(1)人物
賈詡(文和):かく(ぶんわ)。本作の主人公。姓が賈、名が詡、字(あざな)を文和という。(以下、各人物は同様。)帝国の西北辺境「涼州」地域にある武威郡姑臧県の出身。現在、政変に巻き込まれ、仲間と共に洛陽から逃げ出し郷里へ帰る途中。
董卓(仲穎):とうたく(ちゅうえい)。賈詡と同じく帝国の西北辺境涼州隴西郡臨洮県の人。西域戊己校尉に就いていたが、西域のごたごたの責任を負うとの名目で免官となり、洛陽へ戻る途中。賊から逃げて来た賈詡を偶然拾ったことで難儀な運命に巻き込まれる。
段熲(紀明):だんけい(きめい)。賈詡と同じ武威郡姑臧県の人。後漢書李雲伝で李雲が称える「西北の列将」の一人で、皇甫規、張奐、段熲は並んで「涼州三明」と言われる。漢帝国最高官である三公の一人、太尉となったが、官位に就くことわずか一月余りで政変により落命する。本作では賈詡が孝廉になれたのは彼の請託によるとしている。賈詡にとって大恩の人である。
皇甫規(威明):こうほき(いめい)。皇甫という二字姓の人。涼州安定郡朝那県の人。後漢書で張奐、段熲と共に一つの列伝を構成、その伝の最初の人。三人とも字に「明」が入るため、列伝の中で「涼州三明」と称えられる。
張奐(然明):ちょうかん(ぜんめい)。涼州敦煌郡酒泉県の人。「涼州三明」の一人。皇甫規、張奐、段熲は後漢桓帝の御世に帝国西北を脅かす異民族の騒憂に対し代わる代わる起用されて成果を残した。
桓帝:諡が孝桓帝。姓は劉、諱は志。肅宗と祀られる孝章皇帝劉炟の曾孫。祖父が河閒孝王の劉開、父が蠡吾侯の劉翼。質帝が崩御すると梁太后と「跋扈将軍」大將軍梁冀により傀儡の皇帝に立てられたが、傀儡の日々を耐えながら禁中に策を立てて梁冀を誅滅し、実権を取り戻して政を敷いた。諡の「桓」は敵に克ち、遠きを服従させたことを示す。
梁冀(伯卓):りょうき(はくたく)。涼州安定郡烏氏県の人。父が大将軍梁商、妹が順帝の皇后、順烈梁皇后。父の死後、大将軍となって朝廷の権を握り、順帝沖帝質帝三代に亘り専権を振るい、自分を跋扈将軍と呼んだ質帝を毒殺した。質帝の後として傀儡に立てた桓帝に誅滅される。
(2)官制・制度
挙主:後漢の人事・官位制度では中央官僚(キャリア)になるために経由すべきルートがある。その本道が孝廉や茂才に挙げられることである。孝廉に挙げるのは郡の太守か国相、茂才に挙げるのは二千石の中央官僚・州の刺史か牧で、この孝廉などに挙げた人を「挙主」といい、途中で官を辞めるまでは終生の恩義を受けたものとして行動することになる。
孝廉:その郡の中で孝行廉潔の評判高い者として郡太守・国相が中央政府に推挙する。推挙人数は郡国の人口二十万につき1人、二十万に満たない郡国は二年に1人を推挙する。孝行廉潔の評判が高ければ誰でもいいわけではなく、後漢の後半になると二十歳以上で地方官吏を十年以上勤めていることが条件となった。なお二十歳で孝廉に推挙された袁紹や曹操、張昭あたりは孝廉推挙の例外規定で「德行尤異にして職を経ることない者については、その内容を精査できるよう報告を付すこと」とあるのを使っていると思われる。地方官吏十年経ての孝廉最速は荀彧の二十七歳など二十台後半あたりとなる。史書に「少なきより吏となり」とあるのは、最速目指して十代後半から県の少吏など真面目に勤め本道を歩んでるんだと言うのを伝えたいのかも知れない。
郎:郡国が挙げた孝廉は一旦、左右と五官中郎将の属官である三署郎に補われる。五十歳以上は五官郎へ補い、それに次いで左右中郎へ分けて配属される。郎は四つの位階があり、中郎、議郎、侍郎、郎中の四等級となる。官位の秩石を説明する百官志には三署郎の中に議郎がなく、前書の漢書には議郎、中郎秩比六百石とあるので、議郎の立ち位置は議郎・中郎秩比六百石>侍郎秩比四百石>郎中秩比三百石ということだろう。ちなみに曹操は議郎でしたね。
三公:漢帝国常設の最高官。太尉、司徒、司空のこと。太尉は四方の兵事の功課を掌る。軍事力即ち天威を掌ることから天官と目され、日食により罷免される。司徒は人民の事を司る。帝国の人事は司徒の職掌で人官と目され、疫病などで大いに人民が被災すると罷免される。司空は水土の事、地の恵みを十全に養うことを司る。そのため地官と目され、地震と水害があれば罷免される。
郡守:後漢帝国は郡国と言われる七十一の郡と二十七の国、合わせて九十八の行政区に分けられ、そこを統治するのが郡守・国相で秩二千石である。郡守はその郡の太守のこと。
都尉:郡の警察力を押さえる官吏。治安の悪い郡に設置されることが多く、中央政府から派遣される秩千石の官である。
県令:郡を構成する行政区が県で、県には中央政府から県令・長が派遣される。口数が万以上となると県令で六百石、一万未満は県長で四百石か三百石である。
護羌校尉:後漢帝国には対外戦争のための常設の軍務官がいくつかあり、護羌校尉はその一つ。秩二千石。西羌事案を担当する。その他の軍務官に使匈奴中郎將、護烏桓校尉があり、明帝以後常設官となった対外戦争用の最上位官に度遼将軍がある。
(3)地名
汧県:司隸の右扶風に属する。呉嶽山や汧水を有する。
呉嶽山:もとは汧山と言った。ここから汧水が流れ出る。
汧水:呉嶽山を源とする河川。一部は県城を回る。
蒲谷郷:汧県に属する集落。汧の北側、弦中谷を通る中にある。
略陽:涼州漢陽郡に属する県。弦中谷を抜けた先にある。
隴西、金城、張掖:全て郡名。涼州に属する。
(4)風物
避名:自分の父母、敬うべき者、上官などの名を言うのは呼び捨てにするということ。そのためその人の名を直接言わずにその人を言う習いがある。近しい場合は字を呼ぶ、官位で呼ぶ、上官や敬うべき者なら「君」を付けるなど。作中では当時の避名を完全再現などせず、「さん」「くん」「様」などでテイストを施す。
氐人:後漢帝国にとって漢人でない異種の人々の一つ。他に羌人(族)などがいる。
燒當、燒何、當煎、勒姐種:羌族。まとめて八種羌と呼ばれる。
湟中義從羌:湟中を根城にし、漢帝国に服属する羌族のこと。服属する代わりに討伐されることは無いが、帝国の軍役に駆り出される。使役する司令官により、抜群の力を出すこともあれば、摺りつぶすような使い方をする司令官には叛旗を翻すこともある。
滇那羌:西羌の一つ。
先零羌:東羌の筆頭種。