あの建物に文句を言う

ぽんぽん丸

こんな世の中じゃ POISON

私の楽しみである通勤路の開けた空に、高層建築が建とうとしている。私の空にクレーンが建った時から嫌な予感はしていたのだけど、そんなのおかしい。


古紙回収はPTAで1ポイント。6年間で12ポイント必要だからこれだけでは足りない。だけど仕事がある私は活動に出られないからありがたい。週一回20分。それだけなのに、億劫だ。


仕事の上司は私にこう言ったことがある。「子供もいて、独り身で、もういい歳じゃないの?それでこんな仕事してていいと思ってるの?後ないんだからしっかりしてよ」私はもうミスが許されない。子供もいて、独り身で、いい歳だから。


さて、ビルの文句はどこへ言いにいけばいいのだろう。私は貴重な時間を割いて、普段の帰り道から逸れて私の空を少しづつ浸食しつつあるビルの麓へ向かった。


白い囲いで囲まれている。角のところは透明になっている。そんな気遣いをしても意味がない。私の空を奪わないでほしい。


赤く点滅する案内棒を持った人が1人いた。この人に文句を言おうかと思った。だけどもう19時近いのに、繁華街の付近の工事現場は煌々とライティングされていて、日焼けして汗をかいた男が出入りしている。


私は彼らを見逃して入口付近にスマホカメラを向けた。施工業者とか工事の予定期間が書かれている。私が写真を撮り終わると、案内棒を持った人の珍妙な視線に私は気付く。


きっとこれを撮影するのは、工事関係者のお偉いさんか、市町村の人か、苦情を言う近隣住民だからだ。私はどれでもない。屁理屈で苦情を言うよそ者ではある。そこまで演繹的に考えてみて、私の居場所がなかったのでその視線をどうしていいかわからなく笑顔を返してしまった。


安全棒を持った人も、きっとよくわからないのに、笑顔を返してくれる。私は足早に帰路に着く。


「おかえりー!」

「ただいまー!」


玄関で息子を抱きしめる。


「晩御飯はカレーにしたよ。えいちゃん、お母さんと食べるって待ってたから早く食べよう」


私は息子の体温を体に染み込ませてから手を洗って食事にした。布団に入る頃に古紙を出してないことに気付いた。母さんが出してくれていただろうか。ポイントが剥奪されたらどうしよう。私はPTAの役員だったりはできないだろうし、もし咎められたら…明日、会長さんに連絡して謝ろう。


私はダメな母親なのかも。その日はそんな嫌な夢をみた。内容は忘れた。だけど嫌な夢だった。


「カレーは二日目が美味しくなるからね」


私は手料理を作らずに母がたくさん作ってくれたカレーが美味しくなっていると息子に教える。私は手料理を作らずに息子に教える。母が息子に教えたといえる?私は教えてさえいないのかもしれない。


後のない私は時間をかけてミスを探す。ミスがないかどうかを証明する公式がほしい。なぜならミスがないことを証明する手段を私は持たないから。とにかく確認をする。確 認 ?なにが確かでなにを認めているのだろうか。


ああ、そうだ、帰ったら古紙をまとめないといけない。今日だ。


そうして気付けば私の空には40階建てのマンションが出来上がっていた。毎日の通勤路なのに、私は出来上がったことに気付いたのだ。立派なマンションだ。私の給料がそのまま家賃なんだろうな。


私は給料のことを考えるのをやめたくて、スマホの写真フォルダを開いてみた。あの日のマンションの施工通知の写真がまだ先頭にあった。空の写真も、息子の写真もない。


学生の頃の私の声が聞こえる。

『好き?何が?写真も撮らないし、文句も言えないのに?』

動悸がする。嫌だ。


嫌だ。


私はカレーを食べる息子の笑顔を思い出す。ビルの間だからこそ広い空を思い出す。まるで病気になったみたいに跳ねる心音を抑える。そうしながら、足を止めずに職場に向かう。



そうか、あのマンションを爆破しよう。


それとも、上司をやろう。


いや、PTAを破壊しよう。



私にはどれもできない。ミスをするから。

コピー機が次の会議に必要な企画書を吐き出す。


青く広い空を背景に、新しいマンションの完成イメージが24枚、淀みなく印刷される。


ローラーから出てきた用紙がコピー機の受け皿を突く。

カっカっカっカっ


私はミスをしないようにその様子を眺めている。

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