消えたアスフォデルスの一生

上世大生

第1話:「アスフォデルスの取り扱い説明書1・金持ちが嫌いで性格が悪い」

 月の冴えた夜、巨大な屋敷の一室で決闘が行われていた。そこはガノンダール老の邸宅兼研究所である。ガノンダール老。齢二百五十を超える古代魔術の大家として名高く、その名は魔術を志す者なら誰もが知っている。常人が百を超えて生きることが奇跡と言われる世界で、彼が長寿を保てる秘密を知る者は皆無だった。


 普段なら彼は数百人もの弟子と共に魔術の研究に没頭している筈だった。だが、この日は違った。


「《それの生死は流転する。命は焔が如く燃え盛り、羽ばたく物である》」


 水晶の光に照らされ、ガノンダールは怒声混じりに呪文を唱えた。白髭を胸元まで蓄え、紫のマントに白いダルマティカを纏う。その右手には錫杖。彼の足元から赤い焔が逆巻く。


「まだかかります? 終わったら教えてくださいね。今、チェスが良いところなんですよ」


 椅子に座り、チェス盤に指を這わせるのはアスフォデルス。紫のマントを纏い、金の髪を腰まで流す美女。黒いドレスに耳飾り。

 その胸には、赤く脈打つ卵型の石が嵌っていた。

 そして、アスフォデルスの胸元で赤く輝く卵型の石――賢者の石。それは所有者に絶大な魔力と不老をもたらす伝説の魔具であった。


 彼女の外見は二十歳ほどに見えたが、それは賢者の石が齎す『永遠の若さ』によるものであり、実年齢は既に二百歳を超えていた。魔術界での彼女の名声は、世界で数個しかないそれを鍛造した事により裏付けられている。目の前のガノンダールと比肩する程、否、人によってはそれ以上とも。


 ガノンダールの炎は勢いを増し、やがて巨大な鳥の形を取った。不死鳥の召喚。彼の必殺魔術が炎で模られ、抜け落ちる羽さえ火の粉が模していた。


「いつまでそうしているつもりだ、アスフォデルス」


 アスフォデルスは、特にチェスを好んでいた。魔術や錬金術とは違う、ただ駒を進めるシンプルなゲーム。それが彼女の心に研究とはまた違った安心と充足を与えていた。

 ……目の前のそれとは違う、もう一人の師匠との対局で初めて勝利した日の事も、未だに忘れてはいない。


「あ、終わりました? 遅いんで二局目に突入しちゃいましたよ」

「杖を抜け、呪文を唱えよ。決闘の礼に従うのだ」


 アスフォデルスは駒を机に置き、悪意の籠った笑みを浮かべた。


「仕方ありません。お遊戯に付き合ってあげますよ。一度は弟子だった時の餞別です。お先に一手どうぞ」

「アスフォデルス!」


 ガノンダールは錫杖を構え、結びの呪文を唱えた。


「《そなたは諸共を焼くもの、そなたは触れ得ざる神秘の焔、我はそなたを籠より放つ》」


 炎の鳥が羽ばたき、アスフォデルスへと飛翔する。


「《解けよ》」


 彼女は杖を持たず、一言呟いた。それだけで、不死鳥は消えた。途端、周囲は静まり返る。


「あれー? 魔法が来ませんねー? どうかしましたか、先生?」

「……貴様、今何をした?」

「この身体は、この賢者の石によって無限の魔力を保有してます。貴方の魔術に対し、それ以上の魔力を込めて打ち消したのですよ」


 胸元の賢者の石を誇示しながら、彼女は悪びれずに笑う。


「魔術は、力とは、こう使うんですよ……《力は矢、意思は弓、放て》」


 アスフォデルスが放ったのは単純なマジック・ミサイル。赤い光が生まれ、ガノンダールへ一直線に飛ぶ。

 直撃。彼は数メートル吹き飛ばされ、椅子へと叩きつけられた。


「威力は弱めておきました。決闘で死ぬより、生き続けて下さい。逆上し、決闘を挑み、魔法を出せず、慈悲をかけられる……魔術師としては死んだ方がマシですが」


 傍目には悪女そのものの姿。尊敬できる者はいない。不意に鈴の音が鳴った。


「あ、ちょっと待ってくださいね先生。喉渇いちゃって」


 アスフォデルスは金色の懐中時計を取り出す。真鍮の輝く金の肌を持ち、それは短針と長針と秒針が全て狂った様に回り続けている。彼女が慣れた手つきで操作すると、足元に魔法陣が現れ――瞬間一帯の位相がずれた。


 現実が希釈され、エーテルは実存に干渉。その様は魔術師の霊覚を刺激し、より繊細な者はあるいは鳥肌を立て、あるいは彼女を取り巻く異次元の色彩を垣間見るに至る。


「なんだ、これは……」


 周囲のどよめきが生まれる。……気付くと床の上にティーポットとカップが置かれたテーブルが召喚された。

 彼女はお茶を注ぎ、一口。


「これですか? 召喚魔術と工学を合わせて作ったんです。貴方の魔術は、私の手に収まるこの機械で十分再現できますよ」

「その様な下賎な道具を誇ってなんになる……倫理はどこに行った?」

「技術に貴賤はないでしょう。大切なのはどう使うかですよ。それによりにもよって貴方が倫理を問いますか?」


 周囲の徒弟達は、倒れた師を介抱しながら怨嗟の声を上げた。彼女は意に介さず、時計を操り、チェス盤を取り出す。盤面の様相は例えるなら、あえて一気に止めを刺さず、じわじわと一つずつ逆転の目を潰していく様に。


「魔術師は、借りを返す……」


 そこで彼女は一息置き。


「これで詰みです――チェックメイト」


 黒の駒を動かし、徒弟達に見せつけるように言う。チェス盤の棋譜はまるで一切の希望を捨てよ、と言わんばかりの物である。


「ファルトールの……似姿となって満足か……?」


 ファルトール。賢者の石の研究者にして、そしてアスフォデルスの尊敬する魔術の師匠。ガノンダールともかつては既知の間柄だった。


 アスフォデルスに全ての技術を教えてくれた恩人であり、彼女が賢者の石を打てた理由は彼女の研究があってこそである。アスフォデルスの体は尊敬の余り、魔術を惜しみなく使った結果ファルトールを寸分違わぬ物となっていた。


「えぇ、大満足です。これこそ私の望んだ姿」

「どれだけ……どれだけ、姿を……取り繕おうと、その浅ましさまでは隠せぬぞ■■――」


 詠唱はごく短く、赤い光弾は殺気より早く。一条の星が如く……。


「その名前で呼ぶのは誰も許しません。私の名前はアスフォデルス、お忘れなく……」


 淡褐色の瞳を見開いて、言葉は悪意すら陰らない程冷たく。しばしの後、彼女はわざと咳を立てて一度仕切り直す。再びのそれは元の通り悪意が陰っていた。


「ですが、その長寿の秘密だけは私にも分かりません。賢者の石もないのに、どの様な手段で寿命を延ばせたのか……それだけは尊敬しますよ、先生」


 徒弟達の中から、一人の青年が立ち上がる。青い瞳に高弟の証である金のメダリオンを付けていた。


「待て! 自分の師父に手を上げたんだ! 恥ずかしくないのか!?」

「んー、特にないですね?」

「貴様!」

「不満があるなら、決闘を挑めばいいでしょう?」


 誰も答えない。ただ沈黙が支配した。


「残念です、魔術師の決闘をご教示する絶好の機会だったのに」


 挑発するように言うと、青年は涙を浮かべ叫んだ。


「貴方を尊敬していたのに! 失望しました、魔術師アスフォデルス!」

「美しい……」

「は?」

「貴方の青い瞳に映った私の姿は、何て美しいんでしょうか」


 陶酔するように言い、回転する。誰もが彼女に怖気を覚えた。鼻歌を歌いながら、彼女はその場を後にした。


「アスフォデルス様ー」


 外門まで出た時。背後から駆け寄ってくる小さな足音がする。彼女が首を後ろに向けると、そこには緑色のローブを羽織った十歳程の少女がいた。


「わ、私アスフォデルス様みたいな魔術師になりたいんです! どうしたらなれますか?」


 いたいけな視線が彼女に突き刺さる。それに対しまずアスフォデルスが目に行ったのは、彼女の身なりと物腰だった。衣服には汚れもほつれもない。物腰も下働き特有の怯えが見えず、礼儀と教養が見えた。彼女が一番嫌いな人種である。


「貴方にはなれませんよ」


 きょとんとした表情を浮かべる少女に、アスフォデルスはにたにたと笑いながら話す。まるで自分が言う冗談が面白くてたまらないという感じに。


「まだ何も失っていない奴等が私になれてたまるもんですか――とっとと消えなさい!」


 最後には外聞すら取り繕わず怒鳴りつけ、途端堰を切った様に泣き出して駆け出す少女を見つめる。そうして、すぐ迎えに来た青い瞳の青年に慰められる姿を見て足早にその場を去る。


「……ッ」


 未練と羨望、痛み……それらを闇と一緒に溶かす様に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る