そして、「さようなら」

隅田 天美

もう、いいよ

『ドラゴンクエスト』


 ゲームを知らない人でも、この言葉を聞いたら勇者が冒険するものだと何となくわかる。


 発売当時。


 ファミコンというものは『子供が遊ぶもの』で大人が本気で作るものではなかった。


 が、脚本・堀井雄二、キャラクター原案・鳥山明、作曲・すぎやまこういち……

 

 大人の世界で第一線で活躍する人たちが本気で作ったゲーム。


 それが『ドラゴンクエスト』だった。


 

 今では考えられないが、現在普及しているスマートフォンの写真一枚分の何万分の一の容量しかない。


 だが、そこを堀井氏の奥深いストーリーと鳥山氏の快活な絵がプレイヤー(=勇者)の想像を補い、空前のヒットした。



 特にロト三部作の最終作である『ドラゴンクエスト3 そして、伝説へ』は、学校や会社をサボっておもちゃ屋等に並ぶ長蛇の列に世間が驚いた。


 それは、テレビアニメ化(ただし、設定などがかなり違う)され、今で言うマルチメディア化されてた。



 それから、四半世紀以上過ぎた。


 今や、『モンスターハンター』のような世界規模でオープンワールド(ネット)で遊ぶことができる時代だ。


 私の子供の頃にはドラえもんぐらい、信じられないことだ。


 FFと略称されるファイナルファンタジーというライバル(スクウェア)もいた。



 最近、ニンテンドースイッチ版、つまり、最新鋭の技術を用いての『ドラゴンクエスト3』をした。


 声がある。


 映像は鮮明。


 技術面には何の問題はない。(一部で歩くスピードが遅いとか、性別問題とかは別)



 でも、私には実にアンバランスだった。


『不自由だったからこそ想像できた』ことが少ない。


 時に今作推しであろう職業、魔物使いが非常に厄介。


 私は基本的にファミコン時代から『戦士・僧侶・魔法使い』というパーティー(仲間)で冒険をしている。


 例外として一度クリアーしたり、小説のキャラクターなどを使った『番外編』の冒険の書(セーブデータ)も作る。


 また、スーパーファミコン版から追加職業で加わった『盗賊』は冒険の最中「盗賊 カンタダ」がいるので私の中で世界観は合っていたので違和感はなかった。


 

 この魔物使い。


 どうも魔法使いと僧侶のいいとこどり、というか、この魔法使いと僧侶が弱体化されている。


 まったく、役に立たないわけではないけど、攻撃力のある剣(僧侶はある程度装備できますが)や斧などが装備できない彼らは、魔物使いや賢者の劣化版と見られがちだし、パーティーに入れるときにどちらかを除外する場合がある。



 そもそも、この職業ってポケモンとか意識しているような気がして、下手したらエヴァンゲリオンすら意識しているような気がする。


 確かに、ドラゴンクエストが誕生してもうすぐ半世紀にはなる。


 その間、ドラゴンクエストやファイナルファンタジーを超えようと様々な作品が生まれた。


 今のライトノベルの世界観には、舞台が中世でなくても何らかの形で、その要素は意識・無意識であると思う。


 身分の違う異性からモテる。

 

 特別な能力がある。


 などなど。



 私の場合、主人公の父親である平野平秋水ひらのだいらしゅうすいの「普段は駄目親父だけど締めるときはしっかり締める」というのはドラゴンクエストに出てくるスケベ親父たちの影響が強い。



 それが、今の風潮なのか、それに抗えないほど巨大企業と化したのか……


 スケベ親父などがことごとくNGになっている。


 新設設計も、新要素(色々なところに物が落ちている)なども要らない。



 もちろん、私がその分、歳をとり、色々経験したのも影響あるだろう。


 でも、もう……いいかな?

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そして、「さようなら」 隅田 天美 @sumida-amami

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