第3話 少女Rは天使のように微笑んだ

 翌日、学校が終わって放課後の昇降口。

 靴を履き替えているところに、彼女はやってきた。


「どう? 占い、当たってた?」


 莉緒りおは風に乗せるようにさらりと言った。


「いや、別に」


 俺は言葉を濁す。

 だが、正直に言えば少しだけ気になっていた。

 占いなんて信じるわけがないと思っていたけれど、何となく胸の中でモヤモヤとしたものが残っていたのだ。


「そう? 転んでスマホの画面が割れたって隼人はやとくんから聞いたよ?」


 クスクスと笑いながら、莉緒が一歩近づいてくる。


 ──アイツ、余計なことを。


 隼人が満面の笑みで話している姿が浮かんで、少しイラつく。

 

「ま、たまたまね」

 

 無理に笑って答えるが、あれは占いの結果じゃない。

 俺の不注意だ。


「ふーん。たまたま、ね」

 

 莉緒は微妙に首をかしげてから、楽しそうに言った。

 

「ね、また中庭に行かない? 占ってあげる」


 彼女の瞳には悪戯っぽい光が宿っていた。

 

 ──ちょっと強引だな……。


 とも思ったが、学年のアイドル的存在感である莉緒だ。こんな可愛い子に誘われて、断れるわけがない。

 男のサガってやつだな。


「……ま、いいけど」


 結局、俺はあっさりと返事をしてしまった。


「じゃあ、行こうか」

 

 莉緒は、まるで自分が勝ったように嬉しそうに笑い、歩き出す。

 俺は少しだけため息をつきながらも、彼女について行くことに決めた。


 ◆


 中庭に足を踏み入れると、すぐに静けさと緑に囲まれた空間が広がる。

 周囲の雑音が遠く聞こえ、中庭だけ校舎から遮断されているように感じた。


「また、この先起こることを占うのでいいかな?」


 莉緒がカードを取り出しながら俺に聞いてきた。

 

「別になんでもいいよ」


 俺は肩をすくめ、適当に返事をする。


 ──昨日のは、偶然だ。

 

 心の中でボヤきながらも、つい彼女の動きに目がいってしまう。

 

「そう言うと思った。じゃあ、占ってみるね」


 クスッと笑った莉緒はカードを整え始める。

 見るのは三度目だが、やはり微細な動きには目を奪われてしまう。

 指先がカードに触れるたび、優雅で、神聖な儀式のような、そんな印象すら抱いてしまう。


 昨日と同じようにカードを分けて、山にしていく。

 丁寧にカードを広げた彼女は真剣そうに目を落とす。

 いつものほがらかさとは違い、占いをしているときだけ見せる真剣な表情だ。

 

 しばらくカードを見つめた後、顔を上げて微笑んだ。


「……うん、今日のはいい結果だよ」

「いい結果?」

「小さな幸せっていうのかな。些細なことだけど、嬉しいことが起こりそうだよ」


 占いの結果を聞きながら、半信半疑で彼女の表情をうかがう。

 莉緒は特に誇張することもなく、ただ穏やかに微笑んでいた。

 あまりにも自然で、本当にそうなると確信しているみたいに。


「抽象的すぎるわ。ま、昨日よりはマシかな」


 俺が肩をすくめると、莉緒はまたクスッと笑った。

 風が吹き抜け、彼女の長い髪がふわりと揺れている。

 日の光を受けたその髪が、淡くきらめいた。


「……参考程度に留めておく。じゃ」


 席を立とうとした俺を、「待って」と引き止める。

 

「ね、私、アイス食べたい」


 先ほどまでの落ち着いた雰囲気とは打って変わって、莉緒は目を輝かせて俺を見つめた。

 子供みたいに純粋な瞳。だが、その奥にある意図は計り知れない。

 

「……百瀬ももせさんって、意外と強引?」

「あれ、もしかして一緒に言ってくれないの?」


 無邪気な笑顔を浮かべながら、小首をかしげた。

 

 ──いや、答えになってないんだが……。


 まあ、もう答えなんて聞かなくてもじゅうぶんだった。

 なぜなら、彼女の瞳は俺の返事を待つまでもなく、すでに行く気満々に輝いているからだ。


 ──天使のような悪魔の笑顔だ……。


 男心をくすぐるのが上手い。

 自分の可愛さを理解していないと出来ない仕草。

 これから先、何人の男がこの笑顔に惑わされるのだろう──なんて、余計なことを考えてしまった。


 ◆


 俺たちは高校のそばにあるコンビニに立ち寄った。

 

 まだ五月上旬とはいえ、じりじりと照りつける太陽はすでに夏の気配を感じさせる。

 昼間ほどじゃないにしても、アスファルトの上を歩くだけでじんわりと汗が滲んだ。


「暑いな……」


 冷房の効いた店内に足を踏み入れると、ひんやりとした空気が心地よく肌を撫でた。

 俺はアイスが散らばっている冷凍庫を覗き込み、迷うことなく棒の付いたソーダ味の氷菓を手に取る。

 シンプルで値段も安い。財布に優しいのが一番だ。


「私、これにしよう」


 隣から莉緒の声がして、視線を向ける。

 彼女が選んだのは、ちょっと高めのアイスクリーム。

 パッケージには『濃厚』『贅沢』といった、いかにも高級感を漂わせる単語が並んでいた。


「いいやつ選ぶね」

「うん、こういうのって妥協したらダメなんだよ?」


 莉緒は当然のように微笑む。

 甘いものに値段を気にしないあたり、女子らしいと言えば女子らしい。


 会計を済ませ、俺たちはコンビニのイートインコーナーに腰を下ろした。

 さっそくアイスを開け、一口かじると、ジャリっとした冷たさが口の中に広がる。

 火照った体が少し和らぐ気がした。


「なんで百瀬さんは占いなんてやってるの?」


 なんとなく気になっていたことを口にすると、莉緒はスプーンを口元で止めた。

 だが、すぐにニコッと微笑んで。

 

「百瀬さん、なんて他人行儀な呼び方しなくていいよ。莉緒って呼んで」


 さらりと言ってのける。

 

 ──この子もコミュ力高いな……。


 隼人もそうだが、もしかして俺が低いだけなのか?

 そんな疑問がふと頭をよぎる。

 とはいえ、今さら否定するのも変だし、なんとなく言われるがままになってしまう。

 

「あー……。じゃあ……莉緒」

「うん」


 笑顔を見せる彼女に少しだけ気恥ずかしさを感じながらも、もう一度問い直す。


「なんで占いなんてやってるの?」

「秘密っ!」


 悪戯っぽくウインクしながら、莉緒はアイスを一口頬張った。


 ──なんじゃ、そりゃ……。


 肩透かしを食らった気分だったが、それ以上突っ込むのも野暮な気がして黙る。

 怪訝けげんそうに眺める俺のことなど気にするそぶりもなく、莉緒は目を細めながら幸せそうにアイスを口に運んでいた。

 食べるのが好きな子なんだな、と思うと、なんだか少し可笑しくなった。

 

 氷菓を半分ほど食べ進めた頃。


「あ、玲仁くん! 当たりって書いてあるよ」

「え、マジ?」


 くるりとひっくり返すと、確かに棒には『当たり』と刻まれていた。

 当たりが出たのなんて、小学生ぶりだろうか。

 別にもう一本欲しいわけではないが、思いがけない幸運に少し童心に戻ったような気がした。

 

「ね。小さな幸せ、あったでしょ?」

 

 莉緒はまた、最初からこうなることを知っていたかのように微笑んだ。

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