第14話 情報屋との取引
朝焼けがまだ街全体を照らしきれない頃、僕とレアラはカルディラスの裏路地に向かっていた。
細い道を曲がるたびに、昨晩の冷気が石畳の隙間に溜まっているのか、ひやりとした空気が頬をかすめる。まだ日の光は弱く、メインストリートから外れた場所には薄暗い影が伸びていた。人通りも少なく、店のシャッターはほとんど閉まっている。
「……ここ、だよね?」
僕が半分自問のように呟くと、レアラが手元の小さなメモを見ながら頷いた。
「ええ、噂によれば、このあたりで猫獣人が情報を売ってるらしいわ。大っぴらじゃなく、裏路地でこっそりやり取りしているって話」
「朝っぱらから裏取引……なんか緊張するなぁ」
軽く息をつきながら、僕は周囲を見回す。両脇の建物はくすんだ壁が続き、窓には木の板が打ち付けられているところもある。道の奥に行くほど昼間でも暗そうな印象だ。実際、今は朝とはいえ、まだ陽ざしが届かない場所は夜の名残が色濃く残っている。
レアラはそんな不安定な空気の中でも、淡々と歩を進めていく。狐耳が微かに動き、視線を細かく巡らせながら、唇だけを動かして僕に話しかける。
「騎士団が巡回する前に取引を済ませたほうがリスクは少ないわ。彼女も商売人なら、時間帯くらいは合わせてくれるはず」
「……確かに。うまくいくといいけど。お互い変なトラブルに巻き込まれないで済むならいいな」
そんな話をしていると、頭上からかすかな物音がした。ひょい、と軽快な気配があり、思わず僕は足を止めて見上げる。すると、建物の二階部分の屋根らしきところから、しなやかなシルエットが顔を出した。
「にゃはっ、そっちじゃないにゃ。あたしはこっちだよー」
軽妙な声――やや高いトーンだが、どこか猫の鳴き声を思わせる抑揚が混じっている。続けて、さっと身を翻すようにして、そのシルエットが地面へと飛び降りた。わずかな埃が舞い、そこに姿を現したのは、猫耳と尻尾を揺らした少女―だ。
「思ったよりも朝早いのねー。あんたたちが今日のお客さんかにゃ?」
猫獣人の特徴的な金の瞳がこちらを見つめ、口角には陽気な笑みが浮かんでいる。一見すると無防備に見えるけれど、その尻尾と耳の動きからは常に周囲を警戒している様子がうかがえた。
レアラが小さく息をつき、整然とした態度で返す。
「あなたが情報屋かしら? 聞きたいことがあって、わざわざこの裏路地まで来たの」
「んー、そうにゃそうにゃ。あたしがミリィ・フェルカット。にしても、朝から若い二人組ってのは珍しいお客さんだにゃ?」
ミリィはそう言いながら、耳と尻尾をゆらゆらさせる。僕が内心で「まさに猫の動きだな」と感心しつつ、口にする。
「僕はマコトって言います。情報を買いたいんだけど……」
すると、ミリィはさっと目の色を変え、警戒と期待が入り混じった視線を僕とレアラに向けた。
「お金はちゃんとあるんだろうにゃ? あたしも慈善事業でやってるわけじゃないから、そこはビシッとお願いするにゃ。何しろ、ここに来るまでにもいろいろリスク背負ってるんだよ?」
「ええ、当然。それなりに用意してきたわ」
レアラは鞄から小さな革袋を取り出し、口を少し開いて見せる。中には金貨がいくつか見えて、キラリと反射していた。ミリィは「ふにゃぁ」と満足そうに目を細める。
「にゃはっ、朝から悪くない気分。じゃあ、話を聞かせてもらおうかにゃ?」
「大したことはないわ。ただ、ハイジンや次元の狭間に関する情報がほしくて。特にハイジン被害の場所や頻度なんかを詳しく知りたいの」
そう言うと、ミリィは「ふーん」と鼻を鳴らして、やや思案する仕草を見せた。
「狭間とハイジン……なるほどね。最近、騎士団が絡んでるせいか、その辺の情報もあちこちで動いてるのは確かだにゃ。あたしも命がけで集めてるから、そりゃ簡単には渡せないわけ」
「もちろん、情報が正しいなら報酬は払うわ」
レアラがすっと言い切ると、ミリィは「にゃはは、分かってるじゃない」と笑う。そうして、一同が薄暗い路地のさらに奥まった場所へ進み、建物の脇に肩を寄せ合うようにして立ち止まった。僕は辺りを見回しながら心臓がない胸をドキドキさせる――実際には鼓動はないけれど、緊張はひしひしと感じる。
「じゃあ、まずはあたしの手間賃ね。正直、朝から大金を期待してるわけじゃないけど、そこそこもらわないと割に合わないし」
ミリィが手を差し出す。レアラも慣れたように袋から金貨をいくつか取り出し、彼女の手のひらにそっと置いた。光の加減で微かに輝く金貨を見て、ミリィは満足げな笑みを浮かべる。
「にゃふふ、悪くないわ。それで、欲しい情報はハイジンの被害状況ってことでいいんだにゃ?」
「そう。ギルドに報告されてない情報があるなら尚更ありがたいわ」
「ふむ。じゃあ、あんたたちだけに特別サービスを見せてあげるにゃ」
ミリィが懐から巻物を取り出し、細い指先でひらりと広げた。そこには手描きらしき地図が記され、赤や青の小さな印が散らばっている。場所の名前や目印が書き込まれていて、一見するとかなり詳しい代物だとすぐ分かった。
「これが最近のハイジン目撃場所マップにゃ。騎士団も一部は把握してるけど、全部じゃない。あたしの独自ネットワークで得た未報告の噂話も混ざってるわ」
「すごい……想像よりずっと範囲が広いんだね」
僕が思わず感嘆の声を漏らす。地図には大小さまざまな印が散らばり、まるで小さな点が菌糸のように広がっているように見えた。
「実際、騎士団だって動きに限界があるし、冒険者だって全員がハイジン相手に突っ込めるわけじゃないもの。こういう裏情報ほど、金になるわけにゃ」
ミリィの語尾は猫らしい調子でやや砕けているが、言っている内容は筋が通っている。
「こういうデータがあれば、どこに狭間がありそうか推測しやすいわね」
レアラが地図を見つめながら、指でいくつかの地点をなぞる。僕は横から覗き込んで、「この辺り、被害報告が密集してる……」と呟き、苦い気分になる。
「にゃはっ、あたしの情報は役に立つでしょ? これだけ教えたんだから、ちゃんと活用してよ」
「ええ、もちろん。でも……騎士団にも報告しないの?」
「そこは『あたしの利益』に合わせるのよ。お金を出すなら売るかもね? 彼らは真面目だから話がややこしくなることもあるし」
あっけらかんとした口調で答えるミリィ。半ば冗談めかしているけれど、裏では相当にしたたかなんだろうな、と僕は思った。
「とりあえず、取引はこれで成立ね」
レアラがもう一度金貨の袋を揺らし、ミリィが「にゃーふふ、あんたら意外と太っ腹じゃん」と笑う。これで情報のやり取りは完了。僕がホッとしかけたところで、ミリィが急にレアラをまじまじと見つめ始めた。
「そういえば、狐獣人って珍しいよね。あんたみたいに街で冒険者やってるのはあたしも久しぶりに見たかにゃ。あんたら、なにかとワケありっぽいなぁ?」
彼女の金色の瞳がじっとレアラを捉える。その問いに対し、レアラは表情を変えずに答える。
「別に、普通の冒険者よ」
それだけ。まるで余計なことは一切言いたくないという態度が透けて見える。ミリィは小さく鼻を鳴らすように笑う。
「へえ、ま、いいけど。あたしはあたしの利益を優先するから、いつかあんたたちと敵に回るかもしれないにゃ? それでもいいなら、また何かあったら呼んでちょうだい。あたし、意外と面倒見がいいんだから」
彼女の言葉の端々からは、どこか温かいものが混じっているように感じる。それはただの猫獣人的な好奇心だけじゃなさそうだ。
レアラが「それでも必要があればまた頼むわ」とビジネスライクに切り返すと、ミリィは「あはは、いい返事にゃね」と言って身を翻した。
「じゃ、朝から取引ありがとにゃ。あんたたちも気をつけてよ――ハイジンや狭間の情報は危険が伴うからね」
そう言うやいなや、ミリィは建物の二階部分にむかってひょいと跳び上がり、猫のしなやかさで屋根の縁を掴む。まるで軽業師のような身のこなしだ。僕が「うわ……すごいな」と呆れている間に、彼女は薄暗い朝の空へ消えていった。
「……猫獣人って、ほんと身軽だな……」
「ええ、あれは盗賊ギルドでもやっていけるんじゃないかしら」
レアラが地図を胸に抱えつつ、冷静な声で言う。僕は一方で、狐獣人に言及されたときの彼女のわずかな表情の変化が脳裏を離れない。けれど、それを聞くのは今じゃない。
僕たちは裏路地を出て、比較的人通りのある小道に出たところで、改めて地図を広げる。まだ朝の空気はひんやりしていて、日差しは路地の奥まで届ききっていない。
「かなり広い範囲にハイジンの痕跡があるのね。こうやって見ると、騎士団が手を回してない地域も多いわ」
レアラが指先で印をなぞりながらそう言った。
「でも、数か所、被害が集中してると思われる場所があるわね。そこに狭間がある可能性は高いわ」
「……そっか。まずはその辺りを調べるっていうのが手だね」
レアラはほんの一瞬、僕に目を向ける。狐耳が微かに動き、それが緊張か覚悟かを象徴しているようにも見えた。
「ええ。騎士団が先に潰してくれるならそれでもいいんだけど、あまり頼りきりではいられないしね。私たちで先に動くほうがいいと思う」
「そうだね……僕も協力するよ。狭間に踏み込むなら、それ相応の覚悟が要りそうだけど」
「そうね。意外とガルスも動いてるかもしれないし、そっちのことも意識しておいたほうがいいわ」
そう言って、レアラは地図をそっと畳む。朝の光がようやく路地の先まで射してきている。通りを行く人々の姿も増え始め、やがてカルディラスはいつもの賑わいを取り戻すだろう。
でも、僕らはその喧騒とは違う目的を抱えている。ハイジンや狭間という脅威に立ち向かうには、この地図が大きな手がかりになる。
「よし、じゃあ早速この地図をもとに、場所を一つずつ当たってみようか」
「ええ。無理は禁物だけど、できるだけ早めに狭間を見つけて対処しないと、被害が広がるかもしれないから」
「了解。今日のうちにギルドでさらに情報を聞いて、空いてる時間で現地を回ろう」
そう提案し合って、僕たちは足早に隠れ家へ向かうことにした。貴重な地図をしまい込み、頭の中でスケジュールを組み立てる。朝の清々しい光を浴びながらも、背筋にはどこか冷たい感覚が残っていた。
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