第6話:「アスフォデルスの取り扱い説明書6・恨みを買いやすい」
その報告がガノンダールに届いたのは、昼下がりのことだった。羊皮紙には簡潔に要点がまとめられている。
――アスフォデルスは生きていた。
あの爆発を生き延び、行きずりの冒険者パーティーに保護され、今は『機帥の迷宮』へ潜ったという。
ならば取るのは次の手段であった。資料を整理していた、青い瞳に金のメダリオンの青年に彼は話しかける。
「少々地下に籠る。この場は任せた」
「わかりました師父」
そう答えた青年は浮かない顔をしていた。この前のアスフォデルスとの諍いの時からである。それに対しガノンダールは少々言葉を付け加える。
「それと、この前の件は気にするな」
「え?」
「あの怪物に挑もうとした、そなたの気持ちを嬉しく思う。そなたは儂の誇りだ」
「し、師父……」
感極まり涙を浮かべながら青い瞳の青年が去ると、老翁は部屋の壁にかけられた肖像画に目を向ける。そこには同じく青い瞳を持った青年と若き日の彼が描かれていた。
「……あれは、そなたに似てるなフロウィス」
今は亡き息子の名前をぽつりと呟くと、錫杖を本棚へ向ける。まるで組木細工のように棚が動き、アーチ型の門が現れた。
紫色の炎が灯り、老翁はその中をくぐる。
――そこは、腐臭と粘ついた闇が支配する空間だった。
床を走る異形の群れ。血が繋がっているにも関わらず、衝動のまま交わり、隅には雌が産み落とした卵胞が並んでいる。
耳に響く、かさこそとした足音。卵胞から孵った分体の気配。ガノンダールは嘆息し、錫杖の石突を一度叩いた。
音が反響し、奴らの動きが止まる。調教の成果だ。
「喜べ、そなた達の願いを叶えてやろう」
機帥の迷宮。そこへ潜ったアスフォデルスに、最適な“雄”を送る。
「アスフォデルスを捕らえよ。脳髄と賢者の石だけは必ず奪え、それ以外は不要だ」
彼は錫杖をもう一度叩き、古代語を紡ぐ。瞬間、雄の足元に淡く光る六芒星の印章が現れた。夥しい数の白い蛭のようなものが、雄の身体へ絡みつく。
捕食か、寄生か。あるいは回帰願望に焼かれたのか。ガノンダール自身にも、それは分からない。
「……さて」
とぷん。
水音とともに、雄の姿が掻き消える。残された雌は、痛切な呻きを上げた。……対し、ガノンダールは石突をもう一度叩く。
「来い、そなたは調整だ。機能を新たに付けねばならん」
――――。
――。
迷宮。
それは魔力を中心に、モンスター・トラップ・アイテムが自然発生するコロニー。魔力が強いほど深度と複雑さが増し、攻略の困難さも比例する。
迷宮都市イシュバーンに、最新の迷宮として『機帥の迷宮』と呼ばれる場所が、三ヶ月前に発見された。
全三十層の内、十九階。広大な柱の森の中、冒険者たちが剣戟の音を響かせる。
「ここは俺が抑える! 本体を狙え!」
闇の中、何かがいる。
剣を振るう男を中心に、ハーフエルフと狼獣人の魔術師が詠唱を続ける。闇から無数の触手が這い寄り、男は剣を構えた。
「《空にいまし、鳥の御霊に希う。風よ、導きとなれ》」
風の精霊が、迷宮内の索敵を開始する。瞬時に旋風が生じ、触手を吹き飛ばした。
「《理を以って手に灯す、雷よ奔れ》」
狼獣人の魔術師が雷を放つ。瞬間、一条の雷光が走る――が、音もなく闇に吸い込まれた。
魔力が霧散する感覚。
――これは、通常の魔物ではない。
次の瞬間、リーダーの頬を何かが掠めた。足元に転がる、仲間の盗賊の右手。
「きゃッ!」
ハーフエルフの悲鳴が響くと、左右の闇から新たな触手が襲いかかった。狼獣人の魔術師が絡め取られ、口を塞がれたまま闇へ消えていく。
リーダーが剣を振るうが、絡め取られ、へし折られる。抗う間もなく、蟻の群れのように絡みつき、男もまた闇へ。
残されたのは、ハーフエルフ一人。絶望と恐怖の中、座り込む彼女に、闇が迫る。
「や、やだ……嘘よ……」
神に祈ることしかできなかった。だが、神の応えはない。
触手が彼女を絡め取った。抵抗しナイフを抜き、突き立てる――だが刃は鈍い音を立て、根元から折れた。
「あ……」
潮が引くように、心が鎮まる。その一瞬、触手は一気に絡みつき、彼女の口を塞いだ。
引きずられる中、彼女は“それ”の姿を見る。
数瞬後、声なき絶叫が響く。断末魔すら闇に消え、足元に転がった右手すら、触手に引きずられていく。
そして、幾許かの静寂。
「あ」
男の声だった。
「A」
女の声だった。
「AAAAAぁああぁぁぁぁぁあああアアアァァァァァァ……」
混成合唱のような、断末魔の再生。やがて、声は女の音域へと固定される。
「いヤ、やMEて」
“それ”は知識を、記憶を、心を、魂すらも喰らう。
生きたまま脳髄を引きずり出し、己が内へ取り込む。
「お願イ、食べナイで! イや、いや! YAめテッ!」
亡者の声が響く。ランダムに再生されるかつての絶叫。
次の瞬間。
「《空にいまし、鳥の御霊に希う。風よ、壁となれ》」
淡い緑色の光が、闇を照らす。
――それは、風の守護魔術。
しかし、その声は既に失われた者のものだった。
“それ”は試運転を始める。引きずり出した知識と経験を、無造作に試し始める。
闇の中、絶え間なく乱舞する魔術の光。それはまるで、旅人を誘う鬼火のようだった。
やがて、響く重い音。
「あRE?」
緑色の光が、闇を見通す。
歯車の回転音。圧縮される空気。バネが弾け、コイルを叩く。
橄欖石の瞳が、睨むように輝く。
燃える隕鉄の赤。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます