第1話 少女Rとの出会い

 終礼のチャイムが鳴り響いた教室は、うるさいくらいににぎやかだ。

 授業から解放された自由な空気が広がり、あちこちで「帰ろうぜ」「部活行くか」なんて声が飛び交う。

 

 そんな中、俺は友人の東堂隼人とうどうはやとに腕を引っ張られていた。


「おい、隼人はやと。中庭に何の用だよ」

「いいから、ちょっと来いって。お前も聞いたことくらいあるだろ? 放課後の中庭に、たまに現れる占い師の噂」


 ──占い師?

 

 隼人の言葉に、俺は思わず眉をひそめる。

 占いなんて、まったく縁のない世界だ。

 朝のニュースで流れる「今日の運勢」すらまともに見たことがないし、そもそもそういう非科学的なものを信じる気もない。


「いや、聞いたことねぇけど」


 正直に答えると、隼人は「マジかよ」と大げさに肩をすくめた。


「意外と有名なんだけどなー。ま、そういうとこ玲仁れいじらしいわ」


 俺の肩をバシバシ叩きながら、隼人は満足そうにうなずく。


 俺たちは高校二年生になったばかり。

 隼人とは一年の頃から同じクラスで、今もこうして一緒にいるのは──まあ、縁が深いってことにしておこう。

 

 隼人は誰とでも気さくに話せる、いわゆる陽キャ男子だ。

 適度に面倒見がよく、地味に女子からのウケがいいのだが、はっきり言って俺は納得していない。

 だが、気づけば隼人のペースにハマっている。

 俺は流されやすい性格ではないはずなんだが、コイツに限っては例外らしい。

 さすがは陽キャとでも言うべきか。


「で、その占い師とやらが何か?」


 俺が適当に聞き流すように言うと、隼人は少し得意げに口元を緩めた。

 

「いやさ、結構当たるって評判なんだよ。しかも、可愛い」


 最後の一言で、こいつの本音が見えた気がする。

 案の定、隼人はニヤリと笑い、妙に楽しそうに俺の肩を軽く小突いてくる。

 

 ──なるほど、理解した。

 

 つまり、隼人の目的は『占い』ではなく『女子』のほうというわけか。

 まあ、放課後にわざわざ中庭なんかに向かう時点で、大体そんなことだろうとは思っていたが。


「……相変わらずだな、お前」


 呆れ半分で言うと、隼人は「おいおい」と肩をすくめながら笑う。


「俺はな、純粋に占いの実力を確かめたいだけで……」

「はいはい、そういうことにしといてやるよ」

 

 適当に流しつつ、俺は隼人の後についていった。

 


 校舎の裏手にある中庭は、普段は人影が少ない静かな場所だ。

 昇降口から少し回り道をしないといけないし、学校のすぐ隣には広い公園もある。

 わざわざここへ来る理由は、あまりない。


 そんな場所の一角に──彼女はいた。


「ほら、あそこ」


 隼人があごで示した先に、『占い師』と呼ばれる少女がいる。

 俺は思わず足を止めた。


 長い黒髪が葉桜と一緒にふわりとなびく中、静かにカードを並べている。

 柔らかな陽射しに当てられて、まるで別の世界にいるかのような佇まいだった。

 その姿を目にした瞬間、なぜか言葉が出なかった。

 ただ一瞬。

 彼女の幻想的でもあるかのような美しさに、目を奪われてしまったのだ。


「……あれが、噂の?」

「おう。百瀬ももせ莉緒りお。一年の頃から時々ここで占いをしてるらしい」


 ──莉緒。


 その名前を聞いたことがある。

 男子たちが高校の入学式のときから騒いでいた、「可愛い」「美人」と評判の女子だ。

 

 俺はいまだに同じクラスにはなったことがなかったが、人当たりもよく、すでに同学年の三分の一の男子生徒を振っている、なんて噂も耳にする。

 今では『高嶺の花』どころか、『高嶺の星』みたいな存在だとか。

 どこの誰が言い出したのかは知らないが、言い出したヤツは相当なロマンチストに違いない。

 


 莉緒の周りには数人の女子生徒がいて、そのうちの一人がカードを引いている最中だった。

 そして引かれたカードをじっと見つめ、何かを考えるように指先でカードの縁をなぞると、女子生徒と会話を始めた。


 距離があって、彼女たちの話はよく聞き取れない。

 まあ女子が占ってもらいたい内容なんて、どうせ恋愛に関することだろう。


 やがて、占ってもらった女子生徒が嬉しそうに声をあげ、仲間たちと一緒にその場を離れていった。

 その背中を見送りながら、あの女子生徒の喜びが占いの結果を信じたからなのか、ただ不安を吐き出してスッキリしただけなのか、そんなことを考えてしまう自分がいた。


 ふと、莉緒がこちらを向いた。

 彼女の視線に引き寄せられるような感覚がする。

 大きな目、色白の肌、さらさらの黒髪。

 目を合わせた瞬間、高潔とも言えるその雰囲気に、胸の奥が少しだけざわつく。

 男子たちが騒ぐ理由が、今ならなんとなく分かる気がした。


「おい、こっち見てるよな。行くなら今だよな」

 

 隼人は軽く肘で俺の肩をつつきながら小声で言うと、返事も待たずに勢いよく歩き出した。

 

「え、あ、おい……!」

 

 俺は少し慌てながら隼人の背中を追うように足を踏み出す。

 今まで女子のことなんてろくに気にしたこともなかったが、なんだか妙にドキドキしている自分がいる。


 ──いやいや、何を意識してんだ。


 俺の動揺をよそに、隼人は一歩前に出て、にこやかに言った。


「はじめまして、俺は東堂隼人。すごく当たるって聞いて、俺も占ってもらっていいかな?」


 ふっと笑いながら声をかける隼人を見て、改めて思う。


 ──凄まじいほどのコミュ力だな……。


 将来は有望なナンパ師にでもなれるんじゃないか。

 そんなことを考えていると、莉緒は慣れた様子でふわりと微笑んだ。

 軟派な声かけなど気にも留めていないような、落ち着いた笑みだった。

 

「うん、もちろん。占いたいことがあれば、どうぞ」


 彼女が顔を傾げるたびに黒髪がさらりと垂れる。

 些細な動作さえも、美しいと感じてしまうほどだ。


 ──『高嶺の星』、か。


 確かに、その言葉がぴったりだと思った。

 誰の手も届かない、遠くで静かに輝く存在。

 彼女に近づきたかったら、宇宙飛行士になるか、大金持ちになるかしかないのかもしれない。


 隼人はというと、すでに常連客のように椅子に腰を下ろしていた。


「なにを占ってもらおうかなあ」


 あごに手を添えて考え込んでいる。

 やっぱりコイツ、占いじゃなくて莉緒そのものが目当てだったんだな。


「ねえ、君もなにか占ってほしいの?」

 

 莉緒が微笑みながら、不意に俺に目を向けてきた。

 淡く透き通った、わずかに色素の薄い瞳。

 吸い込まれそうなその色に、一瞬だけ呼吸を忘れる。


 まるで最初から俺がここに来ることを知っていたみたいな、まっすぐな視線。

 思わず言葉が詰まった。


「……いや、俺は別に。占いとか興味ないし……」

「そうなの? でも、せっかくだから」


 莉緒は口元に手を当てながら少し楽しそうに微笑んで、ふわっとした声で続ける。


「占うよ。首藤しゅとう玲仁れいじくん」


 初対面だったはずの彼女は、俺の名前をさらっと口にした。 

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