第2話 少女Rの言うことにゃ

「なんで俺の名前……」


 言いかけたと同時に、隼人はやとが声を上げた。


「決めた! 俺の恋愛運を占ってよ!」


 隼人は得意げに笑っているが、俺は内心でため息をついた。

 

 ──散々悩んでそれかよ。


 考えて考えて、たどり着いた答えが『恋愛運』なのだろう。

 脳天気、は言い過ぎかもしれないが、コイツの思考回路はどこまで行っても直感的だ。


 ──まあ、そこが面白いんだけどな。


 と思いつつ、俺はわずかに顔をしかめた。


 莉緒はあくまでも平常心で、「うん、わかった」と微笑みながらタロットカードを取り出した。


「じゃあ、はじめるね」

 

 彼女の指先が器用にタロットカードを切り、宙を舞うように混ざり合っていく。

 それは手品でも見ているかのように滑らかで、自然と息を呑んだ。


 数回ほどシャッフルして、彼女はカードの山を机に置いた。


「このカードの山を三つに分けて」

「おう」

「うん。そしたら、好きな順番で重ねて山に戻して」

「……よし、これでいいか」


 隼人が言われるがままにカードを分けて戻すと、莉緒は指先で優しくカードの山を揃える。

 そして「占ってみるね」と、静かに机にカードを並べ始めた。

 不思議な絵柄のカードが魔法陣のように形を作る。


 ──なんか、雰囲気出てきたな……。


 俺はその雰囲気に圧倒されて、少しだけ息を潜めた。

 莉緒が手元の一枚をじっと見つめる。

 目を伏せている彼女はどこか神秘的で、漂う空気の中にかすかな緊張感を生んでいる。

 ほどなくして莉緒がすぅっと顔を上げて、ほがらかに言った。


「恋愛運はいいみたいだよ。夏から秋にかけて、素敵な出会いがあるかも」

「マジか! ありがとう!」


 隼人は興奮気味に顔を輝かせている。

 かく言う俺は、少し冷めた目でその様子を見ていた。


 ──ほらな。占いなんて、曖昧で適当に言っときゃいいんだ。


 でも、隼人の目は完全に占いの結果を信じ込んでいるようだった。

 こういう純粋さがモテる秘訣なのだろう。

 少し羨ましい気もするが、やはり冷めて見えてしまう。

 

 未来なんて誰にわからないし、どうとでもなる。

 だから占いの言葉に左右されるなんて、俺からしたらありえないことだ。

 どんな結果にも当てはまる、曖昧な言葉を並べておけばいい。

 外れたら外れたで、「機会はあった」「見逃していただけ」ってホラを吹けば済む話だ。


「次は、玲仁れいじくん」


 ふわりと微笑んだ莉緒が俺と目を合わせる。

 その目には少しだけ、好奇心のようなものが感じられた。

 俺が占いに興味を持つ瞬間を見逃すまいとしているような鋭い視線だ。

 だが、そんな視線に押される気にはならなかった。


「いや、俺はいいって」

「んだよ、照れんなよ。せっかくの機会なんだしさ」

「照れてねぇよ」

 

 隼人がすかさず声をかけてきた。

 コミュ力お化けのコイツには、俺が照れているように見えているんだろう。

 やり取りを見ていた莉緒がクスクスと笑い、そして少しだけ挑発的な目を向けてきた。

 

「ねえ。この先に起こる君の未来を、占ってあげるよ」


 その言葉に何故か背筋が少しだけピンと伸びた。

 彼女の顔には、先ほどとは違う不敵な笑みが浮かんでいる。

 挑戦的でもあり、少しの遊び心を感じるその笑顔にわずかな違和感を覚えた。

 

 ──なんだよ、喧嘩でも売ってるのか?

 

 その挑戦を受けてやるのも面白いかもしれない。

 俺の頭の中で、瞬時に反論が浮かぶ。

 

 ──上等じゃん。絶対信じないけどな。


 俺は椅子に腰掛けて、彼女と対峙した。

 少しでも気を抜けば莉緒のペースに巻き込まれそうな気がして、知らず知らずのうちに肩に力を入れていた。

 でも彼女は全然焦った様子もなく、逆に楽しんでいるような余裕を感じさせる微笑みを浮かべている。


「やり方は、さっきと一緒」


 俺を試すような声の響き。

 彼女はさりげなく手元のカードをシャッフルしていく。

 細い指先、無駄のない動きだ。


「三つに分けて」


 俺は無言でカードを三つに分ける。

 このとき、彼女がじっと見守っている気配が強くなった。

 冷静でいようとしたが、少しだけ手が震える。

 占いに関して全く無関心だったはずなのに、心のどこかでドキドキしている自分に気づく。

 カードをまとめて山にすると、彼女がまたニコリと微笑んだ。


「じゃあ、占ってみるね」


 莉緒は深呼吸を一つして、カードに手を伸ばす。

 その瞬間、少しだけ空気が張りつめる。

 俺は無意識に息を呑んだ。

 

 彼女がカードを一枚一枚、ゆっくりと並べていく。

 何かを読み取ろうとしているかのように慎重で、真剣な表情が浮かんでいる。

 俺はその姿をぼんやりと見つめながら、不思議と引き込まれてしまっていた。

 占いに集中している彼女を目の前にすると、言葉の一つ一つがリアルに響いてくる。

 

 ──これが占い、か。


 初めて目にする光景に、思わず見入ってしまう。

 

「ふむ……」

 

 莉緒が小さく声を漏らしたのを聞いて、俺は心の中でぐっと身構えた。

 反応をしっかりと見極める必要がある。

 そして、反論するつもりでいた。


「未来のカード、ちょっと警告してるね」

「……警告?」


 俺は眉をひそめた。予想外の言葉だったからだ。

 普通、占いってもっと曖昧で、ポジティブな未来を語るものじゃないのか。

 そんな俺の心情などつゆ知らず、莉緒は結果を述べ続けた。


「うん。災難が起こるかも。そんなおおごとじゃないみたいだけど」


 ──それを言うなら、隼人に腕を引っ張られてここに来たことがもう災難だけど。


 冗談を言いたくなる気持ちを抑えながら、俺は静かに聞き続けた。

 彼女の表情が、ふっと優しいものに変わる。


「足元に気をつけて。そうすれば、きっと避けられるはずだから」


 ──やっぱ、胡散臭い……。

 

 本当に。

 占いってのは、当たり障りのない言葉で、自分の心の隙間に引っかかりそうなことを言ってるだけだなと、再確認した。


「わかった。まあ、それでいいよ」

 

 俺は肩の力を抜いて、軽く手を振るようにして話を終わらせた。


「隼人、もう行こうぜ」

 

 俺は椅子から立ち上がり、隼人を促す。


「あ、おい、待てよ! 莉緒ちゃん、ありがとう! またよろしく!」

 

 隼人が楽しそうに莉緒に声をかける。

 莉緒は微笑みを浮かべたまま、少しだけ黙った。


「……やっぱり君は、信じていないんだね」

 

 背を向けて歩き出したとき、ふと耳に入ってきた。

 呟くような、でも少し寂しそうな声。

 

 俺は反射的に振り返ろうとしたが、それも悔しくて、やめた。

 心の中に出来た異物を振り払うように、歩幅を大きくして歩く。

 けれど、彼女の言葉が頭の中でリフレインしていた。

「信じていないんだね」という一言が、針のように刺さっていたのだ。


 校門へと向かっている最中、ふとポケットに入れていたスマホが震えた。

 画面には、ゲームアプリの通知。


「おい、隼人。なんか次のアプデで新キャラでるみたいだぜ」

「え、マジ!?」

 

 意気揚々と隼人の方にスマホと視線を向けようとした、その瞬間。

 右足の下に違和感を感じた。

 ゴリっとした感触とともに身体が大きく傾いていく。


 ──やべっ!


 そう思うよりも早く、俺は地面に尻をつけていた。


「いってぇ……」

「おい、大丈夫か?」


 隼人が驚きつつも、苦笑いをしながら声をかけた。

 こちらも「大丈夫」と苦笑いを返し、痛みが走った後──ヒヤリとした感覚が襲ってきた。


 握りしめていたスマホが、右手の下敷きになっている。


 転ぶ直前、どうしてスマホを離さなかったのかと思ったが、危機的な状況になると体は自然に緊張してしまうものだ。

 まあ、ただつまずいて転んだだけだが、予期しない事態に対して、パッと手を放すなんて無理だろう。


 ──だから、まあ、こうなるのも当然の結果だ。


 冷静を装いながら、スマホをじっと見つめた。

 蜘蛛の巣──というには大げさだが、画面の真ん中に一本、稲妻のような線が走っている。

 案の定、スマホの画面は割れていた。


「あちゃー、割れちまったか。でも、莉緒ちゃんの占い通りじゃん」


 隼人が言ったその言葉に、少し驚いたように目を見開いてしまった。

 でもすぐにその意味を理解して、苦笑いがこぼれる。

 

「……は?」

「足元に気を取られて、転んで、画面が割れてしまうという災難。ドンピシャじゃん」

 

 隼人は自分が予言したかのように、軽く肩をすくめて見せた。

 その無邪気な様子に、俺は心の中でため息をつく。

 

 ──コイツは本当に調子がいいな。


 けれどそんな隼人に対して、俺もまた、この状況に置かれた自分が妙に滑稽だとも思っていた。

 占いの通りだなんて言うつもりもないが、どこかで皮肉にも感じていた。

 

「ま、偶然だろ」

「いーや。俺はますます莉緒ちゃんの占いの力を信じるようになったね」


 隼人は楽しそうに笑いながら、スマホを指さしてきた。

 コイツの顔には、占いが現実のものになったことを楽しんでいるかのような表情が浮かんでいる。

 おおかた、夏から秋に訪れる素敵な出会いとやらに期待を膨らませているのだろう。


「はあ〜……」

 

 ため息をついて、ふと空を見上げる。

 

 ──災難だな。


 口に出しそうになった言葉を、慌てて飲み込んだ。

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