第7話:「アスフォデルスの取り扱い説明書7・発明品を作るのは得意でも、使うのはちょっと苦手」


 バルレーンの予感は的中していた。


「宝箱がありますね、この程度の鍵、粉砕しましょう!」

「それはミミックだよ!」


 無警戒に擬態型の魔物へ近づき――


「矢の魔術と酸の雨が吹き荒ぶエリア……突き進みましょう!」

「迂回するのじゃ!」


 魔法の罠を無視し――


「悪霊の溜まり場ですね、焼き払いますか」

「やめろぉぉぉ!」


 必要のない敵対を招く。


「サイクロプスが寝てますね! ちょうどいいです、この聖なる――」

「寝た子を起こすでない!」


 そして、最悪の事態が起こる。一人が階段を数段降りた瞬間――


「「「うぎゃああああああ!!!」」」


 呪いが発動し、全員が悲鳴を上げる。


「聞いてない! こんなに厄介だなんてボク聞いてない!」

「悪夢じゃ、これ見なくていいタイプの悪夢じゃ!」


 その挙句二人は泣き叫び、ファングインはぬいぐるみで顔を隠していた。


「アスフォデルス! 迷宮は一歩間違えたら死ぬんだから迂闊なことするな!」

「だって、この装備折角作ったんですよ!? なるべく全部の機能を使いたいじゃないですか!?」

「こいつやだー!」

「でもちょっとわかる! でもやめろなのじゃあああ!」


 頭を抱えながらも、迷宮探索は続く。現在三階。今まで魔物に襲われなかったのが奇跡だった。


「こんなに頭を抱えたのは、港でバラムツを二十切食べた後にトイレが満員だった時以来じゃ……」

「いいかい、アスフォデルス。君のその装備が凄いのはよくわかった、でもね……」


 その言葉を遮るように、彼女の耳とファングインの鼻が反応する。

 鍛えられた鉄と革の匂い、武器と防具の擦れる音――進行方向に他の冒険者がいる。


「嫌な予感がする。会話とデカい胸で解決できないタイプの、ボク達が苦手な問題の予感が」


 バルレーンの予感は、またしても見事的中した。


 ――――。

 ――。


 四階に続く階段前。白銀の鉄兜を被り、黒いローブを纏う男が立っていた。その周囲には革鎧を着たならず者たちが複数いる。

 彼は妙に身綺麗な出で立ちで、赤い宝石の嵌った錫杖を持っていた。姿を見た瞬間、アスフォデルスの顔が強張る。


『どけチビスケ!』

 冒険者ギルドで追い立てた、あの男だった。


「待っていたのである、お嬢さん方」


 粘っこい若い声。男は目礼し。


「縁あって、貴方達と同じ冒険者をしている。どうかお見知りおきを」


 胸の冒険者証は銅。この街のありふれたろくでなし達に混じっては、妙に品のある雰囲気を持っていた。


「ま……まさか。こ……こんな事が許されてよいのか!?」

「どうしたの、ユーリーフ?」

「知らん人じゃ……」

「交渉はボクがやるね」


 バルレーンが前に出る。


「単刀直入に言おう。貴方達が持っている賢者の石を引き渡していただきたい」


 男はローブの中から革袋を取り出し、紐を緩める。中には真新しい金貨がぎっしりと詰まっていた。


「これを後五つ程用意している。……これ程の金額、お目にかかったことはないだ

ろう?」


 ユーリーフのゴーレムが動き、チェス盤に男の手が革袋を握った像を組み上げる。そうして小人のゴーレムの瞳は重さを推定し、そこから金貨が何枚入ってるかを翡翠の髪飾りから耳の骨を伝って音で伝えた。

 視覚による分析。形状や重さの推測、これがユーリーフの小人のゴーレムの機能である。


「賢者の石の対価としては、些か額が少ないのう……」


 男の額は、このパーティーが一年遊んで暮らせるほどの額。だが、賢者の石の対価としては適切とは言えなかった。


「アスフォデルス師が作った賢者の石ならいざ知らず、ファルトール師の賢者の石は……少々赤みが足りん。二流魔術師の作品故に、品質に難がある物にこれ以上の金額はとてもじゃ……」

「なんじゃとこの野郎! そんな事言われたら……殺すしかなくなっちゃうのじゃ!」

「やーめなーさい、ユーリーフ! おっと……」


 瞬間頭に血が昇ったユーリーフを抑える言葉に、奇妙な続きが生まれたのは赤瑪瑙の瞳がその怒りの鼓動に向いたからだ。

 ファルトールの直系、アスフォデルスである。彼女はその青い瞳を大きく見開き震えていた。師匠の侮辱を彼女には許せなかった。品質に難があるだと、二流魔術師だと、何を知った口を聞いている。衝動的に怒鳴りつけようとした直前。


「うー」


 そう言うと、銀髪の大女が背後から彼女の右手に肩を置き、ふるふると首を横に振っていた。兎のぬいぐるみで顔を隠してる為、表情は解らない。ただ、その目はけして怒ってはならないと諫める様な眼差しだった。


「ですが、この方は……ッ」


 二の句も告げずにそう言うと、ファングインは再度首を横に振る。


「ありがとう、ファン」


 背後で起こった事を振り返らずに察すると、彼女は一度仲間に礼を言う。


「さぁ、どうだろうか。若輩がこう語るもなんだが、冒険者は引き際を見極めるのが肝心だろう」

「まぁ、それはその通りだね」

「ば、バルレーン? 嘘じゃろ、受けたりせんよな?」


 不安げなユーリーフを人差し指で制し、そう言うと彼女は陽気な笑みを浮かべる。つられて男も鉄兜の中でにやりと笑った。

 酷薄な、冷たい笑みの応酬。破談はまるで氷がひび割れる様に。


「悪いけど、そこ通してくれないかな? ボク達、急いで一番下に着かなきゃいけないんだよね」


 あっけらかんと言う彼女に対し、男は上辺の虚飾を剥がし取り乱した様に叫び声を上げる。恐らくは自分の思い通りになると直前まで本気で考えていたのだろう。この手の魔術師の冒険者にありがちな発想だ。


「な、何故だ! これ程の金額を用意したのだぞ!」


 その言葉に対し、バルレーンは直前で赤瑪瑙の瞳をアスフォデルスを向ける。


「ボク達、お金は欲しいけど……お金だけじゃもう動けないのよね」

「なるほど、なら仕方ないな……」


 鉄兜の男が右手を上げる。周囲のならず者達が武器を構え、二十人がかりで包囲する。


「勝ったらこのアマ共を好き勝手しますぜ」

「かまわん。どうせこいつ等が陽の光を浴びることはもうない」


 ならず者たちが下卑た歓声を上げる。バルレーンは呆れたように息を吐いた。


「まぁ、そうなるとは思ってたけどさ……下半身に脳が直結しすぎでしょ」


 ただその中で、一人だけ右目の潰れた老齢の男が退屈を紛らわせる様に鞘に収まった長剣の柄を叩いていた。にこやかな笑みを浮かべてはいるものの、その冷めた瞳は、バルレーンだけに向けられている。胸には金の冒険者証が輝いていた。


「レナード、出番だ! 高い金を払ったんだぞ!」

「申し訳ありやせん、旦那。あっしはちょいと一休みで」

「なに……?」

「護衛として報酬分の仕事はいたしますよ、どうか平にご勘弁を」


 レナードと呼ばれた男は、懐から林檎を取り出す。彼はそれに口を付ける事なく、柄の代わりに弄び始めた。鉄兜の男は動かないレナードに見切りを付けると、黒ローブの裏からチェスの駒程の白い彫像。そして濃紅の液体が入ったフラスコを取り出し地面に置く。


「《汝は土を祖にした、人の似姿。肋の代わりに形代を素、法陣にて胎動せよ――ゴーレム》」


 彫像を軸に魔力が流れ、エーテルが乱舞する。その場の岩が集積され、それは人の形を模り、そこに四メートル程の岩の人形――ゴーレムが現れた。しかし彼の呪文はそこで終わらない。


「《素には土、赤きティンクトゥラの理を借りて、汝を覆う鉄の武具とならん》」


 そう唱えると、ゴーレムの素材が岩から鉄に変わる。そしてゴーレムの足元に二つ、岩で出来た剣と盾がせり上がると鉄の巨人はそれを手に取る。途端、武具も鉄に存在を置換される。


「この力! これこそがゴーレム!」


 意気揚々と鉄兜の男は語り、右手でローブの長びれを払う。腰には真鍮製の筒が吊り下げられ、中央に嵌められた数字の白い円環が独りでに回転していた。傀儡環というゴーレムを精密に操作する為の道具である。彼が右手を繰ると、ゴーレムが右手に握った剣を一薙ぎする。ダンジョンの壁が一直線に抉れた。


 そこで壁の欠片が一つ零れ落ちると、返す刃でそれを両断。何か仕掛けがあるらしい。明らかに普通のゴーレムより力強く俊敏であった。

 更に刃や鎧にはきらりと輝く鉄ではない光。


「そこの金の髪、お前もゴーレム遣いなら解るだろう! このゴーレムの素晴らしさが!」


 そう話を振られると、ユーリーフのその緑の瞳が細まり分析の光が灯る。同時に小人のゴーレムの瞳が回転し、分析を始めた。


「この大きさの岩を鉄に変換するとは、かなり高度な技術じゃ……何よりその光沢。ただの鉄ではないようじゃな」

「ご名答。流石はゴーレム遣いである」


 彼女がそう言うと彼は鉄兜の裏で満足げににたりと笑った。


「特殊な精錬方法により、我がゴーレムは鉱物でも最硬の金剛石を纏っている。攻守備えた我が傀儡こそ、かの隕鉄のゴーレムに相応しかろう!」


 自慢げな彼の言葉に対し、ユーリーフは愕然とした表情を浮かべ。


「ま、負けた……金の力に! 金の力に!」 

「――更にはこの人数、自らの選択を後悔しろ!」

「魔術師なのに取る戦法は脳筋なの……しょうがな――」


 あまりのなりふりの構わなさをバルレーンは揶揄する。直後彼女は自らの得物を抜こうとするも、喉から突如溢れる熱い物に反射的に右手を当てた。塞いだ指の隙間から鮮血が漏れ、床に小さな血飛沫を落とす。


「バルレーンさん!?」

「あー、大丈夫。いつもの事だから……おっと」


 咄嗟の事で顔が青ざめたアスフォデルスに対し、バルレーンは口元を手の平で拭うと、何事もなかった様に笑いかけるものの一度膝を落とす。


「なんだ、今にも膝から崩れ落ちそうじゃないか?」

「……あー、年食うってやだやだ」


 鎧の男が嘲りながらそう言うと、ゴーレムが剣を下げる。赤髪の女盗賊は何事もない様にそうは言うものの、血の匂いは濃く迷宮に香った。その中で金髪の魔術師が車椅子の車輪を回し、一歩分前に出て。


「……バルレーン、ここは妾が行こうか? あやつ等をボコボコにして、迷宮の魔物の餌にするくらい妾でも出来るかも」

「いや、君は主力だ。無駄な戦いで消耗させたくない、魔力だって限りがある」


 そこでファングインは一度腰の剣を引き抜こうとするが、左右の手が突如震えだし、柄から右手が滑る。


「参ったな、ファンも一回休みか」


 それを見て、バルレーンがぽつりと呟いた。


「なら、ここは私が行きましょう」


 そこで挙手と共に声が一つ。アスフォデルスであった。彼女は手を下げると、そのまま青いコートの乱れを直し、黒のトリコーンの位置を調整する。バルレーンは一度ふむという声を上げ、一瞬の間に考え込んだ。そして背後のアスフォデルスを一度見やる。


「どこまでやるつもりだい?」

「全員相手にしますよ、この装備のいい肩慣らしです……それに」


 その青い目が鉄兜の男を一度向く。気取ったいけすかない魔術師は、ゴーレムの後ろで鼻唄を歌っている。


「あの下郎は、師匠を侮辱しました……高々鉄のゴーレムを使える程度で、私の師匠を、あんな魔術師の屑がッ」


 言葉は後半は憤怒と怨嗟が籠っていた。対敵を見つめながら手を動かし、アスフォデルスは片マントの裏で何かを作り上げる。


「よし、いい機会だアスフォデルス。これは君の試金石だ、こいつ等を片付けてみてよ――って痛いなもう!」


 アスフォデルスが反応するより早く、ファングインが怒りの声を上げ赤髪の女盗賊の右耳たぶに噛みついていた。


「しょうがないじゃん、今アスフォデルスしか無事なのいないんだから!」


 仲が良い相手には手が出るタイプらしい。引き続きバルレーンの耳を噛り続けるが。


「それに、ここらで何ができるのか見た方がいいでしょ――ほらもう行っちゃうし」


 あ、という表情を浮かべると、次の瞬間ファングインはぬいぐるみで顔を隠し引き止めようとするが間に合わない。

 そしてそんな彼女達を後目に、アスフォデルスの姿を見るとゴーレムの背後の男は再び嘲りの声を上げた。周囲のならず者も皮肉の笑いを漏らす。


「そんな子供に一体何が出来る? だから皆、お前の事をこういうんだ。口だけのバルレーンとな」


 そうして、彼は鼻で笑って嘲りの言葉を続けた。


「その齢で冒険者とは、親の顔が見てみたいものだ」 

「……誰にも、師匠を侮辱なんてさせない。それにギルドホールでの恨み、百万倍返しで返して上げますよ」


 もう相手の声すら彼女には届いてない。アスフォデルスが焔に焦がれる。それは自らすら焼き尽くしかねない程の、怒りの焔であった。


 ――鉄兜の男達との戦闘が始まる。

 アスフォデルスは魔法銃を構え、詠唱なしで矢の魔術を連射する。十数発を放つも、弾切れする様子はない。

 弓矢や魔術が飛んでくるが、直撃しても青いコートと帽子が全て阻む。だが、彼女の表情は冴えない。


「動いたら当たらないでしょう! 当たらなかったら死なないでしょう!」


 引き金を引き続けるが、思った通りに当たらない。工房襲撃時と同じく、思い描いた絵面と現実が噛み合わない。

 左腕を向け、二の腕から鉄の矢を射出。矢は複数に分裂し、ならず者たちを次々と貫いた。


「畜生、舐めやがって!」


 ならず者の一人が怒声を上げ、アスフォデルスに肉薄する。

 刹那、短剣が閃く。寸前に銃を向けるも、敵の矢が直撃し、弾き飛ばされる。


「喰らえ、俺の回転尊厳凌辱理解(わからせ)六連!」

「きゃあッ!」


 咄嗟に片マントを広げ、硬化させて刃を防ぐ。だが展開が予想と違う。本来なら圧倒しているはずだった。

 歯噛みしつつ、彼女は右手を後方に向ける。射出された鉄の網が、弾き飛ばされた魔法銃を回収。

 左手にも銃を握ると、銃把のボタンを押す。

 ふくらはぎの装甲が開き、噴射器が現れる。背部の球体が下を向き、炸裂音とともにアスフォデルスは飛翔した。


 空中で再度ボタンを押し滞空。

 片マントの硬質化を解くと、引き金を引き続けながら火炎放射を放つ。

 しかし、天井に近づいたその瞬間――

 全員の胸に激痛が走る。バルキスの罠による呪いの警告痛である。


「ひっ!」


 激痛に耐えつつ、アスフォデルスは空中で身を捩る。その刹那、赤い閃光が土煙の中から放たれた。

 直撃を避けるも、二撃目が腹を捉え、彼女は地面に叩き落とされる。


「《機構の一、流動する刃》!」


 粉塵を裂いて現れたのは、鉄兜の男とそのゴーレム。

 彼が指を繰ると、魔力の糸が連動し、傀儡環の歯車が回転する。

 次の瞬間、ゴーレムの剣が罅割れ刀身が伸びた。


 剣を握った手が大きく振りかぶられたかと思うと、その刀身が伸びた。伸びた刃は十数メートル先まで石畳を両断。腕がまた振るわれると、斬撃はしなりを見せ鞭の様に流動し、一本の剣となる。


 ――仕込み機構という、一部の戦闘用ゴーレムに内蔵される特殊な機構である。しかし作成や運用は生半な実力では出来ず、扱えるのは一部の熟練者だけだ。


「隕鉄のゴーレムへの切り札をここで切る羽目になるとは……」


 男は歯噛みしながら呟く。


「だが、ここまで足掻いた冥土の土産だ! とっくりと味わうがよい……この仕込み機構、もしご存命ならばゴーレム遣いの御祖、かのアルンプトラ卿すら賞賛していたであろう!」


 かつての親友の名前を出し、勝ち誇る。

 アルンプトラは二百年経った今では伝説のゴーレム遣いと化していた。今鉄兜の男が使っている傀儡環も、壁や床に縦横無尽の傷を刻む仕込み機構の刃も全て彼が生み出した物だ。


「く、ぅ……!」


 アスフォデルスは地面に叩きつけられ、衝撃と警告痛に喘ぐ。銃把のボタンを押すが、脚部の噴射器は動かない。


「動……け! 動きなさい、……動いて下さい!」


 怯えた少女のように竦みかけたその瞬間。鉄兜の男は、わざと外しながら矢の魔術を数発放つ。


「恐怖せよ! 竦み上がった眼で媚びよ! 我輩に歯向かったことを後悔しながら死んでゆくがよい!」


 あの時味わったのと同じ死の予感が走る。

 その瞬間、彼女の思考が盤上へと切り替わる。

 局面は自然と理解できていた。次に何を打つか、どう動けば勝てるか。

 剣が振るわれる刹那、彼女は片マントの裏からストックを取り出し、右手の銃に装着。

 天体観測儀(アストロラーベ)を一回し、銃口を自身の足元へ向ける。

 発砲。コイルが回転し、電流が弾丸を加速。その反動を利用し、振り下ろされる刃から回避。

 そのまま滑空し、銃を連射。

 さらに、反動を利用して姿勢を立て直す。


「珍妙な業を使いおって!」

「粗いチェックを仕掛ける方が悪い!」


 銃と剣を突きつけ合う距離――十メートル。アスフォデルスは呼吸を整え、アストロラーベを再び回す。

 今はクイーンが取られた。でも、まだナイトとビショップが残っている。ならば……そう思い、彼女はアストロラーベを一回しをする。

 鉄兜の男が傀儡環を回し、剣をしならせる。一方、アスフォデルスは魔法銃を連射。だが、弾丸は壁や天井に当たっていく。


「雑魚め! 臆したか!」


 がちり――という音を立てたのはその時だ。

 天井や壁に食い込んだ刃が、白いスライムに固定されている。

 それは、粘着スライム弾。魔力を通すと粘着し、一定の運動で硬化する特殊な弾丸。……チェスの応用だ。思い描いた勝ち筋の為、その布石を仕掛けるというのは。


「ようやく、チェス盤に手が反映されましたか……」


 彼女の頭は冷え、勝ち筋が見えた。


「貴方は後一手」


 取り出したのは、二十センチほどの球体に十字が付いた物。


「これが私の切り札です」


 十字ピンを引き抜き、ゴーレムの中心へ投げつける。

 鉄兜の男は脊髄反射で、ゴーレムの盾を前に掲げた。

 閃光。

 迷宮の暗闇を切り裂く聖火が弾ける。

 数秒後。光が収まった時、鉄兜の男は目を見開いた。ゴーレムの前方が、丸々吹き飛んでいた。


「聖なる鉄炮(てつはう)。浄めの焔が魔力を払い、魔術を吹き飛ばす魔術師殺しの武器ですよ」


 アスフォデルスは右手の魔法銃を構える。左足を立て、右足を土に……その場で片膝で跪く姿勢を取り、青い瞳を照星に合わせて銃床の先を左手親指の上に。

 照準は彫像。引鉄は彼の自信と共にゴーレムの核を打ち砕いた。


「――魔術師は、借りを返す」


 ――――。

 ――。


 膝をつき、崩れ落ちる四メートルの巨体。核を破壊されたゴーレムは、地面に伏せる形で沈黙した。


「そ、そんな……我輩の……ゴーレムが……」


 鉄兜の男が呆然と呟く。アスフォデルスは右手の銃を男に向けたまま、一歩一歩ゆっくりと近づく。

 青いコートの裾と黒の片マントが微かに揺れ、狙いは彼の胴に付けられたまま。両手で魔法銃を握り直し、冷静に告げる。


「チェックメイト」


 鉄兜の男は引き攣った声を上げ錫杖を彼女に向けた。


「な、なんだ……その装備は!?」

「魔術と錬金術の応用ですよ。いい出来でしょう? 全て歴史の闇に消えた技術で作りました」


 彼女の装備は、この時代には存在を忘れ去られた技術の結晶。それを再現できる者は、おそらく彼女以外にいない。


「貴方は……一体……?」


 その目は、もはやただの子供に向けるものではなかった。アスフォデルスは右手を胸に当て、老獪な魔術師のような笑みを浮かべ、一礼する。


「――我が名はアスフォデルス。魔術師ファルトールの弟子にして、賢者の石の到達者の一人。少しは名の知られた魔術師かと」


 言葉を終えた瞬間、短剣が投げられた。

 眉間を狙った一撃。しかし何かに弾かれ、カランと床に転がった。


「……ッ!?」


 直後、鉄兜の男の姿が消える。脊髄反射で追うと、そこには壁にもたれかかっていたはずのレナードが、鉄兜の男を肩に担いでいた。


「申し訳ありませんが、あっし達はここでお暇させていただきやす……相変わらず、お見事な腕だことで」


 最後の言葉と片目は、アスフォデルスではなく、赤髪の女盗賊――バルレーンへと向けられていた。

 次の瞬間、彼の姿は闇へと消える。後に残ったのは、呻き声を上げるならず者たちと、徐々に元の岩へと戻っていくゴーレムの残骸。

 バルレーンはレナードたちが消えた闇を一瞥し、地面に落ちた両断された林檎を拾い上げる。右手からはいつの間にか血が滴っていた。

 その切り口をぴたりと合わせると――


「やーなのに目を付けられちゃった、かな」


 ぽつりと呟き、アスフォデルスに向き直った。


「お疲れ、アスフォデルス」

「い、今のは一体?」

「気にしないでいいよ。しかし、一時はどうなるかと思ったが……いやー、見事な勝利だったね」

「そうでしょう! えぇ、そうでしょうとも!」


 おだてられると、すぐ調子に乗る。バルレーンの賞賛の言葉に、アスフォデルスは先程の疑問を忘れ、気を良くした。


「いやー、彼には悪いですが……いい腕ならしになりましたよ。ちょっとやり過ぎちゃったかなーとも思いますが、師匠を侮辱したツケを支払わせただけよしとしますか。彼ご自慢のゴーレムは、この師匠譲りの銃で木っ端微塵に破壊しましたし」

「……あの辛勝具合で、あそこまで調子に乗れるのは間違いなく才能なのじゃ」

「うー」

「ファルトール殿と故アルンプトラ殿の苦労が偲ばれるのう、剣士殿」

「うー」


 遠巻きに、ファングインとユーリーフがぽつりと呟く。


「本当、素人にしては非常に見事な勝利だったよ。生まれたての小鹿が立ち上がるのを思わせるくらい、手に汗握る戦いだった」

「はい! ……はい? ちょっと、それどういう意味――」


 世界が回る。いつの間にか態勢を崩されたアスフォデルスは、丁度バルレーンの膝の上に載せられる形となる。


「駄目出しの時間だよ! このおバカさんが!」


 ぎくりとアスフォデルスの表情が崩れる。バルレーンは怒りと共に、アスフォデルスの尻を叩き始めた。


「動いたら当たらないでしょ、ってそりゃ動くよ! 相手だって当たりたくないし!」

「それはその、弾み……ていうか」


 ぱぁん、と小気味よい音が響く。


「痛ッ!」

「戦いっていうのは、そういうのをもっと考えて行動するの!」

「そんな……そこまで言わなくても――痛ッ!」

「まず人の話はちゃんと聞く! 功を焦らない! 呪いがある以上は、天井に近づかない! 警告痛が来るんだから!」

「あ”ぁ”ぁ”ぁ”あ”あ”あ”あ”あ”!」

「動いてる的を狙うコツは、相手の未来を狙うこと! 走り始めた時に狙いを合わせ、その行動を先読みして引き金を引く! ――警告痛、さっきよりちょっと痛かったんだけど!」


 バルレーンの正論が、小気味よくアスフォデルスの心と尻に突き刺さる。


「あ”ぁ”ぁ”ぁ”あ”あ”あ”あ”!」


 そして、最後に深呼吸。


「次やったら、その薄いお尻を四つにするからね!」

「お、お尻がぁ……」


 涙目のアスフォデルスを後目に、バルレーンはゴーレムの残骸へと視線を向けた。


「……さて、後片付けでもしますか。なんか良いの、あるかなー」


 バルレーンが拾い上げたのは、赤い液体の入ったフラスコだった。

 中で何かが揺れる。


「なるほどね、これがゴーレムが調子良かった理由か」


 ファングインの左目が大きく見開かれる。


「それは?」


 バルレーンはファングインを呼び、ランタンの灯を当てさせる。

 液体の奥、ぼんやりと丸まった人の形が浮かび上がると、彼女はそれをアスフォデルスへ放り投げた。


「酒場のルール違反の種。ホムンクルスの胎児さ」


 その言葉に、アスフォデルスの背筋を冷たいものが走る。左頬と下腹部が鈍く痛んだ。

 ……ただの夢なら、寝て醒める程度の物ならどんなに良かったか。アスフォデルスの左手は自然と胸元の石に触れ、右手は顔を覆った。感情は瞬く間に押し潰され、嗚咽の様な息だけが喉から漏れ出て来る。


「これを食わせてゴーレムのレスリングに出ると、一発で出禁になるんだよねー」

「三ヵ月前にそれ酒場でやったら出禁になっちゃったのじゃ……」

「ユーリーフは反省しなさい。ボク、まだアレ怒ってるんだからね……アスフォデルス?」


 胎児。胎児。胎児――

 悍ましい記憶が蘇る。

『■■■■■、そなたを見込んで一つ仕事を与えよう』

 ガノンダールの声。忌まわしいその名で、彼が呼ぶ。やめろ。その名前は捨てた。生きる為、殺した名前だ。

 忌まわしい過去と共に。

『――そなたを巡る血は、黄金の血とも形容すべき程特別な物――』

 やめろ。


「お、おーい。どうしたのー?」


 バルレーンの声が遠のく。まるで、洞穴の奥で響いているかのようにぼやける。

 やめろ。やめろ。お前は、お前達は――


 胎が痛む。


 ――アスフォデルスはフラスコを地面に叩きつける。割れる音と同時に、声にならない悲鳴が喉から漏れる。

 銃声。

 彼女の指が引鉄を引いた。何度も。何度も。何度も。

 赤い魔弾が残骸へと降り注ぐ。さらには、左腕の火炎放射器が火を噴く。炎が燻る肉を、アスフォデルスは右足で踏みにじる。


「なにしてんの!? も、勿体な……高く売れるのに!」


 バルレーンが慌てて腕を掴むが、彼女の指は引鉄を離さない。


「アスフォデルス? ……アスフォデルス?」


 焦げる匂い。燃える赤。青い瞳は、見開かれたままだった。


「うー」


 柔らかな声が、静かに響く。

 次の瞬間、ファングインがぬいぐるみを放り投げ、アスフォデルスの背後から抱き締めた。

 途端に、彼女の身体から力が抜ける。

 アスフォデルスの鼻が微かに匂いを嗅ぐ。仄かに甘くて深い薬草の香り。それが、彼女の心を静めた。


「ファングインさん……?」


 ようやく我に返り、困惑気味に呟く。銀髪の大女を見上げると、そこには深い悲しみと、何かを諦めたような表情。


「……ど、どうされたのじゃ? アスフォデルス殿?」


 ユーリーフが車椅子を回し、近づいてくる。アスフォデルスはよろめきながら答えた。


「嫌いなんです。人じゃないのに、人を形取る物が……」


 その様を、金の瞳は確かに見ていた。

 その時、ほんの一瞬の事である。まだ辛うじて意識を保っていたならず者の一人が、自らを奮い立たせて弓に矢を番えて放つ。矢は棒立ちしていたアスフォデルスの右頬を掠めた。


「きゃッ!?」

「ひょええええ、なのじゃッ!」


 放たれた矢はユーリーフの頭上、その壁に突き刺さる。直後、背後のファングインが右の親指で鞘から剣を飛ばし、柄がならず者の頭に。男はとうとう意識を失った。


「ユーリーフさん! 大丈夫ですか!?」


 アスフォデルスの頬のそれは、本当に僅かなかすり傷であった。だが、その傷から一滴だけ彼女の血が極楽百合の香りと共に床に落ちる。

 その黄金と呼ばれた血液が。

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