第5話:「アスフォデルスの取り扱い説明書5・師匠が死んでると言ったらキレる」

 イシュバーンの外れ、百万都市の運河を越えた森林地帯。そこに土饅頭が一つ。

『機帥の迷宮』


 公用語で書かれた看板が掲げられ。中にある迷宮の入口には赤樫の両開き扉があり、内側には魔物避けの赤い双眸が描かれている。


「という訳でボクちゃん達、リベンジに来た訳ですよ! ここで一言、――普通に考えりゃ死ぬでしょこれ!」


 バルレーンの声が響く中、更にそれをかき消す轟音。

 この迷宮は赤化した賢者の石を核とするゴーレムが徘徊する危険地帯。そして今、そのゴーレムが待ち構えていた。


「たまらんのじゃぁぁぁ!」


 十字魔法銃が轟く。赤い魔弾が闇を裂き、三メートルの鉄の騎士へと殺到する。

 その巨体は淡い赤の輝きを放つ隕鉄製のゴーレム。高い神秘性と硬度を誇るが、加工が困難な為、作り手の技量が如実に反映される代物。


「男の子が好きな物をのせまくった、過剰積載の魔改造ゴーレム! なんてドスケベなんじゃああ! 今バラバラにしてやるからのう!」


 興奮するユーリーフをよそに、黒の騎士像――彼女のゴーレムが前に出る。

 右手にメイス、左手に盾を持ち、装甲板で出来たマントを纏っていた。


「何とかなるよね、ユーリーフ!? 何とかなるって言って!」

「ようも、ようもこんなドスケベなゴーレムにしてくれたのう!」

「完全に逝っちゃってるな……」


 バルレーンは物陰に隠れ、ファングインは最低限の防御に徹する。迷宮に入って五秒で、これである。


「《機構の六つ、縦横套甲》、《機構の二つ、貫爆なる左》!」


 金髪の女魔術師が両手の魔力の糸を繰ると、ゴーレムの装甲版のマントが六つに分かれ隙間からレールが展開。魔弾を防ぐ防壁を構築する。


 同時に左のカイトシールドの中に収められていた杭が機構によって上がる。左肩を怒らせ、狙いを点ける様に杭が水平になる様に腕は上へ。同時に左腕を動かすと、足の裏に格納されていた車輪の固定が外れ駆動を始めた。


「妾のゴーレムは土を変換し、概念物質たるアンオブタニウムで構成されておる。前回の戦いを経て、計測したそなたの神秘量から硬度を倍以上に上げてきた! 妾をあの時逃したのが、そなたの運の尽きよ!」

「ユーリーフ、それ誰も聞いてない!」

「それじゃあ、一枚脱いでみるのじゃああああ!」


 次の瞬間――ゴーレムの橄欖石の瞳が光を放ち、そのまま背を向け、闇へと消えていった。


「……の、のじゃ!? 何故じゃ!? さっきまでやる気満々じゃったろ!」


 直後、ファングインのランタンが揺らぎ、バルレーンが闇へと声をかける。


「もう行ったよ。正体、明かしてもらってもいいかな?」

「ひぁッ!? ど、どうしたのじゃバルレーン? いきなり虚空に話しかけるでない、怖くなってしまうじゃろう……?」

「さっきまでの君の方が怖いよ」


 金の髪を揺らし、ユーリーフが尋ねる。それに対しバルレーンは転がる石を拾い、そっと投げる。石は二メートルを超えた瞬間に消え、転がる音だけが響いた。

 次の瞬間、影が揺らぎ、追跡者が姿を現す。途端ユーリーフの絶叫が響いた。


「ぎゃああああ! 怪奇知らん人なのじゃああああ!」


 身長百四十センチほどの少女。黒のトリコーンに、青の袖なしコート。右腕は銀の鎧、左腕は黒の片マント。顔はゴーグル付きのペストマスクが隠していた。


「久しぶり、自称魔術師」


 そう言われると、彼女は右手を左の片マントの中に入れる。すると、ゴーグル部分と口元部分が上下に分かれる形でアスフォデルスの顔が現れた。


「何故、分かったんですか? コイルの透明化機能は完璧だったのに」

「音と匂いを消せれば完璧だったかな」


 バルレーンが本題に入る。


「装備を整えて何しに来たの? 下手くそな尾行なんかしちゃって」

「行先が同じだっただけです」


 そして、彼女は迷宮の奥へと目を向ける。もう『かしましき手』の事などみていない。その目は縋る目ではなく、挑む目であった。


「私は師匠に会わなくちゃいけない。そのために生きなきゃいけない」


 ――“アスフォデルスへ”

 思い出すのは、かつて師匠が去った時に残した手紙に刻まれた言葉だ。

 “私の歩みが止まっても、お前の歩みは止まるな。お前が進んでいる限り、私は生き続ける。”


 それがどういう意味かは解らない。

 けれど今は、魔術師でも錬金術師でもない、ただの一人の人間としての支えだった。


「……その為に、その装備を作ったの?」


 口笛を一つ吹いた後、バルレーンはこちらを振り向かないアスフォデルスに対しそう訪ねる。


「えぇ。ついでに見せびらかしたくて……」


 彼女がくるりと身体を翻すと、背中に搭載された機械が見えた。

 金属製の背負い子、腰の黒革の鞄、丸い球体、足に繋がれた金属の縄。未知の装備に、三人は目を見張った。


「どうですか、この装備! 一人でも戦える為に、この装備を作りました! 完璧なんです!」

「どう見る、ユーリーフ?」


 小人のゴーレムが周囲に広がり、アスフォデルスの砂像がチェス盤に再現されると彼女は両手で触れる。緑の瞳は像と実物を交互に行き来し、瞬間顔は美術品に触れた好事家の様に締まった。


「ほほう、これは材質は希少金属を使用されておりますな。で、中にはスライムと鎖が入っておるのう。ファルトール殿の流れを組む作り方じゃ……それでこれは、おお! 魔力電池ではないですか、古代の文献でしかお目にかかれない物を……よくもまぁ」


 一息置いて。


「……妾にもよくわからんのじゃ」

「意味あったのさっきのくだり!?」


 そう言うと、アスフォデルスは滔々と自らの話始めた。それは研究者特有の習性の発露である。


「師匠の作品の特徴をよく勉強されてらっしゃいますね、ただの知識馬鹿ではないようです」


 それに対し、ユーリーフと共に彼女はニチャっとした粘っこい笑みを浮かべ合った。陰の者特有のベタついたライバル同士の称賛である。


「私の説明を聞けば、この装備が如何に完璧か――」


 アスフォデルスが得意げに語り始めた、その時。

 かちり、という音が一つ。


「「「え?」」」


 次の瞬間、床・壁・天井が組木細工の如く組み変わる。白い部屋、中央に刻まれた魔法陣。そこに記されていた物をユーリーフは読み上げる。


「バルキスの定理を解け、か!」

「まさか……バルキスの部屋の罠を踏んじゃったの?」


 魔術師ファルトールがかつていたという『機帥の迷宮』の中で、悪名高いトラップが一つある。極低確率で現れるそれを、バルキスの部屋の罠という。

 数学の難問バルキスの定理を解かなければ脱出不能の罠。その難問は毎回形を変える為、冒険者の間では死の罠として忌み嫌われている。


「自称アスフォデルス、君何かましてくれてるの!?」

「す、すみません、あそこに罠が有るなんて……」

「冒険者なら、無闇矢鱈に壁に触らない! そうしたらどうなるかって? こうなるんだよ! 箱の形した死神が来ちゃった!」

「で、でも問題解けば出られるんですよね? なら私解きますよ?」


 そう言った直後、がこんと部屋が揺れる。ゆっくりと地響きの様な音を立てて、天井が迫り始めた。


「どうしてバルキスの部屋の罠が死を意味するか、これが理由だよ」


 赤髪の女盗賊は思わず引き攣った声を上げると、即座にユーリーフに声を掛けた。


「ユーリーフ! 解いて!」

「……」


 ユーリーフは車椅子から転げ落ち、地面を舐めていた。その姿にバルレーンは顔を蒼褪めさせて。


「おい、アマ。一体全体何してんだ……?」

「せっかくだし、味も見ておこうと思って……いやほら、こんな機会滅多にないしのう」


 バルレーンの顔がくるりとファングインを向く。溺れる者が藁にも縋る様な顔だった。


「ファン! ……ごめん、君に振る話じゃなか――痛い、噛むな! 今は非常事態、これ解かなかったらボク等の次の職業は天井の染みだぞ!」


 が、咄嗟に正気に戻った。が、それはそれとしてファングインの怒りを買い、頭に噛みつかれる。


「なんだ、やんのかこのおバカさんが! 言っとくけど、ボクも君もデカい胸と腕力で生きて来たって点は大差ないからな!」


 銀髪の大女は鼻をひくつかせ、指し示す様に迫り来る天井を見た。次いでバルレーンの両耳が動くと、今まで顔に当ててたぬいぐるみの代わりに柄を握ったファングインの手を止める。


「いや、駄目だ。これの厚さは四十センチは超えてるし、壊したら破片で皆死ぬ」

「……うー」


 その中で金髪の少女は嬉々として数式を解き、答えを魔法陣の中に書き込む。しかし、天井は以前止まらずに魔法陣も熾らない。


「たまらんのう、命を賭けて神秘のベールを剥いでく感覚は……たまらん」

「余裕っぽい事言ってんじゃないよ!」


 狂気と混沌の只中、この場にただ一人だけ冷静さを保った者が一人いる。

 アスフォデルスだった。彼女は問題を一瞥すると落ち着いた様子でしゃがみ込み、右手の腕甲。その手首の辺りからナイフが飛び出させたと思うと、ユーリーフの横から『FB(Z0)=42』と握った刃で書き込む。すると、途端魔法陣は起動し再度部屋が組変わる。


 ……ただ組変えが行われ始めたその一瞬、天井で何かが瞬いた気がした。


「馬鹿のバルキスの定理ですよ。間違えやすいですが、落ち着いて解けば意外と簡単だからこう言われるんです。ほら、ここⅹが3だから」


 元の通路に組変わった後、アスフォデルスは大した事のない様に言った。

 それに気づくとアスフォデルスは一度咳払いをし、自分を諫める。それに対しユーリーフが恐る恐る訊ねた。


「計算なされたのですか、あの僅かな時間に?」

「えぇ。師匠がよく出した問題でしたから」


 アスフォデルスがそう答えた直後、バルレーンが隙間を埋める様に話しかける。先程とは打って変わり、赤髪の女盗賊は落ち着き払い、目は自然と品定めをする様な目つきになった。……ファングインは今はやはりぬいぐるみの後ろから、金の瞳で彼女を見定めている。


「ひとまずお礼を言うよ、自称アスフォデルス。少なくとも君がいなかったらさっきは生きて帰る事は出来なかった、ありがとう」


 自信満々のアスフォデルスにそう突っ込んだ刹那。バルキスの部屋の罠のスイッチがあった壁が、一人でにまるで組木細工の様に組変わっていく。そうして一ミリもない程の隙間が空いた真鍮製の板が現れたかと思うと、そこから現れたのは一枚の羊皮紙であった。呪文が刻まれた縁取り、……中には彼女達がしっかり映し出されている。


「こ、これは一体……」

「あぁ、もう! どうやら……呪われたようですね」


 羊皮紙を手にしたバルレーンの呟く声に、一度悪態を吐いてアスフォデルスが答えた。羊皮紙を手に取ると青い目が収縮し、それは学者の光を灯す。


「師匠の発明品の一つです。天井に機構が仕掛けてあって、これが私達を映した後に呪いが刻まれた紙の上に残す……」


 奇妙な声が一つ。車椅子の上から上がる。


「ん!」

「どうしたの、ユーリーフ?」

「呪いを機構で、……たまらんのう。そういうのもあるのか」

「――ママは今お話中なの、孤独の神秘は余所でやりなさい!」


 人差し指でファングインに指示し、車椅子の小娘の首に腕を絡ませるとバルレーンは気を取り直し。


「ど、……どんな呪いなの?」


 それに対しアスフォデルスは渋面を浮かべた後、羊皮紙を再度頭上に上げて読み込む。


「本当に知りたいですか……?」

「当然でしょ!」


 バルレーンが一にも二にもなくそう言い返すと、アスフォデルスは更に渋面を浮かべた後。両手の魔法銃を握る。


「じゃあ、バルレーンさんちょっと私今から飛びます……ちょっとチクっとする以上の痛みが走るんで耐えてください」


 炸裂音が一つ。彼女が背中の機構を操り天井近くまで一度飛ぶと、


「へ? ――はべらっ!」


 ……バルレーンを始めた全員の胸に激痛が走り彼女は思わず吐血した。


「……一人でも違う階に行こうとすると死の呪いが発動するんですよね。今のこれは警告痛です」


 痛みの余り、思わず羽交い締めにされかけたユーリーフの腕が外れる。数度息を吸い直し、整えた後の声は血の気が引いてた。


「あ、あれ……これマジの奴じゃないかの、もしかして……?」

「うー」


 そしてバルレーンはと言えば口元に垂れた血を手の甲で拭い、息を整えると赤紙の女盗賊はつかつかとアスフォデルスの元に歩み寄る。そして――


「何かましてくれてんのぉぉぉ!?」

「あだだだだだだだだ! ちょ、ストップストップ!」


 背後を取り、両手で頬を思いっきり引っ張った。……そんな中ユーリーフは彼女達のやり取りの真横で先程呪いの写真が出てきた壁を焦燥した手つきで調べ上げ、ファングインと言えばまるで舞台で銀色の巨人が監督から説教を受けてるのを呆然と見つめる敵役の様に見ていた。


「これ解く方法は!?」

「と、徳の高い聖職者か凄腕の魔術師に高い金を払って解呪してもらうしかないです……」

「そんなお金無いに決まってるでしょ、このおバカさんが!」

「あ痛! 痛い、痛いですってっば!」


 更にこめかみの横に両拳を当ててぐりぐりとめり込ませる……母親が子供によくやる体罰の形を取った。


「吐け! 吐けよ、なるべくお金がかからないで解呪できる方法を!」

「た……多分なんですが、師匠の工房にこれの試作品があるかと……」

「それ本当にあるの!?」

「多分……」

「多分で命賭けろってかい!」

「そ、そんな私だって被害者ですよ!? こんな、子供みたいな折檻でグリグリされる謂れは――」

「――あるよ、大いにあるよ! 君が壁に手を当てなけりゃ、そもそもこんな事になってないんだよ!」

「痛い痛い痛い! だ、大丈夫です! 大丈夫です! 最悪、私の身体が戻れば! 戻りさえすれば解呪出来ますから! まるっと全て解呪出来ますから!」


 そこでバルレーンの手が止まった。それを好機と見て、アスフォデルスは息を整えながら自分の潜る理由を話す。


「……哲学者の卵です。それがあれば、この身体も顔も、壊れた賢者の石も直す事が出来るんです! そうすればどんな呪いもちょいちょいのちょいです!」


 アスフォデルスはそう言うと、右手を自分の胸に押し当てる。そこに嘘が無い事を確認すると、バルレーンもまた嘘偽りのない自分達の目的を話し始めた。


「なるほど、なるほどなるほどなるほど……」


 頭を抱えたバルレーンは、ぽつりと掠れた声で呟いた。


「手を組むしかなくなっちゃったじゃん……」

「嘘じゃろ、バルレーン!?」

「嘘じゃないやい、離れたら死ぬなら一緒に行くしか無いでしょ……それに」


 ちらり、とその赤瑪瑙の瞳がそのきらびやかな装備を見る。


「……前回よりかは、組む相手としてはメリットがある」

「バルレーン!?」


 ユーリーフの悲痛そうな声を無視し、赤髪の女盗賊は右手で頭を搔きながら。


「ボク達もこのダンジョンの奥、哲学者の卵に用があってね。訳あって、ユーリーフの持ってる賢者の石を使える様にしたい。今のままじゃただの赤い石だしね」

「訳とは?」

「戦力増強と、健康維持。ユーリーフはゴーレムの使い過ぎで魔力がカツカツ、ボクちゃんは肉体が貧弱。故に賢者の石を薬として使いたい訳よ」


 賢者の石は飲めば不老不死となる薬を生むとも言われている。……バルレーンは一度血の混じった咳を吐くと、一度断りを入れて懐から粉薬の薬包を取り出して飲んだ。

 白い紙に入った白い粉薬を飲み込むと一言。


「効いてるか効いてないんだかわかりゃしないな」

「……確かに師匠の石は素晴らしい出来です。しかし、不老不死の薬というには……その」


 少しだけ気まずそうにアスフォデルスはそう言う。それに対しバルレーンは含みの無い笑みを浮かべながら。


「不老不死なんて端から求めちゃいないさ……ただ、今飲んでる薬をより良い物にしたいだけ」

「……そうであるなら、師匠の石は役立つでしょうね。わかりました、手を組みましょう」


 そこでとうとう耐えかねたのか、ユーリーフが叫び声を上げる。


「い、嫌じゃ! 嫌じゃ、だって妾この前酷い事言われたのじゃぞ! チクチク言葉をグサグサと!」


 そうして涙目で嫌がるユーリーフに対し、アスフォデルスの顔は怪訝そうに曇り。


「私だって嫌ですよ……貴方みたいな方と組むなんて、喩えあのゴーレムの出来が凄くても!」

「言わせておけば! そんな技術の粋を集めた様な服を着てる事を差し引いても、妾だって嫌なのじゃ!」

「割り切れませんよね!」

「気が合いますのう!」

「……君ら実は仲がいいだろう。いい、面倒くさいから組む体で行くよ……」

「「大っ嫌い」」


 決めるべき物、最低限の取り決めは決まった。が、ユーリーフとの犬猿の仲……もしや自分はやはり組む相手を間違えたのかもしれない。

 バルレーンの背筋に、一筋悪寒が走った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る