第2話 おかしな若造が特級の厄ネタを持ち込んできた
その集団は好く見れば軍の一部隊のように見え、また穿って見れば獲物を山ほど鹵獲したごろつきか強盗団のように見えた。随分と暴力に慣れた手合いをしこたま引き連れた隊商のようにも見えたし、命を受けてどこぞの駐屯地を目指す商隊とそれに随行する護衛隊のようにも見えた。
その、軍に偽装した強盗団もしくは強盗団に誤解されそうな軍に見えなくもない部隊を董卓は率いていた。
軍と呼ぶに憚られるが、かと言って強盗団でもないその集団は董卓の私兵であった。先だってまで戊己校尉として玉門関を越えて遥か西、漢土ですらない西の果てで西域諸国を漢の味方に縛り付ける任務に就いていたのである。もう解任されてしまったが。
解任の事由は、鮮卑である。
前年の光和元年(179年)冬、鮮卑が酒泉を寇して来て辺郡は大いに寇害を受けたのだが、その際に戊己校尉として西域諸国をまとめ上げて救援の部隊を出すべきであった、出せたであろう、出せた筈だ、それなのに何故やらなかった、職務怠慢である。いつの間にか中央の方でそう言う話となっていて董卓は罷免された。
莫迦じゃねーの。
思い出したらムカついて来た。
救援の急使さえ此方には来てなかったのだ。知らねば救援のための行動などできるわけがない。突然の鮮卑の襲来に、城に籠ってガタガタ震えるしか無かった連中が、処分を下される時にこっちを巻き添えにしたのだ。一部の太守が董卓悪くないと証言してくれたようだが、結局免官は覆らなかった。本当に腹が立つ。
そもそも鮮卑事案は使匈奴中郎将とか度遼将軍とか武官の華とされる官職を得ている連中が担当なのだ。そいつらは何をしていたのだと言う話でもある。この顛末のそもそもの出だしと言うのが、その辺境の防衛を荷う高級将校たちが一昨年の熹平六年(178年)八月に鮮卑討伐に出兵したはいいが大敗を喫したことにある。周辺を併呑して攻勢を強める鮮卑は、これで漢朝を舐めたのか、もともと活動していた幽并から離れ、遥々酒泉のこんな処まで調子に乗ってやって来て、散々寇害を成して還っていった。ヘイヘイ漢の皇帝ちゃん見てるぅ? 君の大切な酒泉がボロッボロだよぉ?ってか?
檀石槐の野郎、ふざけんなクソが!
成りあがる為に郡吏州吏の下積みを続け苦労して、ようやく羽林郎から中郎將張奐の引き立てに与りその軍司馬に為り、軍功を得てキャリアへの道を認められ、廣武令から蜀郡北部都尉を経て戊己校尉までなったというのに。このまま大過なく任期を終えたら次は郡太守が見えて来たというのに。すべてが幻に消え、今や無職。
クソが!
董卓は振り返り、宝物の積み隠された車列とその後に続く牛と馬と羊を眺めて心を慰める。任期中に西域で増やした家畜と西域で手に入れた宝物は董卓の命綱だ。私兵を養うのに必要な家畜と資産を除いた残りは、洛陽に着いたら全て付け届けに使って再度官途に就くのだ。そうして再度官途に就いて、俺を巻き添えにした連中に復仇してやる。加えて出来るならそもそもの原因となった鮮卑のクソどもにも一泡吹かせてやる。
董卓がそんなどうでもいいことをつらつら考えていた時であった。
「お頭ぁ、おかしな二人連れを捕まえましたがどうします?」
先行して偵察に向かわせていた者たちが戻ってきた。
「お頭とか言うな。山賊の頭みてぇじゃねぇか。」
董卓はそう応えたが、どう見ても山賊の頭にしか見えない。
「それでおかしな二人連れってなんだ?」
「それがその、賊に身ぐるみ剥がされて逃げ出したような感じで」
そうして連れられて来たのはどこからどう見ても賊に身ぐるみ剝がされて逃げ出して来た二人であった。
董卓はあらためて荷物を何も持たず山中をさ迷い歩いていた二人に対した。
「拙者、かくぶんわと申す。こちらは従弟のわいでござる。閣下には拙らの救出に尽力頂き感謝申し上げる次第でござる。」
一人が口を開いた。茫洋とした様相である。はっきりいうとぼんやりととっぽいを半分ずつ混ぜたような様相だ。それからござる。ござるとは随分また古い言い回しを使うと思った。話を聞くと漢の統制を外れた氐人たちに襲われたのだと言う。加えて未だ仲間が捕らえられていると。どおりで上空の飛鳥がこちらだけでない箇所を気にした飛び方をしているわけだ。
董卓は偵察役に改めて指示を出して先行させることにした。
それから意識を目の前の二人に戻した。
「かくぶんわ」
その響きは何となく聞き覚えがある。董卓はかくぶんわなる者にどんな字を宛てるのか尋ね、賈詡と書くのだと聞き出して思い出した。武威の孝廉の名前である。
孝廉は郡が中央政府に推挙するもので、将来のキャリア官僚候補である。人口二十万に付き一人で、辺郡など人口の少ない郡は二年に一人を推挙する。武威は辺境の郡で人口は少ない。当然孝廉の枠は二年に一人である。通常は在地の豪族たちが孝廉を得て中央政府のキャリア官僚へ登るための枠として占拠するため、なかなか推挙を得るのは難しい。勿論、在地豪族のほかに中央政府の高官や権力者たちがその郡の太守に請託して孝廉の枠を使い切ることも珍しくない。
(武威郡の勢家に賈家などあったか?)
董卓は武威の近所、隴西郡臨洮県の出身である。出世を目指す以上、当然近所の郡の主だった豪族は覚えている。が、その中に賈家の情報は無かった。その地で幅を利かせる豪族でないのに孝廉となった、それは在地豪族たちの力の及ばない誰か権力者との繋がりか、物凄く優秀なために豪族たちが中央政府に自分たちを引き上げさせるために送り出した人材か、太守がそんな権力の構図を気にせずに才能だけで選んで送ったか。そんなところだろう。
(さて。あの武威太守はそんなタマだったかな)
記憶を探って見るが、茫洋としている。それはそうだ。任に就く時には挨拶に伺っているが、還る今は先ぶれを出して通過しただけだ。「故あって任期全うを目前に還ることになり、太守にはその旨をお伝えいたしたく、また任を全うせず還るゆえ、ご挨拶に伺わないことを察して頂きたく、送迎もご勘弁頂ければ幸いです。」との手紙と些少の心づけに「諾」との返書があって顔も見ずに通り過ぎた。『故あって』は近隣の諸郡太守は薄々察している。腫物に触るように関わらないでくれた。尤も在地の官吏たちはそうもいかず、代表の数名が車列を見送ってくれたのだが。
さて。ではこの目の前の賈詡だ。なんだってまたこんな状態になっているのか。
孝廉に挙げられた者はキャリア確定組である。帝都で審査を受け、能力に応じて一旦は三署の郎官に任命される。運が良ければ欠員となっている県の令長を補うし、伝手があれば六百石以下の秩石の中央官僚に任じられる。運も力も伝手もなければ令長になれず県尉に任じられて、地方でのドサ回りを長く続けることになる。そうなればいつまで経っても上に上がれないので途中で辞めて誰かの引き立てを待つことになる。
「さて、賈詡さんよ。お前さん、孝廉に挙げられたんじゃなかったのかい?」
訊ねてみる。これで県令などに任じられて任地に赴く途中で被害にあったのであれば言葉を改め、丁重に近くの県へ送り届けることになる。それは何らかの功績になるだろう。何であっても伝手になる。今は無職の董卓である。
「さすが閣下。辺鄙の推挙事情にも詳しいとは。しかしながら拙者、故あって郎官を辞めて故郷に帰る途中でござった。出来るならこのまま閣下のご厚情を被り、近くの県城まで送って頂きたいと思ってござる。」
任じられる予定の官職が気に入らず辞めたクチか。
董卓は思った。
随分と贅沢なことだ。こちとら県の賊曹掾吏にようやく就いてそれはもう苦労して功績を立てて、それで刺史に引き立てられて兵曹從事となって、孝廉茂才なんて夢のまた夢だから六郡良家子の制度で中央に潜り込み、どうにかこうにか此処まで来たと言うのにな。さて、伝手にならない伝手と分かったが、放り出すのも人情が無い。
「俺たちは洛陽へゆく途中だ。汧県まででいいか?」
「閣下のご厚情に尽きせぬ感謝を。宜しくお願い申すでござる。」
「閣下など呼ばんでもいい。俺は任期末で解任された身だ。洛陽に行ったら後は暫く猟官活動をする身の上よ。」
「んん?」
ほっとした様子の二人にそう伝えると、賈詡は怪訝な顔をした。
「何だ?」
「閣下、」
「閣下はいいって」
「確認でござるが…閣下は既に新任者との引継ぎは終えられたのでござろう?」
「そうだが」
「解任の場合、都に報告を携えて復命する必要がある、それゆえに報告書を手に都へ向かっておられるわけで?」
んん?
そんな手続きだったか? 覚えていないな。そうだったか? んん?
「ま、まぁ、そんな所だ」
賈詡は視線を動かした。董卓が率いている隊列とその編成を確認している。
「閣下。助けて頂く身の上で、憚りながら申し上げるでござるが、復命と報告にはその、期日がござる。閣下はその、随分と復命までの行程に時間をかけておられるようでござるが、その、期日は大丈夫でござるか?」
期日?
董卓の背中に恐ろしく冷たい汗が流れ始める。
軍にあって期日は絶対である。軍事行動で会敵地点への集合に遅れでもしたら間違いなく死罪、棄市である。事は軍事行動ではなく任務を終えての文書報告と復命だから死罪とはならないにしろ、それでも結構な処分が下る。そんな気がする。
「期日は、どうだったかな」
目の前の孝廉が説明する期日の取り方に従って、ざっくりと計算してみる。うん、大丈夫じゃない。全然大丈夫じゃない。
「賈孝廉」
「はい」
「お前さんを見込んで頼みがある。」
「閣下に助けられた身の上、拙者に出来ることであれば」
「実は、期日に間に合いそうにない。」
「間に合わない」
「こういう時、上手くどうにかするには、どうすればいいかな?」
こいつマジか、と言う孝廉の目が痛い。
しかし董卓には恥も外聞もない。処分を逃れるためなら、目の前のキャリア官僚候補をこき使うしかないのだ。董卓は賈詡に面倒ごとを丸ごとぶん投げた。汧県までの道程で処分を逃れるための方策のほかに、ついでに戊己校尉の報告書まで、丸ごと全部。期日に遅れそうだがそれはこうした事由により止むを得ない事情である、急ぎ急報を伝えるので配慮のほど宜しくお願いするとの急使の連絡の文、その理由のそれらしさ、任期途中までの戊己校尉の報告書、その体裁の整い方、見せられた草稿に董卓は唸った。この男、凄くないか?凄く、使える。豪族たちがキャリア官僚になるために奪っていく孝廉枠に正規に入り込む人材(に違いないと董卓は思った)とはこれほどなのか。
「賈孝廉」
「はい」
「お前さんは凄い奴だな。本当の孝廉がどんなものか、見せて貰った。」
「過分なお褒めでござる。」
「いや本当に助かった。汧県まで送るのはものの次いでだ。他に俺に出来ることは無いか?」
汧県までの途上、賈詡の仲間たちで生きていた者たちを回収しながら、董卓は賈詡に言った。
本当に感謝の気持ちしかなく、その気持ちから自然に出た言葉だった。
その言葉に賈詡が思案気にする。
おや、と思った。
「閣下の好意に甘えるようで申し訳ないのでござるが」
「閣下はよせよ」
「汧城で県令どのから、今の司隸校尉殿がどなたか、聞いて頂くことはできるでござろうか?」
奇妙な「お願い」だった。
汧城で県令と会い、やるべきことを終えた董卓は、城外に張った天幕の中に賈詡とその従弟とやらを呼び入れた。客人の待遇で目の前の胡床に腰掛けるよう促し、畏まる賈詡にざっくばらんに話しかける。最近人事異動があったこと、それまでの司隸校尉が昇任したこと、それから今の司隸校尉の名を伝えた。聞き終えた賈詡の顔が改まった。
「閣下、お願いがござる」
「だから閣下はよせって」
「拙者と従弟のこの二人、洛陽まで同行させてほしいのでござる。」
「えっ!?くーさん!?」
従弟とやらが驚いて賈詡へ顔を向けた。
董卓からすれば賈詡の同行願いは願ったり叶ったりである。一応賈詡のお陰で復命と報告に関する期日破りはどうにかなりそうであったが、しかし実際帝都に至ってからあらためて悶着が起きた時、中央政府を相手に上手く対応出来る自信が董卓には無かった。帝都に同行した賈詡がそれをやってくれるのなら同行も万々歳である。とは言え、賈詡の同行者である従弟とやらの驚きようが董卓には気になった。
「…事情がありそうだな」
「閣下には出来れば聞かずにおいて頂きたく、」
「そうはいかん。中途半端に巻き込まれる位なら、この董仲穎、頼られた方が却ってすっきりする性分なんだ。俺に出来ることなら力を貸すぜ」
「では、お人払いを」
覚悟を決めた顔で賈詡が言う。だから董卓は答えた。
「脇の二人は俺の腹心、俺そのものだ。」
賈詡は二人を見て「で、ござるか」と呟いた。
「では。」
脇で「くーさん」と言う従弟を手で制し、言ってきた。
「太尉段公が政変で殺害された。拙者の隣にいる者は段煨、段氏の氐でござる。」
あ、
董卓は後悔した。つい今しがた、県城で、世間話として県令から太尉段熲が弾劾されて獄中で亡くなったと知らされたばかりだった。それが「亡くなった」ではなく「殺害された」である。政変だ。間違いなく政変だ。なぜ賈詡が司隸校尉の人事を気にしていたのかも、洛陽へ舞い戻ろうとしているのかも、分かってしまった。分かってしまったのだ。この政変は未だ終わっていない。
とんでもないものに巻き込まれた。董卓は悟った。未だ終わりの見えない政変の渦中を、董卓は踏み抜いたのだ。
「すまん、お前ら、巻き込んだ」
脇の二人に詫びた。
「お頭ぁ、そんなの言いっこなしですぜ」
「お頭あっての俺らなんで」
絶対こいつらは分かっていない。それでも。
二人の言葉が心に沁みた。
かくぶんわはだらけたい 黒田タケフミ @tridom_at
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