第11話:「アスフォデルスの取り扱い説明書11・即落ち二コマが多い」


 刃と魔術が交錯する中、戦局は一刻ごとに悪化していく。己(おれ)は右から迫る触手を剣で受け流し、その勢いを石柱へ逸らす。轟音とともに柱は砕け、粉塵が舞い上がる。


 ――集中しろ、今は……!

 アスフォデルスは震える手で魔法銃を撃ち続ける。矢の魔術が無数に放たれ、触手の壁が分厚くなる。


「攻撃が着弾する瞬間だけ、風圧が増すか。計測結果は……冗談じゃろ」


 小人のゴーレムが計測し分析した結果は、どうやら芳しくなかったらしい。ユーリーフは吐き捨てる様に呟く。

 死脳喰らいは呪文を唱え続け、迷宮の魔力が枯渇し始めていた。土埃が徐々に大粒になり、空間そのものが不安定になりつつある。


「……何とかしなくちゃ」


 アスフォデルスの体から恐怖と焦燥が入り混じる。だが、戦局を覆す決定打が見えない。


「うー」


 舌に、無力の味が広がる。しかし、触手とまさしく矢継ぎ早に生まれる矢の魔術の壁は分厚い。

 バルレーンは先程から意識がない。己達の中で回復が使えるのはユーリーフだけど、彼女も猛攻を凌ぐのに精一杯だ。自動操縦に切り替える隙すらない。

 それに気になるのはアスフォデルス。妙に上がっていく鼓動と息が引っ掛かっていた。頭は半分冷静なのに、身体は何故だか一拍また一拍と早くなっていく。いや、余計な事は考えるな。今は集中するんだ。


「死ねッ、死ねッ」


 怯えを嚙み殺す様な呟きが、ぽつりと漏れる。


「夢の為に消えろ……消えて下さい、お願いしますッ」


 振り払う様に重なる。


「私と師匠の邪魔をする奴は嫌いなんですッ」


 引鉄を引き続けさせるのは、仄暗い殺意。

 不意に右手に電流が走った。

 乾いた音を立てて己の剣が右手から零れ落ちる――こんな時に痙攣癖が出てしまった。瞬間再度襲いかかるのは触手の一薙ぎ。腹に炸裂する衝撃、次いで浮遊感……衣の破れる音と瓶の破片を舞い上がらせ、気づくと己は再度壁に叩きつけられた。

 運の良い事に、これでもまだ血が出ていない……それに安堵した僅かな一時の後、右手を走る激しい痺れは回復に最低でも十分はかかるだろうと直感が告げた。


「あっ、あっ、死ぬ、死ね、殺して、殺す――会う、還る、還る!」

《生命は事を別つ物。流転し、反証し、再び巡り合う!》


 まずい! まずいまずい!

 その時、呪文の詠唱が最後の一節を迎え始める。一拍後、アスフォデルスが触手の一薙ぎに吹き飛ばされた。


「――ッ」


 絞りきった肺から叫んだ声は、音にならず掠れた余韻を漂わせるだけ。何とか駆け寄ろうとするも、ぴくりとも動かない右腕はまさに重石で、左で取り零した剣を掴もうとした瞬間矢の魔術を放たれ続ける。余波の衝撃で己は再度床を転がった。

 彼女もその場を数度転げた。耳に入るのは衝撃で一瞬呼吸が止まる音、それと同時に薫るのは完全にプッツンした時の燃えるような香り。

 全身の毛穴が開いて、鼓動と息は長く緩やかに――同時に体温が急速に下がっていく。

 ……喩えて言うならそれは、狂人の洞察力。

 彼女は自然とバルレーンの血と自分の小便が付いた左手で、顔に横一直線を引いていた。

 アスフォデルスはその場に右膝立ちでしゃがみ込むと、鉄兜の男との戦いで取ったあの構え。左手の平を前に出し、親指の付け根に銃口を置く姿勢を取る。そうして再び魔法銃を放つ。

 当然の事ながらその一発は風の壁に絡め取られるも――


「その手は読んでいます」


 それはまるでチェスの手順を読む様に。瞬間、彼女は引鉄を引く。狙いは丁度、風に絡め取られた弾丸に向けて。

 着弾の瞬間、霊薬が風諸共弾け飛ぶ。そうしてがら空きになった顔面に向け狙いをつける。咄嗟に死脳喰らいは複数本の触手を伸ばし、防ごうとするも――そこでアスフォデルスはぽつりと呟いた。


「――動いてる的を狙うコツは移動する相手じゃなくて相手の未来を狙う事。走り始めは狙いを合わせ、その行動を先読みし引鉄を引く」


 それは、あの時バルレーンが教えた言葉だった。

 アスフォデルスは触手の動きを先読みし未来を垣間見た瞬間引鉄を引く。そして僅かに手首を動かし射撃軸を変え続けた。触手にめり込んだ矢の魔術は軌道を狂わし、肉の蔦は魔族の意図せぬ方向に次々弾き飛ばされる。

 そうしてがら空きになった所を、魔弾の連射で霊肉を弾き飛ばし――直後、アスフォデルスはストックのアストロラーべを一つまみ。吹き飛ばされ、再生の始まった所をスライム弾で埋める。


「今です、ユーリーフさん!」

「《機構の三つ、麒輪脚》」

 騎士人形の足の裏に格納された車輪が降り、高速回転する事で距離を一気に詰める。ユーリーフの操作に呼応し、騎士人形の仕掛け機構が次々作動する。


「《機構の四つ、麟球脚》」


 車輪の次の代わりは球体だ。高速回転すると、遠心力を纏った騎士人形は右のメイスを思いっきり叩きつけ、白い脂の塊のような肉片が飛び散った。

 更に左のとっつきを叩き込み、触手の根本を爆ぜさせるに至る。アスフォデルスの推測通り、スライムの混ざった部位は再生が封じられている!


「チェスの中盤戦の基本は、相手より多く駒を取る事。そして駒を取られたら、必ず取り返す事……」


 そうしてアストロラーベを再度、普通の弾丸に切り替え銃口は心臓に。


「これでチェック――」


 おそらくチェックメイトと、そう言おうとした時だ。



「あっ、あっ、あっ、チェ、チェック、あっ、メイト」



 何故、それをお前が……唐突なその言葉に戸惑った直後に答えは闇の中から響いた。


「《理を以って手に灯す、雷よ奔れ》」


 アスフォデルスの背に雷が直撃する。直後、彼女はその場に倒れ込む。筋力増幅装甲服が一切の機能を失っていた。

 微動だにしない。雷をまずいと言っていたのは、まさか――


「な、なんでそんな……」


 死脳喰らいは見抜いていたのだ。

 駆寄ろうとした直後、石畳の床を突き破り足元に絡みつくのは触手。それはユーリーフの騎士人形も、そして周囲に配置した小人のゴーレムすらも――まるで木の根の様に絡めとった。 


「《力は矢、意思は弓――放て》」


 突如闇から生まれた赤い光がユーリーフに直撃し、彼女が車椅子ごと吹き飛ばされる。

 続いて現れたそれは白い蛭の様な物で、六本の足に人間の口と舌が生え、尻には透明な膜で脳髄が浮かんでいた。おそらくは死脳喰らいの眷属。


 死脳喰らいも読んでいたのだ、あの発言から。そして、鬼札を仕込んでいたんだ。 

 眷属は嬉々とし、足早に走るとアスフォデルスの元へ向かい身体の上に乗った。不快な痙攣が走る中、彼女は右腕を前に出すが眷属に難なく弾き飛ばされる。次いで魔法銃も明後日に放り投げられた。


 そうして、口から飛び出たのは骨を思わせる長い針。それが彼女の首元に刺さると、その小さな体がびくびくと動くぐらいの何か液体が流し込まれる。

 ……流し込まれた瞬間。小さな心臓が破裂しそうな程鼓動を刻み、体温が急速に上がっていったのが解る。


「《機構の……一つッ、撃炮なる……右》!」


 不意に、眷属の体が炸裂音と共に吹き飛ばされた。

 眷属は背後の壁に、騎士人形のメイスを握った右腕ごと突き刺さっており。腕の付け根は鎖で繋がっている。本体よりかは強度が弱いらしい。完全に息絶えていた。


「アスフォデルス……い、今行く」


 炸裂音が目覚ましになったらしい。バルレーンが体を引きずり彼女の元へ行く。そこで引き攣り、焦燥した匂いが一度香った。


「ちょっと、……マジでヤバいかも……」


 アスフォデルスの体は溶け始めていた。まるで氷が夏の暑さに耐えられない様に。

 ……背筋に走るのはじっとりとした、嫌な戦慄。

 バルレーンは彼女の身体に数十本の針を刺し、生命力を活性化させて何とかアスフォデルスの融解を止めようとするが、止まらない。


「アアアぁaaああああ!」


 怒りの絶叫と共に死脳喰らいがアスフォデルスとバルレーンに触手を襲い掛からせる。


「《機構の五つ、無尽剣帯》!」


 がこん、という音。ゴーレムのマントに当たる部分。そこに仕込まれたレールが展開。いつもは装甲板のマントが流れるそこを、今は代わりに十字型の刃が装填され――

 高速回転と共に刃が走り、彼女のゴーレムを絡め取っていた触手を切り払う。それにより一瞬だけ死脳喰らいは拘束のバランスを崩す。

 そこで先程、暗がりでよく見えなかった部分が見えた。それは薄膜で上半分を覆われた触手の根本。未だ癒えていない火傷の跡が残っている。


 おかしい。普通の傷なら、さっきみたいに何も残らない筈なのに――そう思った時更に見えるのは薄膜の中を転がる丸い鉄の玉。

 赤く輝くそれは、仄かな隕鉄の赤だ。


「――」


 己は、左手をローブに滑り込ませると短剣を取り出し、思いっきり力を込めて投擲する。一瞬刃がぼやけた様に揺らぎ、淡く瑠璃色に染まり。

 掻き立てられる獣性を、頬の内側を噛んで誤魔化す。

 刃はめり込んだ瞬間、力が抜けて己は拘束から逃れた。

 同時に床に落ちた剣を掴み、更に根本に一突き。それで彼女の小人ゴーレムの拘束を緩ませ逃れさせた。……どうやらあの隕鉄のゴーレムと戦ってたらしい。その傷が癒えていない部分を突けばこうもなる。


「あっあっあっ、行かないで、あぁあっあっあ、離さないで……ああああああああああああああ!」

「……ファン、何とか持たせて。ん、……ユーリーフ!」


 眩んで、倒れそうになるのを舌を噛んで気付け代わりにしバルレーンが叫ぶ。車椅子を立て直し、ユーリーフが彼女の元に向かう。そうしてチェス盤の上にアスフォデルスの像が塑像され、小人のゴーレムが分析を開始。その結果を耳介を伝える音と、チェス盤の上に文章の像を組み上げ伝えた。


「心臓の鼓動が早い、早すぎるのじゃ……このままではもって十分。十分でアスフォデルス殿は完全に溶液と化すじゃろう……」

「回復は? 最悪、ゴーレムを切ってでも……」


 ユーリーフは呪文を唱え、淡い緑の光が一度灯る。が、消えた後は一拍の気まずい沈黙。


「……無理じゃ、妾の使える回復の範囲を超えておる!」


 狂いそうになる手元を寸前で正す。何とか、何とかならないの? そうして聞こえてくるのは――


「あっあっあっ、喰らう、あっあっあっ、帰る、あぁあ……あぁああぁ」


 お前――

 怒りと悲しみでどうにかなりそうだった。けれど、どうしよう。ユーリーフの回復も、バルレーンの針もダメ。どうすれば……。


「死に……たくない、死にたく……あそこに行けば、あそこさえ開けばなんとかなるのに……」


 ごぽり、という音が。……溶ける肉に喉がつまらない様に、ゆっくりとした声が次いで。 


「師……匠……師匠、助けて下さい。寒いです、寒い……寒い、来て下さい。来て下さい……どうして来てくれないの……」


 手を伸ばし、その伸ばした手すら崩れ落ちる。二の句を継げないのは意識が落ちたか、はたまた喉を詰まらせたか。


「あの扉が開けば……なんとかなる?」

「じゃが開かぬ。……他ならぬこの方ですら……」


 己は、無力だ。こんな彼女の願いすら叶えられない。

 だからと言って、彼女を脅かすものも倒せない。……いや、一つだけ何とか出きる方法がある。だけど――

 右目があつい。背中がかゆい。左腕がうずく――獣性が舌に絡む。

 ――だめ、無理。嫌われたくない。

 己は……卑怯だ。そう思った瞬間、腰にくくったランタンに触手が掠り、それはベルトごと持っていかれる。

 浮かび上がる月の様に跳ねたそれは、一瞬だけ死脳喰らいの顔を照らした。


 その顔の横についた物。生存本能が、生きようとする意志が自動的にその剣を選択させる。奴は己じゃなく常にアスフォデルスを狙っている。なら、その狙い自体を狂わせれば。


「――」


 一度バルレーンに向けて、わざと血ぶるいを三度大袈裟に。前に予告なしでやったら、しこたま怒られたから。以来これを使う時は合図をするのが彼女との約束だ。

 己は撃剣の合間に後ろに跳躍。同時に剣を音を立てて仕舞った。ぱん、という無数の小さな瓦礫達が弾けた音が一つ。


「あぁ!」


 死脳喰らいが短く悲鳴を上げる。……奴に人の耳が有るなら三半規管だって。ましてやぽつりと小声で漏らしたアスフォデルスの呟きを、この雑音大反響合戦の中で拾うなら、大量の脳を連結して聴覚を強化してる筈。なら、鞘に刃が滑り落ちる音を音の早さで奏でたら?

 奴は今、知覚の海に溺れている。壁から生えた胴は深く上下に左右し、無数の触手は陸に上げられた魚の様に跳ねていた。


「ユーリーフ、今!」

「のじゃ!」


 今だ! ……己はアスフォデルスを拾うと横脇に抱えて走る。持ち抱える際、右足がぽろりと滑り落ちた。

 バルレーンがユーリーフの車椅子の背後に足をかけると魔力の糸が繰られ、車椅子の車輪が高速回転する。

 己は、人の言葉を訳あって喋れない。でも一瞬、昔の癖で「しばらく寝ていろ」呟いてしまった。勿論言葉に直せば、唸りにしかならない。

 だが、去り際――


「あっあっ、寝ない、あっあぁああ、返せ……」


 ぎょっとした、それと同時に奥の部屋に滑り込む。

 命からがら、滑り込む様に部屋に戻ると右の扉は己が、左の扉は騎士人形が押して無理矢理閉じた。再び鍵を掛ける事も忘れない。

 一度息を吸って整える。空気は生き延びた事の味がした。


「その扉の厚さを考えたら、もって六分って所か……」


 バルレーンの言う通り、そう長くはもたないだろう。それにアスフォデルスは――

 改めて見たアスフォデルスは、酷い有様だった。体は刻一刻と溶けていく。あまりにも酷い有様で、正直目を背けたくなった。

 何とかしてあげたい、己の体で使える物があるなら何を差し出したって構わない。何とかならないだろうか、そう思ってバルレーンを見るが彼女は首を横に振るだけだ。


「アレを開けない事には……」


 そうして彼女が見るのは鬼灯の様に輝く赤い扉。分厚く輝くファルトールの残した壁、ユーリーフどころかアスフォデルスすら開けられなかった隕鉄の要塞。

 アレを開けられればいいのに……苦しそうなアスフォデルスを、助けてあげられるのに。

 そこで――


「あぁ!」

「どうしたのユーリーフ!」


 そこでユーリーフの叫びが響く。ふと振り替えると、どうやらさっきの音の刃はチェス盤の砂像も音で砕いてしまったらしい。彼女の膝の上の砂像は再び組み上がる真っ最中だった。

 やがて出来上がった像は最奥の扉。それをしばし見つめると、ユーリーフは一言。


「……アレを破る道具を思い付いたのじゃ」


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