第17話 共闘戦線
朝の空気がまだ肌にひやりとしみる頃、僕はレアラと一緒に森の外れへ向かった。すでに薄橙の陽ざしが木々の葉を透かしているが、まだ森の奥まで光は届いていない。道端に咲く野の花が露に濡れ、朝ならではの鮮烈な香りをかすかに感じる。
「ふう、ちょっと早く来すぎたかな。ガルスはまだか」
僕が軽く伸びをしながらそう呟くと、隣のレアラは肩をすくめて微笑んだ。
「まあ、彼には彼のペースがあるんでしょう。もう少し待ってみましょうか」
レアラは言葉こそ穏やかだけど、表情にはまだ少し警戒が混じっている。狐耳が柔らかく揺れ、尻尾もふわりと動くのが視界の端に見えた。彼女がガルスをまるっと信用してるわけではない――その事実は僕も痛いほど分かっていた。だけど、あれだけ強引な男が共同戦線を認めるのは貴重なことだと思う。
「やれやれ、あんたらが先に来てるとはな」
不意に聞こえてきた声に振り返ると、ガルスが森の小道から姿を現す。むき出しの腕にはやや土埃が付いていて、どうやらすでにどこかを走り回っていたようだ。
「遅れちまったな、すまねぇ」
ガルスは一応頭を下げるしぐさはするものの、その顔はやはりどこか不機嫌そうだ。レアラはあっさりと受け流すように頷き、淡々と地図を取り出す。
「大丈夫。早速、行くわよ。狭間があると思われるエリアはこの辺りだけど、被害が分散してるから絞り込むのが難しくて」
「んなこたぁ分かってる、いちいち言われなくてもな」
ガルスはそう、ぼやいた。僕は苦笑しつつも、「じゃあ、行こうか」と二人を促して森へ足を踏み入れた。
※※※
地図に記された複数のマークを頼りに、森の小道や丘陵を次々と移動していく。日の光は徐々に強くなるが、木々が生い茂るせいで薄暗さは消えない。それでも、レアラが地図を照合しながら先頭を歩く姿は心強い。
「ここもハイジンの目撃情報があった場所だけど……狭間らしきものは見当たらないわね」
レアラがうんざりしたように呟くと、ガルスが「チッ、なんだよ、期待して損したぜ」と苛立ちをあらわにする。僕はその態度に眉をしかめながらも、内心はガルスの気持ちも分からなくはないと思っていた。彼は強い敵を求めて、あるいは何か別の目的で必死に狭間を探し回っているのだろう。そうじゃなければ、こんな面倒くさい作業を続けるはずがない。
「まあまあ、まだいくつかポイントが残ってる。そっちも回ってみようよ。今まで空振りだったら、次こそ見つかるかもしれない」
「ふん、どうだかな。……まあいい、さっさと行こうぜ」
ガルスの語気は荒いが、行動を共にする意志ははっきりしている。僕とレアラは顔を見合わせ、小さく頷いた。
※※※
さらに森を奥へ進んでいくと、地形が少しずつ険しくなってきた。傾斜のある岩壁が見え、木の根がむき出しになった崖のような場所も点在している。日当たりが悪いためか、コケや蔦が岩肌を覆っている光景は一種の神秘的な美しさを帯びているけど、足を滑らせたら一巻の終わりだろう。
「気をつけて。足元が崩れやすそうだわ」
レアラが地図を片手に声をかける。僕は「ああ」と返事しつつ、前方に注意を払う。ガルスは少し先行していて、ずんずん進んでいくから、正直ヒヤヒヤする。
「ガルスさん、もう少しゆっくり行こうよ。もしここに魔物が潜んでたら、先に行ってるあんたが危ないでしょ?」
「余計な心配するな。俺なんかより俺と出会った魔物の方を心配したほうがいいぜ」
そう啖呵を切るときのガルスの表情は、誇り高い騎士みたいで格好良くさえ見える。……まあ、性格の難点は置いとくとして、実際に彼の戦闘力は折り紙付きだ。
そんなことを考えていると、突然レアラが耳をぴくりと動かした。狐耳が何かを察知したようで、彼女の視線が岩壁の向こう側へ向けられる。
「……怪しい気配」
レアラが短く呟いた次の瞬間、ゴロゴロと岩が崩れるような音が響き、崖下の空間から何かが這い出してくる。石の塊のような胴体に、節くれだった腕と脚――しかも、その接続部から黒いドロリとした液体が垂れ落ちている。その液体は朝の光に照らされて鈍く光り、見るからに不気味だ。
「あれは……?」
「なんていうか、石像に不気味なモノが取り憑いたみたいだな」
僕がそう言うと、ガルスは大剣を振りかざし、胸を張るように一歩踏み込む。
「こんなの、俺一人で十分だろ。邪魔すんなよ」
彼の言い方は相変わらず刺々しいけれど、すぐに動き出すあたり、自分の実力への自信を感じる。異形魔物はうめき声のような音を立てると、手足を振り回しながらこちらへ突進してきた。腕の一部が裂け、その間からさらに黒い液が吹き出す。見た目だけでも嫌悪感を覚えるけれど、怯んではいられない。
ガルスが素早く斜めに飛び込み、大剣を豪快に振り下ろす。石の塊が砕ける鈍い音が響き、魔物の胴体に亀裂が走った。続いて魔物が無理やり腕を伸ばしてくるが、僕が側面から斬撃を加えた。痛々しい破砕音が森の中にこだまする。
「ふん、意外とあっさり倒せそうだな!」
ガルスは強気に叫び、さらに大剣を振り下ろす。真っ二つになった魔物は、ガラガラと音を立てて崩れ、垂れ流された黒液は地面へ吸い込まれるように消えていく。不気味な残響が一瞬だけ広がり、魔物はごく短い悲鳴を上げたのちに絶命した。
「ふう、なんとかなったね。でも、あれは……」
僕は剣を収めながら大きく息を吐く。先ほどの戦闘自体はそれほど苦戦するものではなかったけれど、異質な光景に胸の奥がざわつく感じがする。
「ええ、おそらくハイジンの一種だと思われるわ。それなら、ここから先を少し探せば、狭間が見つかるはず」
レアラの声にも力がこもる。ガルスは「よっしゃ、ようやく本番ってわけだ」と笑みを浮かべ、むき出しの腕をぐっと曲げて大剣を担ぐ。
「ガルスさん、油断は禁物だよ。さっきの魔物がまだいるかもしれないし……」
僕はしっかり釘を刺すが、ガルスは「分かってるよ」と吐き捨てるように言うだけだ。逆に言えば、彼も内心ではハイジンの恐ろしさを理解しているのだろう。
※※※
魔物を倒してから、僕たちはさらに黒い液体の痕跡や不自然な足跡などをたどり、岩壁の奥へと進む。木漏れ日の届かない暗がりには苔むした岩が重なり合い、一部は崩れて洞穴のような入り口を作っていた。鼻をくすぐるのは湿った土と腐葉土の匂い。神経を張り詰めたまま、レアラとガルスの様子をうかがいつつ、僕も足を進める。
「……ここかしら?」
レアラが指を差した先には、薄い靄のようなものが揺らめいている。光の屈折がおかしいとでも言うか、背景が歪んで見えるような独特の現象がそこにあった。ガルスが「こりゃあ……!」と息を飲み、歩み寄ろうとしたところを、レアラがすっと腕を伸ばして制止する。
「待って。軽率に触れたら危ないわよ。少しずつ確認しないと」
「へっ、大丈夫だろ」
「あなた一人で対処できるとは思わないことね。さっきの魔物どころじゃないかもしれないわよ?」
レアラが鋭い口調でそう言うと、ガルスは一瞬反論しかけ、結局「チッ」と舌打ちしながら黙り込んだ。僕は少し胸を撫で下ろし、狭間の歪みらしきものを凝視する。
「前回とは違ってちょっと分かりづらいね……まるで周囲に溶け込んでいるみたい」
「そうね、でも本質は同じよ。ここから先は異界に通じている」
レアラが溜め息まじりに口を挟む。彼女の瞳には確かな決意が宿っている。一度狭間の恐ろしさを身をもって知っているからこそ、こうして慎重になるんだろう。
「とにかく、突入前に装備と体力を整えましょう。ここから先は、いつ大量のハイジンが出てきてもおかしくないわ」
「俺はもう準備できてる。さっさと行こうぜ」
ガルスは早まろうとするが、レアラは「落ち着きなさい」と低く言い放つ。僕も「ごめん、ちょっと装備を確認させて」とリュックを下ろし、中身をチェックした。ポーションや最低限の備品はある、おそらく大丈夫だろう。
「……よし、じゃあ、もう少しだけ休んだら入ろう」
そう提案すると、レアラは「そうね。幸いここで大騒ぎにはならなそうだし、少し深呼吸してから」と応じる。ガルスは「やれやれ、手間のかかる連中だ」とこぼすが、さほど反対する様子もない。
「手柄は俺がもらうからな。狭間に突入したら、俺の剣が火を噴くってわけだ」
「僕だって頑張るよ。あんたほどではないけど、戦えはするから」
「ふん、邪魔だけはするなよ」
ガルスと軽いやり取りを交わすうちに、次元の狭間を見据えた胸の奥に、奇妙な高揚感と不安が混ざっていくのが分かる。これを突き止めなければハイジン被害は続き、あの恐ろしい光景を繰り返す危険がある。僕はぎゅっと剣の柄を握り、決意を固めた。
「じゃあ……行こうか」
僕の小さな呼びかけに、レアラが静かに頷き、ガルスがあくまで強気に「おう」と答える。朝焼けの陽光がゆっくりと色づき始めた空を背に、僕たちは無言で狭間へと足を進めた。
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