第2話:「アスフォデルスの取り扱い説明書2・鏡を見たらイマジナリーフレンドと喋る」
――ガノンダール邸での件より一週間後。
廃村――人々が消えて久しいその村を、彼女は『箱庭村』と呼んだ。アスフォデルスが百年以上前に買い取り、記憶のままに機械仕掛けのゴーレムに整備させ続けている場所だった。
その中に佇む赤煉瓦の屋敷――そこが、アスフォデルスの住まいだ。
彼女が作ったゴーレムが屋敷を維持し、機械仕掛けの装置が静かに動き続ける。
アスフォデルスは机に向かい、思索にふけりながら精密な部品を組み上げていた。
「“師匠、見て下さい! コイルを使って召喚魔法を機械化する手段を思いついたんです”」
「“よくやったねアスフォデルス! 次はホムンクルスに手を出してみようか”」
かつての誉め言葉が蘇る。しかし、記憶は連鎖し、次第に影を落とす。
――ホムンクルスというただ一点。
途端に、心は冷たく沈んだ。
「貴方が倫理ですって……いいだけ玩具にした、貴方がそれを言いますか先生」
ホムンクルス――それは錬金術によって生み出される被造物。生命の似姿。かつて自らの身体が実験台となった忌まわしい研究の産物。
現在、法的には製造も所持も禁止されていないが、倫理的に問題視されている。嫌悪する者と賞賛する者は半々、もし何か纏わる物を持っていれば世間の半分からは眉を顰められるだろう。現にガノンダールも、かつては研究をしていたが今は外面を気にしてか全く話を聞かない。
「あんな事をしといて……穢らわしい」
しかし、一度堰を切った悪しき記憶の想起は止まらない。
「だめ、だめだめだめ……いや、違うんです。違うの、私……私」
心が泡立った時に彼女がする事はただ一つ、機械を組み立てる手を止めて姿見に映る自分を見つめる事だ。
「師匠……師匠……」
姿見に金の髪に、涙がうっすら浮かんだ淡褐色の瞳の女が一瞬映る。違う、こうじゃない。師匠はこんな顔を絶対しない。そこで涙を拭い、何時もより少しばかり背を張り、声を高くするだけでそこにいるのは在りし日の彼女の師である。
「“まぁ、お前にも良い所はある。これからゆっくり直せばいいんだ”」
そして、次に思い浮かぶのは今はいない友の姿。同じくファルトールの元で学んだアルンプトラ。若かりし頃、初めて出会った当初の黒い髪に薄紫色の目をした少年である。
「”失敗から学び、必ず立ち上がるのが君の良い所だよアスフォデルス”」
そこでもまた記憶に浸る。そう、出来は完璧だ。彼女の身体は記憶そのまま師匠の姿を寸分違わず再現している。
「師匠、私頑張ります。いつか帰って来たら、今までいなかった分沢山褒めて下さい」
そのまま流れる様に記憶に浸った後、彼女は一旦休憩を取る事にする。
右の窓から外を見れば、ゴーレム達が傷んだ家屋の一つを組み替えていた。ある人の帰りを待つ為、百年以上前に大枚はたいて村まるごと買って以降、彼女の記憶のままの姿を維持し続けている。
村を維持する理由。それはただ一つ、ある日突如姿を消した師ファルトールがいつか帰還する日に備える為である。
左の壁を見ると、今は遠くなってしまった家族の絵。アルンプトラとファルトールが殆ど、そして茶色い短髪に顔の右半分を不自然な髪で隠した少女の絵がたった一枚飾られている。端に、極力視界に入らない様に。それに手をかけ、今日こそはと力を込めるが。
「いいです、今日は……やめにします」
結局いつもの様に先延ばしにしてしまう。もう二百年も同じ事をしている自分に仄かな自己嫌悪をしつつ、気分をまた切り替える為研究に戻ろうとする。
不意に、空気が変わる。とぷん、と水音が響いた。……ヘドロの匂いが鼻を突く。
足元から、赤黒い触手が絡みついた。
「ひっ……!」
アスフォデルスは硬直する。触手は下腹へ這い、体を引きずり込もうとする。
しかし――
触手が唐突に緩んだ。まるで何かを恐れたように、影へと引っ込み、消えた。
「な、なんなの……?」
困惑の声が空気に溶ける。しかし、その言葉は困惑ごと急速な空気の帯電に掻き消された。
その時――大地が啼いた。
轟音。この周辺にいる全存在が、全く同じタイミングでその大爆発を感じた。人も獣も、今はただその一瞬に恐れ戦く。
全て、何もかも灰になった。
アスフォデルスは爆心地のど真ん中にいた。すり鉢状のクレーター、その底。体は泥だらけだったが、奇跡的に無事だった。
「いったい、何が起こって……?」
飛行魔術でクレーターを出ようとする。しかし、魔術が突然、途切れた。
「きゃあッ!」
地面に転がり込む。再び魔術を試みるも――胸に鋭い痛みが走る。
「……私、魔術が使えなくなってる?」
ぽつりと呟いたその言葉は、絶望に満ちていた。
ふと、胸元を見ると賢者の石に罅が入っていた。賢者の石だけじゃない、魔術の行使に必要な感覚が全て焼き切れている……次の瞬間、体に異変が起こった。
「う、嘘……やだやだやだやめて!」
変身魔術が解けていく。身長が縮み、肌がくすみ、金髪が茶色に変わる。瞳も淡褐色から青へ。
彼女は、かつて最も忌み嫌った姿に戻っていった。十歳の少女の姿に。
「ち、違う! 私はもう、あの頃の私じゃないッ……!」
叫びも虚しく、変貌は止まらない。
やがて、彼女は鏡も見ずとも悟った。……かつて捨てた『弱き自分』に戻ってしまったことを。
そこから十数時間後。彼女はボロボロの黒いドレスを纏い、裸足で街道を歩いていた。
足がもつれ、倒れ込むと、水たまりに映る自分の姿が目に入る。
――貧相な子供の顔。妖艶な美女だったはずの彼女は、今やみすぼらしい十歳の少女だった。
「ひぇ、ふぐっ……」
涙が落ちる。昨日までの人生は、跡形もなく消えた。全てを失い、次は命すらも奪われようとしていた。
彼女は顔を上げ、「師匠を探さなきゃ……」と呟く。腕や足からは血が滲み出て、それは彼女の体質故に百合の香りを放っていた。
だが、その矢先――大きな羽音が鳴り響く。
アスフォデルスが空を仰ぐと、赤い飛竜が高度四十メートルから滑空し、鋭い金の瞳で彼女を捉えた。
「わぁぁあああああ!」
彼女は一目散に逃げ出す。だが、飛竜は先回りし、巨大な前足の爪を振り下ろした。
轟音――風圧と衝撃だけで、彼女の身体が弾き飛ばされる。
「し、師匠……助けて……!」
最後に呼んだその言葉は、宙に溶けてかき消える。……師匠は、来なかった。
再度振りかざされた爪に、彼女は思わず目を瞑る。
――同時に、一筋の刃が閃いた。
恐る恐る目を開くと飛竜の右前足から、鮮血が噴き出しているのが見えた。
アスフォデルスの前に立つのは、身長二メートルの細身の大女。深緑のローブを纏い、顔を隠すフードを被っていた。
その姿に見覚えはなかったが、アスフォデルスは直感的に異様な既視感を覚えたがそれも一瞬。直ぐに飛竜の咆哮に吹き飛ばされた。
「うー……」
彼女は低く呻きながら、剣を構える。
飛竜は怒りの咆哮を上げ、左前足を振り下ろした。だが、剣士は微動だにしない。刹那――飛竜のもう片方の前足が斬られた。
「…………ッ」
傷を負った飛竜は、一度忌々しげに彼女達を睨みつけると咆哮と共に空へ飛び去る。
静寂。アスフォデルスは呆然とする。だが、次の瞬間、剣士の右手から剣が滑り落ちた。まるで腕の自由が利かないかのように。
「ま、待って、急に行かないで……うぇっ、マジで吐きそうだ」
その声に、さらに別の声が響く。
「ひゃぁあああ! 知らん人! 知らん人がいるのじゃぁあああ!」
アスフォデルスが振り向くと、そこには二人の少女がいた。
ひとりは赤髪の少女。全身を革鎧で固めた、活発な雰囲気の女戦士。彼女の腕の中には、もうひとりの少女が抱えられていた。
もうひとりは金髪の少女。太ももまで届く長髪、鹿の角のような翡翠の髪飾りをつけ、白いローブを纏う。瞳の色は緑で、不安そうな顔でこちらを伺っていた。
「この子を見つけたから走ったの、ファン?」
赤髪の少女が言う。どうやら、剣士の名前はファン――ファングインらしい。
ついで、彼女は目を動かすとファンのその先を見る。地形に残った巨大な足跡、そして土に吸われつつあるそれなりの量の血、ほのかに香る百合。それで赤髪は全てを察した。ただ――
「――ごめん、ちょっと向こうで吐いてくるから、ここは任せたよ」
「待つのじゃ、バルレーン! 知らない人じゃぞ!?」
「……大人なんだから、それくらい頑張りなさい」
赤髪の少女はそう言うと、草むらの中に入った途端姿を消す。それをアスフォデルスは茫然としばらく眺めていると、地べたに降ろされた金髪の少女は一度ぎょっとした顔でアスフォデルスの方を向く。
しばしの間の後、金髪の少女はローブの中からおもむろにチェス盤の様な板を取り出した。それを広げた時、周囲の木々ががさりと揺れる。音の鳴った至る所には小人型のゴーレムが複数いる。
チェス盤の上に砂が巻き起こり、アスフォデルスの像が出来上がり食い入る様に見詰めると一度「あー」と言い、金髪の少女が口を開いた。
「け、怪我は無いようじゃの……初めまして、妾の名はユーリーフと言う。冒険者を、しておる」
だが、次の瞬間――彼女は赤髪の少女の方向に向かって叫んだ。
「バルレーン、助けてくれ! 知らん人とどう話せばよい!?」
「お父さんかお母さんいるか聞いといて……おぇぇ……」
アスフォデルスは呆気に取られながらも、彼らのやり取りに徐々に理解が追いついていく。そして、金髪の少女――ユーリーフが再び問いかける。
「お名前を教えて欲しいのじゃが……? あと、お父様やお母様は……?」
「私は……アスフォデルス……」
彼女が名を名乗ると、ファングインはゆっくりとフードを被り直した。そして、どこからともなく取り出したツギハギだらけの兎のぬいぐるみを左手に握り、顔を隠しながらじっと彼女を見つめた。
まるで信じられないものを見ているかのように。
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