第8話:「アスフォデルスの取り扱い説明書8・喧嘩っ早いけど、繊細で鈍感」
懐かしい香りがした。狂おしい程の郷愁と安らぎを誘う極楽百合の香りだった。その香りに惹かれ、それは『機帥の迷宮』を這いながら、十階にも満たぬ程の低層に姿を表したのだ。
目的の物を見つけるとアーチ上の天井の上からまるで水滴が落ちるように下へ降りた。
……身体には数か所、焦げ付きと共に深い穴が開いている。先程まで戦っていたゴーレムが付けた物だ。……なんとか退けはしたが、さりとて無傷とは行かず、これまで痛みから呻き声が何度も漏れた。
しかし、それを見た瞬間痛みすら忘れた。
一滴の血だった。石に吸われ、もう香りしか残っていないその黄金の血の痕をそれは一口幾つもの舌で舐め取る。その味はただただ懐かしく、甘く、狂おしく、優しく、流す目も無いのに涙すら誘った。
自分が欲しかったのはこれだったのだ。それは純粋にそう思った。この迷宮に訳も解らぬ内に放たれた理由がようやく解った。
自分はこの血の主に会う為、還る為、辿り着く為、抱き締める為、取って喰らう為にここに連れて来られたのだ。
「あ」
闇の中に一度、その声が木霊する。
「あっ、あっ、喰らう、あっ、あっ、愛して、あっ、あっ、抱き締めて、あっ、あっ、還る、あっ、あっ、往く――今、そこへ」
……取って喰らった数十人の脳を励起させ、無理矢理繋げて一つの言葉にした。胸に抱いた郷愁に駆られ、けして祝福されない者が闇を追う。
× × ×
彼女たちは『機帥の迷宮』の最奥、三十階へ到達した。
「ですので、師匠の技術の源流は古代技術にあります! 宝石魔術と組み合わせ、魔力電池にスライムで包んだ銅線を繋げ、石自体に魔力を流すことで機構を成す! それが基本的な仕組みですよ!」
「それが、アルンプトラ殿が影響を受けた技術なんですな! ならば、あの扉にも宝石が仕掛けられておりますかのう!」
「勿論です! そう言えば、これは笑い話なんですが! その昔鍵穴に鍵を挿した時の音を利用して合鍵を作った魔術師がいまして!」
「それは! とっても! 興味深いですな! 妾は、塩で偽造した宝石でゴーレムを作った奴を知ってます!」
ユーリーフとアスフォデルスが熱く語る一方で、バルレーンは呆れた様子で嘆息する。
「君たち、仲が良いのはわかったからさ……」
「「仲良くない!」」
「……とっくの昔に最奥に着いたぞ、アマ共」
そんなやり取りが広がるのは、光苔が繁茂した明るいドーム型の部屋。周囲には何もなく、北側には三メートルほどの淡く輝く両開きの扉が鎮座している。
隕鉄の赤――ファルトールの工房の扉だった。
「おかしいな……」
「どうしたんですか?」
「君と組んでから、あのゴーレムが一切出てこない。ここは奴の根城だぞ?」
「確かに……」
言われてみれば、十字魔法銃を持つゴーレムはまだ姿を見せていない。ユーリーフとの会話が盛り上がって、正直気づいていなかった。そもそも、何故あの時に十字魔法銃を撃つ手を突如止めたのか……考えればキリがない。
「普通だったら奴にある程度ダメージを与えて行動不能にしてから鍵開けだ。……奴が最奥まで放置するなんてあり得な――」
「一週間ぶりじゃのう、可愛い子ちゃん! すぐ丸裸にしてやるからのう!」
いても経ってもいられないという風にユーリーフは車椅子で急ぎ駆け寄ると、魔力の糸を繰り背もたれの部分の機構を展開。
フラスコやシリンダー、ビーカーに試験管。ゴーレムの素材になる羊皮紙や霊薬の種となる各種ハーブ類、果てには火を熾す炉など様々な道具が出て来る。
「あ、あれ。どこ行ったかのう? あった!」
しばらくして、ようやく収納されていた鍵開け道具を一式出す。そして操作を切り替えて、小人のゴーレム達にそれを持たせると。
「この前の安物とは違う! ドワーフに打たせた特注品じゃ!」
チェス盤にその隕鉄の扉、内部の機構が再現される。これが彼女が前回今一歩まで行った理由の一つだ。
鼻息荒く取り組む彼女を、他の三人は微妙な表情で見守った。
――そして数分後。
「どったの、ユーリーフ?」
「……折れちゃった」
「アンタって子はー!」
今日最後のバルレーンの絶叫が響いた。
「何をどうすれば、こんな機構を組むことが出来るのじゃ?」
「前座はどいてください、どうやら私の出番ですね!」
自信満々な笑みを浮かべながら、アスフォデルスが鍵開け道具を取り出す。
「あー、こういう人嫌いなのじゃあ……」
しかし、一分後――
ぼきんという、何かが折れる音が再び響く。
「ざまぁ! ざまぁ見るのじゃ!」
「いやいや、今のは素振り……そう、素振りですから!」
二人は交互に鍵開けを試みたが、二時間後には完全に根を上げていた。
「無理じゃ……これはもう無理じゃ……」
「なんで開かないんですか!? 師匠の意地悪!」
「とりあえず、今日は上がりにしな。このまま続けても消耗するだけだよ」
バルレーンの言葉に従い、一行はここを仮の野営地とすることにした。
野営地の準備が終わると、アスフォデルスは装備を外し、荷物を解き始める。
黒の三角帽と片マント、青い袖なしコートを脱ぐと、重厚な銀のポイントアーマーが姿を現した。
「悔しいのじゃ……こんな人の作品で、興奮してしまったのじゃ……あぁでも凄い」
ユーリーフが興奮混じりに呟く。するとアスフォデルスは茶色い髪をかき上げ、にたりと笑った。
「では、もっと面白い物をお見せしましょう」
アスフォデルスはアストロラーベを手に取ると、片マントの裏に吊り下げた革のポーチホルダーに手を伸ばす。そこから何本かの金属製の筒、そして手のひらに乗るほど小さな茶色い四角形を手にした。
「我が一門はアストロラーベを多用します。星界と地上の中心として自分を、発明品を小世界と仮定し……それを管理する物として自分の爪や血を入れ生命に呼応させたアストロラーベを使うんです」
地面に四角形のそれを置き、アストロラーベを操作すると、コイルが回転し狐の敷物が広がった。
バルレーンは口笛を鳴らし、ファングインはぬいぐるみの後ろから、ユーリーフは嫉妬の声を上げる。
「これは小手調べですよ」
次に金属の筒を手に取り、一気に飲み干す。
「やはり、冷えた井戸水は美味しいですね」
さらに別の筒を開くと、干し麦や乾燥ベーコン、野菜が詰まっていた。
「これにお湯を入れれば、リゾットになります」
彼女の発明に、ユーリーフは震えた声を上げる。
「……どうやられたのですか、これ?」
「召喚魔法を機械化したのですよ、このコイルで」
ユーリーフに対し、アスフォデルスはそう言った。
これが、アスフォデルスが作った機械の真の能力であった。希少金属を使って作成したコイルにより発生した磁場を利用して召喚魔法の代用とし、アストロラーベの操作で座標を合わせる事で、イシュバーン地上の工房に存在する倉庫から物を取り寄せる。基礎理論は召喚魔術、応用理論は天体魔術、実行理論は錬金術で、作成方法は機械工学の産物だ。
「これによって魔法銃の弾薬、食料や水、生活雑貨を自由に取り寄せる事が出来るんです――名付けるなら『小さなスターゲート』とでもしましょうか」
「これを、一人で……?」
「設計は一分、作成は一時間。部品の作成と費用の捻出は一週間です」
何でもないことのように言うアスフォデルス。その姿に、ユーリーフはただ呆然とした。
先程まで悪戦苦闘をしていた彼女達を労う気持ちがバルレーンとファングインにもあったらしい。食事の準備は彼女等二人が行い、ユーリーフとアスフォデルスは出来上がるまで少し休む事が出来た。そこで、おもむろにユーリーフがチェス盤を差し出す。いつも砂像を使ってるそれは、今は白い砂と黒い砂の両方でチェスの駒達を模っている。
「魔術師同士の挨拶はチェスじゃろ? 噂によれば、かのアルンプトラ卿すら下したというお手前是非とも」
「いえ、魔術師同士の挨拶は研究成果の見せ合いですよ。チェスはただの趣味です……ですが勝負は買わせていただきましょうか」
そうして彼女達はチェスの勝負に興じる事となる。アスフォデルスの打ち方は老練な黒、流石は年の功と言った所か……攻守共に隙のないマスターに相応しい打ち方。剣士で喩えるなら秘奥に達したが故、人を手玉に取り玩弄する達人である。
対してユーリーフのそれは血気盛んな白。若さ故の迷いのない我武者羅な打ち方、迸る炎の様なそれは時折アスフォデルスの老獪な罠に引っかかるものの、さりとて突如として浮かび上がる突拍子のない閃きにより窮地を脱し、負ける事なく喰らい付いていく。剣士で言えば若く体力に溢れるが故、猛攻を好むそれだ。
「く、よくもまぁこんな嫌らしい手をホイホイ思い浮かびますな」
「貴方は些か攻撃に寄り過ぎてますね。防御は知性というより野生の勘で紙一重で躱してる感じ、……これでは酒場の雑魚は倒せても私には届きません」
十手で序盤を終え、中盤に入り、三十手で終盤に。優勢を保ったまま、四十六手でアスフォデルスは勝利を勝ち取った。
「あー、嫌らしい手に嫌らしい手が嫌らしい手を重ねて更に嫌らしく!」
「型破りな創造性というのは、キチンとした基礎があって初めて戦術として成り立つ物です。土壇場の発想の突飛さは面白いですが、……持って生まれた才能だけで勝てる程私は甘くありませんよ」
基礎を練り上げたが故に攻防を極めたアスフォデルスと、才能に傾倒した突飛な手段を取る攻撃偏重なユーリーフ。その違いが如実に表れた結果であった。
「趣味と称して相手の思考を覗くとは、なんと高等な嫌がらせ……!」
穏やかに時は過ぎる中、彼女等は夕食を取る事に。今まで倒した魔物が持っていた槍の柄や弓矢を割って作った薪と魔物除けの薬草をくべ、それでベーコンを炙る。ぱちぱちという脂の跳ねる音がしばし響いた。
「いざベーコンの匂いを嗅ぐと、お腹空いてきますね」
「迷宮は降りるだけでも体力を使うからねー、お上がり欠食児童。またの名をお年を召したレディ」
後は堅く焼いたパンとドライフルーツをそれぞれ鞄から出す。後は先程アスフォデルスが用意した大麦のリゾットを人数分。それが本日の夕食であった。
アスフォデルスは脂ののったベーコンをフォークで刺すと、そのまま口に運ぶ。疲れ切った体に炙ったベーコンは染みる程美味かった。
堅焼きパンは小麦類を合わせて作った為か素朴な味わい。ドライフルーツはレーズンと林檎と木苺であり、一口つまむと甘酸っぱさが口一杯に広がる。
車座にバルレーンから時計回りに、ファングイン、ユーリーフ、アスフォデルスと炉端を囲み、各々がバラバラな仕草で食事をしていた。
バルレーンは食事前に両手を合わせ祈る。ファングインは体格の割に一口が小さく、物を口に運ぶ回数と咀嚼が多い。流石にぬいぐるみは端に置いていた。ユーリーフはゴーレムを操作し、車椅子から展開した腕で正しいテーブルマナーで食事をしていた。
「迷宮の様子、変じゃない?」
「確かに。サイクロプスが浅い層に出るのはおかしいのう」
本来なら二十階以降に現れるはずの魔物が、上層で目撃された。一匹や二匹が上の階層に迷い混むというのは考えられない話ではないが、先程のは休む巣が形作られていた。これは異常と言える。
「……単純に考えたら、二十階には住めなくなったから上がってきたんだろう」
「その理由は?」
バルレーンはナイフでベーコンを切りながら、答える。
「あのサイクロプスは怯えていた。何かに負けたんだ」
「肥壺もあったしのう」
そこで吹き出す音が一つ。次いで、数度むせる音も。
「……その、食事中に肥壺はちょっと……」
口に運ぼうとしていたベーコンを途中で下げ、些かげんなりした顔でアスフォデルスはそう言った。そこで二人ともようやくこれが食事時に話す話題でない事に気付いた。
「なんじゃなんじゃ、高々肥壺と聞いただけで食事が進まぬのですかなー? アスフォデルス殿は繊細じゃな、この先生きのこれぬぞ? 妾なんてジャイアントアントの話でも食事が出来るぞ?」
「これだから、冒険者魔術師は……」
「なんじゃと!? 自分はもう魔術師でもない癖に!」
「なんですって!?」
そこでバルレーンが唐突に話を変える。
「はいはいわかったわかった! ごめん、話題変えよっか。それじゃあ言い出しっぺの法則で、アスフォデルス! 何か良い感じの話題を!」
赤髪の女盗賊は口元に付いた脂を親指で拭うと、若干のしたり顔を浮かべてそう言った。
「え、そ、そんな急に言われても……」
「そしたら、こっちから質問しよっかな」
バルレーンはそう言うと、にやりと人懐っこい笑みを浮かべる。ファングインは何時の間にか顔前に出したぬいぐるみの隙から、何かを測る様にじっとアスフォデルスを見ていた。
「それじゃ、魔術師ファルトールってどんな人だったの?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます