第19話 助けを求める声

 淡く照らされている灰色の空間を、僕たちは走り続けていた。背後からはまだ石を砕くような不気味な轟音が微かに聞こえてくる。浮遊する岩の上を踏みしめ、僕とレアラ、そしてガルスの三人は危なっかしい綱渡りのようにジャンプを繰り返していた。


「くそっ、どれだけいんだよ!」


 ガルスが苛立ちをむき出しにしながら、宙に浮く大きな岩塊へと勇ましく飛び移る。彼の大剣がギラリと鈍い光を放ち、いつでも反撃できるよう構えているのが見えた。僕はその後を追うようにして、小さめの岩を何度か経由しながら体勢を整える。


「はぁ、はぁ……やっと距離が開いたわね」


 レアラが息を切らしながら、小さく呟いた。狐耳がぴくりと動いているのは、周囲の気配を探っている証拠だ。ふと振り返ってみれば、岩型ハイジンの姿はもう遠く、小さなシルエットにしか見えない。それでも油断は禁物。


(はぁはぁ、そろそろ限界だ……!)


 僕は心の中でそう叫びながらも、どうにか足を止めずに、さらに奥へと進む。


 やがて、足もとの岩がやや広めにまとまった場所に出くわした。そこは浮遊する岩が合体して作られたような平坦なスペースで、辛うじて三人分の休息をとる余地がある。僕らはほぼ同時に岩塊の上に降り立ち、肩で息をしながら周囲に視線を巡らせた。


「ふう……やっと振り切れたか」


 僕が安堵の吐息をつくと、ガルスは大剣を肩に担いだまま、不満そうに鼻を鳴らす。


「へっ、あんな連中、まとめて叩き潰せたはずだぜ。足場さえ良けりゃ一網打尽だろうに」


 その言いようには呆れが込み上げてくるけれど、正直ガルスが一撃を振り下ろすたびに岩を粉砕する姿は頼もしいのも事実だ。レアラが整えた呼吸のまま、視線を奥へ投げかける。


「それより、見て。あそこ」


 そう言って指し示した先には、ドス黒い光が脈動するように微かに揺れていた。


「もしかして、あれがコア……?」


 僕は驚き混じりに言葉を漏らす。まるで黒い心臓が遠くで鼓動しているような、不気味な姿。ガルスはそれを目にすると、にやりと口元を歪めた。


「なんだ、もう終わりかよ。ならさっさとブッ壊しに行こうぜ」


 彼はそのまま大剣を振りかざすようにして、コアへ向かおうと一歩踏み出す。しかし、その瞬間、空中から大きな影がドサドサと落ちてきた。


 上方に浮いていた大小の岩塊がまるで意思を持つかのようにいっせいに崩れ落ち、僕たちの視界を覆う。ガルスが瞬時に反応し、身を翻す。


「うおっ、なんだこの落石……!」


 落下してきた岩たちは、空中でメキメキと不気味な音を立てて結合を始める。ついさっきのハイジンよりもはるかに巨大な一塊になっていく。まるで積み木を強引に繋ぎ合わせたような、しかし筋が通った形にも見える。


「おそらく……コアを守るための守護者でしょうね」


 レアラが低い声でそう呟く。見た感じ、体長10メートルを裕に超える岩の巨体が、ゆっくりと頭をもたげるように起き上がった。途端に、そこから黒い液体が滲み出す。今までのハイジンよりも濃く、ドロリとした嫌悪感を煽る液体が、悍ましい圧を放っている。


「フン、いいじゃねえか!」


 ガルスは逆に燃え上がるように笑い、大剣を正面に構える。危険な足場だというのに、まったく物怖じしない。僕は危機感のほうが勝って、彼の無謀さに背筋が寒くなる。


「ガルスさん、ちょっと落ち着いて! コイツは今までの奴と訳が違うかもしれないから……」

「黙れ! ここでビビッてどうする? さっさと片付けるぞ!」


 そう言うが早いか、ガルスは床を蹴り巨大ハイジンに肉薄する。ドスン、と大剣を振りかぶると、その岩肌に轟音を伴って叩き付けた。しかし、巨体はひび割れた程度で崩れはしない。


「くっ……思ったより硬ぇな!」


 ガルスが歯ぎしりする。それを見たレアラはすかさず詠唱に入った。


「また、濁流で援護するわ!」


 彼女の声に呼応するように、空中に淡い魔力の流れが渦巻く。次の瞬間、レアラの前方に大量の水が生成され、岩のハイジンの足元を覆うように勢いよく流れ出した。派手な水音とともに強い流れが生まれ、足場の悪い敵の脚を捉える。


「おお、すげえ。助かったぜ!」


 ガルスがにやりと笑うが、その言葉を返す余裕もないほど状況は逼迫している。ハイジンが巨大な腕を振り下ろし、辺りに黒い液体を飛散させた。

 そこで僕の目に映ったのは、地面にぶちまけられた黒液が瞬く間に人型の形をとるという異様な光景だ。


「な、なんだよこれ……?」


 黒い液体が、まるで自律した触手のようにうごめき、人型の姿を作り出す。その人型は、まるで亡者が足を引きずって歩いているかのようにこちらへ向かってくる。

 黒い液体の中から、ソイツは次々と現れ、嘆き声に似た鳴き声を発した。


「随分と厄介な性質ね……数がどんどん増えてるわ!」


 レアラが警戒を高めつつ、短い詠唱を繰り返し、闇の魔弾をソイツらに向かって放った。ガルスは「まとめて斬ってやるよ!」と斜めに駆けながら大剣を振り回している。僕も剣を抜き、触手の攻撃をいなしながら、岩のハイジン本体の動向に注意をはらう。


 そのとき、頭の中で小さな声が聞こえた気がした。まるで囁くような、それでいて悲鳴のような、混乱した声――


(……タスケテ……)


 え……?

 一瞬、僕は耳を疑う。

 でもすぐに真っ黒な触手が襲いかかってきて、強引に思考を引き戻される。僕は咄嗟に剣を前に出し、相手の触手を受け止める。すると黒い液が剣先を伝って飛び散り、さらに近くの岩を蝕むような動きを見せた。


「危ない! 触れるとまずい……!」


 そう叫びながら後退するけれど、再び頭の奥でかすかな声が響く。


(苦シイ……助ケテ……)


 数が増えるほど、その声も増えていくのが分かる。しかも、一体一体が弱々しく、まるで死にかけの魂が救いを求めるような切なさを帯びている。僕は一瞬胸が締め付けられるような感覚に襲われた。


 これは何だろう。僕がアンデッドだから、死者の怨念を感じ取っているのか。それともこの狭間そのものが発する幻聴なのか。分からない。でも、どうしようもなく悲しい気持ちがこみ上げ、剣を握る手が震えそうになる。


「マコト、何してるの! 早く!」

「くっ、分かった!」


 レアラの声にハッとして、目の前の人型ハイジンを斬りつける。すると、そこからまた苦しげな『声』が波紋のように脳内に染みこんでくる。ごめん、苦しいんだね……そう思えば思うほど、僕は歯を食いしばり、剣を振るわずにはいられない。


「ここで倒せば、君たちは救われるのかもしれない……!」


 心の中でそう叫びながら、攻撃の手を止めない。僕の剣が人型ハイジンの胸を貫き、ガルスの大剣が岩のハイジン本体の腕を砕き、レアラの水魔法が次々に生まれる黒液の侵食を押しとどめる。足場は揺れ、空間は歪むほどの衝撃が何度も走った。


 でも、巨大ハイジンの生命力は想像以上だ。いくら腕を砕いても、再生するかのように岩が繋がり、黒液が吹き出すたびに新しい触手人型が生まれる。背後には暗雲が渦巻き、どこからか「……タスケテ……」と重なり合う声が増していく。


「こいつ……強すぎるわ。早く弱点を探さないと!」


 レアラが苦悶の表情で叫ぶが、ガルスはさらに気合を込めた一撃を繰り出そうと大剣を振りかぶる。しかし、その直前に岩のハイジンがまた拳を振り下ろし、足場がグラリと傾いた。


「まずい! このままだと足場が崩れるよ!」


 僕は焦りを感じながら、剣を何とか岩の隙間へねじ込んで体勢を保つ。視界の端で触手人型が増え続け、絶え間なくこちらへ迫ってきた。


「ガルスさん、下がって! レアラ、どうにかならない?」

「分かってる、でも……うっ!」


 レアラが濁流を再び呼び出して触手の群れを押し返すものの、追いつかない。次から次へと黒液がこぼれて、まるで負の連鎖のように人型ハイジンが増殖していく。


 その叫び声も、助けてという囁きに混じっているかのようだ。僕の胸に、熱いものと冷たいものが同時に渦を巻く。どうすればいい? 全部壊せばいいのか。それとも救いようなんてないのか。数瞬の思考が頭を回転する間に、体は必死に剣を振るっていた。


「今はやるしかない……!」


 僕はそうつぶやき、全力で剣を振り下ろす。人型ハイジンの胸が割れ、衝撃で黒液が飛散する。ほんの一瞬、その怪物が微かに表情を歪めたように見えた。そして脳内に響く『声』が増幅する。


(助ケ……テ……)


 刹那、その声が大合唱のようになり、頭が割れそうな痛みさえ走る。僕は踏ん張ってそれを振り払うように叫んだ。


「助ける……絶対に助ける!」


 意味をなしているのか分からないけれど、自分がこの場で戦う理由づけになるなら、それでいい。怨念なのか幻聴なのか、今は区別がつかない。けれど、人を苦しめるハイジンをこのままにはできないんだ。

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