もう私には師匠しかいない。師匠が恋しい。

 でも、心の中の悪魔がそっと呟く。師匠は、きっともう死んでる。あの時も、あの時も、何度呼んでも来なかった。なら、もう生きててもしょうがないよね……。

 あぁ。体が解け、溶けていく。


 ――駄目!


 直後、過去から声がする。

 これは、誰の言葉だったろうか。ぼんやりと、記憶が揺蕩う。でも、今さらそんな物に何の意味が。


 ――駄目、駄目駄目。私は師匠を待たなくちゃいけないの、だって師匠はまだ生きてるんだから!


 浮かび上がる、その過去を解いては紡ぎ。……遅れて、これは自分の言葉である事を思い出す。恐らくは、生存本能の発露なんだろう。

 理性はこう告げる。心の中ではもう解ってるんでしょう。こんなに年月が経ったんだ、もう生きてる訳ないって……と。


 ――冗談じゃない、死ぬなんて……冗談じゃない! 今更墓に入るのが終わりだなんて、なら今までの人生は一体何だったの!?


 それでも、本能は過去を掘り起こす事をやめない。


『いいかい、これは力だ。お前が持つ最初の、……これをけして手放すんじゃないよ』

 そう思った時、ごぽりと大きな白い泡がフラスコを詰めていく。直感で理解する、これは死だ。死の泡だ。……死脳喰らいの魔力の吸い上げが、とうとうこのフラスコにも手が及んだらしい。


 ――師匠は、まだ生きてる。師匠は生きてるんだ、生きてなくちゃいけない! だから、私は生きなくちゃいけないんだ!


『お前に何もかもを上げよう。全て、私の持つ何もかもを……』


 ――苦しい。

 苦しい。苦しい。

 ――――――――――死にたくない。

 やだ。やだやだやだやだやだやだ!

 こんな、こんな事で死にたくない。だって、まだ。私はまだ……生きて、いたい。

 そうしてある物に気づく。それは右手に握られた天球儀のイヤリングだった。これをくれた時、師匠は確か……。


『お前を守ろう』


 フラスコにビリビリとした振動が走る。

 その言葉を思い出した時、残った迷いを晴らす様に師匠の十字魔法銃が吼えた。まさに、あの時の言葉通りに。

 師匠の産物は、今まさに私を守っている。そうして最後に思い出すのはあの時の事。


『これで美人が出来た。……ほら、笑ってみな』


 その顔、その体。母の様な人の在りし日の記憶はいつまでも色褪せないまま。

 あの人の事を、諦められる訳がない。もう一度師匠に会う事が私の全てなんだ。師匠だけが全てだ。私の人生は、もう師匠だけが全てなんだ。他に何もいらない。

 ――だって、だって私は師匠にもう一度会うんだもん……。

 だって、師匠は……私のお母さんだから。私の、大切なお母さんなんだから。私を救ってくれる、私のお母さん。


 神様、お願いします。何でもします、何でも差し上げます。もう二度と師匠に会えなくたっていいなんて言いません。……だから、どうか私を師匠に合わせて下さい。せめて師匠に繋がる物を。お願いです。

 その時、手の中に熱と脈動を感じる。師匠から貰ったイヤリングが、今何時もと違う動きをしていた。やがて仄かな緑色の光が生まれ、右に向けると熱と光が強くなった。

 そこにある物が目に入った。


「アストロ、ラーベ……」


 壁に掛けられた天体観測儀。師匠がよく発明品に使っていた物。この魔力が枯渇していく中でも、絶えずそれは動いていた。

 生命に呼応する物が動いている、それの意味する所は……。


「あ、あぁぁあ……ああああ!」


 歓喜に打ち震える。その事実に、心が狂いそうになりかけた。

 私は赤い光に手を伸ばす。そうして死への決別を告げて、体を紡ぎ直した。

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