第20話 絶体絶命

 激しい衝撃音が狭間の空間を揺さぶり、宙に舞う岩のかけらと黒い粉塵が入り混じって、視界を一面の灰色に染めている。僕は浮遊する岩の一角を踏ん張りどころにしてバランスを取りながら、息を荒げて周囲を見回した。


「おいガキ! そっちに追加で来てるぞ!」


 ガルスの豪快な声が背後から響く。振り返ると、彼はすでに大剣を構え、群がる人型ハイジンを次々と斬り伏せていた。黒い液体が噴き出すたび、ガルスの足元の浮遊岩がぐらりと揺れるが、本人はまったく動じる様子もない。


「大丈夫、こっちも何とかするから! ガルスさんこそ足場が崩れないように気をつけて!」


 そう声をかけた瞬間、僕の足元を狙って黒い触手がうごめく。人型ハイジンから伸ばされたそれは、まるで爪先を捕らえようとするかのようにバチンと音を立てて岩の表面を叩いた。その反動で小さな破片が宙に跳ね、僕は後ろへ飛び退いた。

 

「へっ、こんな奴ら……敵じゃねぇぜ!」


 ガルスが大剣をぶん回しながら吠える。

 そして一振りで二、三体まとめて黒い泥の塊みたいに砕いてしまった。


「ガルスさん、少しは気を付けて! 落ちたらただじゃ済まないんだから!」

「うるせえ! 浮いてる岩なんざ、俺の足場には十分だろ!」


 実際、ガルスの身体能力は凄まじい。荒くれ者のような口調とは裏腹に、的確に岩から岩へと飛び移りながら斬撃を見舞う様は、まるで空中戦に慣れた剣士のようだ。ただ、その無茶苦茶な動きにつられて、岩が軋む音を立てるたびに、僕はハラハラが止まらない。


「ふふ、流石と言ったところね」


 レアラが息を切らしながらも、ささやかな笑みを浮かべている。彼女は狐耳をぴんと立てたまま、手のひらにいくつもの光球を生み出し、魔力の弾幕をつくりだす。幾多も撃ち出される小型の光弾は弾丸のごとく人型ハイジンを貫き、派手な閃光とともに黒い液体を散らしていく。おかげで周囲の敵の数はぐっと減ってきたように思えた。


「マコト、今のうちにあの守護者を狙うわよ!」

「分かった!」


 そこで僕とレアラは一気に前へ踏み出した。まだ岩上に散らばる人型ハイジンは少し残っているけれど、ガルスが派手に斬り散らしてくれているおかげで思いのほか道が開けている。


「いくよ、レアラ!」

「任せて!」


 僕が剣を振りかぶり、レアラは光弾を構える――狙いはあの外装の一部分、ひび割れの走った箇所だ。そこからなら大ダメージを与えられるはず。けれど、まさに今から仕掛けようとした瞬間、嫌な予感が走った。


「……っ!? なんだあれ……!」


 巨大岩ハイジンの表面――胸元というのか背中というのか分からないが、大きくひび割れていた箇所がぱっくり割れて、ドロリとした黒液がどばっと噴き出した。

 その光景はまるで火山の噴火のようで、見た目以上に勢いがすさまじかった。濁流となった黒液が波のように流れ落ち、岩の足場を一瞬にして浸していく。


「……レアラ、危ない!」


 僕はとっさに後ろへ飛びのくが、レアラは浮遊岩の僅かな段差に引っかかったようで、逃げ遅れてしまう。連続して撃っていた光弾の反動でバランスを崩したんだろうか。どうにか回避しようともがいた姿が見えたが、もう間に合わない。


「あっ、まず…………」


 黒い濁流が派手に広がり、レアラの半身がその中に巻き込まれていく。体勢が崩れた彼女は低いうめき声を上げたきり、尻もちをつくように沈んでいった。金色の狐耳が黒い液体でべっとり汚され、叫び声もすでにかき消されている。


「レアラッ!」


 すぐにでも彼女を引き上げようと身を乗り出すが、それを巨岩の腕が邪魔をする形で振り下ろされる。ドスン、という轟音。地面ごと叩き潰しそうな一撃に、僕は咄嗟に横っ飛びで回避した。


「クソ……足手まといになるなと言ったはずだぞ……!」


 それでもガルスは、レアラを救出するべく濁流のほうへ駆け出した。大剣を両手に握り直し、岩肌に靴をこすりつけるように踏ん張りながら、黒い液体の縁へ滑り込む形で手を伸ばす。


「勝手に沈むんじゃねえ! ……くそっ、とにかく引きずり出してやる!」


 そう吐き捨てるや否や、ガルスはその剛腕を活かして黒液に沈みかけたレアラの肩を掴もうとした。しかし、まるでそれを見計らっていたかのように、巨大岩のハイジンが盛り上がるように腕を振りかぶり、ゴリゴリと嫌な音を立てながらガルスの背後へ迫ってくる。


「うおっ……! こんの化け物、邪魔しやがって……!」


 ガルスが振り向いた瞬間、その分厚い岩の拳が鷲掴みにするように猛スピードで彼を捕らえた。ごつごつとした指の隙間に体ごと挟まれ、ガルスは大剣を構え直すどころか身動きすら自由にできなくなる。


「ぐっ……なんだ、このとんでもねえ握力……っ!」


 懸命にもがくものの、岩の塊がじわじわと締め付けを強化していくのが見て取れた。上から滴る黒液がギシギシと音を立て、あの猛者のガルスですら抜け出せないほどの拘束力を発揮している。僕はその光景に息をのむしかなかった。


「おい、ガキ! ソイツを助けるなら早くしろっ……俺も……ヤバい……!」


 ガルスの苦痛に満ちた声が聞こえる。いくらあのガルスといえど、岩の化け物の怪力相手に抜け出せるわけがない。金属が軋むような嫌な音が響くたび、ガルスが悶え声をあげる。


「ガルスさん……くそ、二人とも……!」


 僕は歯ぎしりしながら剣を手にする。状況は最悪だ。レアラは濁流に呑まれ、ガルスは腕に捕まって身動きが取れない。しかも、周囲には黒い液体が再び広がり始め、新たな人型ハイジンが生まれつつある。


「どうすればいい……! このままだと二人とも……」


 頭が白くなりかける。必死に考えを巡らせるが、どちらを先に助けようとしても、もう片方が危ない。最悪の事態だった。


 黒液に沈みかけたレアラの姿が一瞬だけ見えた。人型ハイジンが液状のまま塊を作り、彼女にしがみつくよう絡みついている。


「ん……ぐ……ま……こ……」


 か細い声が一瞬、耳に届く。息苦しそうに口元を埋められた彼女が、何とか呼吸しようともがいているのが分かる。だが、このままだと黒液に飲まれて身動きできなくなるまで、時間の問題だった。


 ガルスのほうは、と言えば岩の拳に両腕を締め上げられ、完全に身動きできない。口からは悶絶の声が漏れるだけだ。


(まずい、まずい、まずい! どうすればいいんだ……)


 思考を停止しかけている頭をフル回転させて、なんとか打開策を探す。いや、もしかしたらそんな時間すらもないのかもしれない。


「覚悟を決めるしかない……!」


 口から出た言葉は自分への鼓舞に等しかった。せめて、人型ハイジンをもう少し蹴散らしておけば二人に近づけるかもしれない――そう思って剣を握りしめた瞬間、耳の奥であの声が響く。


(タスケテ……タスケテ……)


 それは、先ほどから繰り返し聞こえていたかすかな幻聴とも言えるもの。でも今は、数が増えたのか音量が増したのか、とにかく頭が割れるほどに大合唱しているように思える。まるで、ここに漂う無数の魂が助けを乞うているかのようだ。


「……くそっ! 黙っててくれ、今それどころじゃ……」


 声にならない叫びを噛み殺すようにして、僕は斜め前の人型ハイジンに斬りかかる。一直線に振り下ろした剣が、泥のような身体を引き裂いて、黒い液体がぬちゃりと飛び散った。すると、その破れた断面からまたもや苦しそうな声が脳内に響く気がして、一瞬心が乱される。


「やめてくれ……今は……助けたいのは仲間なんだ……!」


 目の前で、レアラの狐耳が闇に呑まれそうになっている。

 もう迷ってなんかいられない。


「くっそ……このクソ岩がぁ……!!」


 ガルスの絞り出すような声が最後通告みたいに響く。岩の拳がさらに力を込めたのか、彼の鎧からメキメキと金属の嫌な音がした。レアラのほうも、か細い呼吸すらもうままならない状態に見え、液体の粘度が増したかのようにがっしり捕まっている。


 その光景が僕の心を抉り、猛スピードで感情が高ぶっていく。救わなければならない、でもどうにもならない。頭を締めつけられ、意識が溺れそうなほど追い詰められた刹那、胸の奥が鋭く疼いた。


(――もう、迷う時間はない! 僕がやらないと、二人とも……死んじゃう!)


 胸の奥で何かが弾けるような激しい痛みが走った瞬間、僕は剣を握る手から熱を感じた。まるでそこに鼓動が宿ったみたいに、ずしりと重く、けれど確かに力が満ちていく。

 あの力だ……まだ僕が制御することのできない力。

 僕は強く強く願う。自分でもまだ制御できるか分からない力――それを、今こそ解放するんだ。


「うおおおおおおおっ!!!」


 喉が潰れるほど叫んだ直後、僕は全身の力を奮い立たせて前へと脚を踏み出した。

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