第13話 偵察準備

 朝の光が隠れ家の小さな窓から差し込み、床に淡い四角い影を落としていた。昨日の夕方、レアラと「偵察をしよう」と決めたばかりで、まだ具体的な計画は固まっていない。僕は寝ぼけた頭を軽く振って、薄暗い部屋の中を見回す。


 レアラはすでに起きているのか、机に腰かけて何やら書き物をしていた。いつもの黒っぽいローブ姿だけど、その狐耳がぴんと立っているあたり、やる気が満ちている証拠だろう。彼女の金色の尻尾がわずかに揺れるたび、薄く舞い散る埃がぼんやりと宙を踊っている。


「おはよう、レアラ。そんなに熱心に何を書いてるの?」


 僕が声をかけると、レアラは筆記をひと区切りつけて、軽く笑った。


「おはよう、マコト。昨日の続きよ。偵察の段取りと、あと、気になってる依頼をまとめてるだけ」

「なるほど。それで……今日から早速動くわけ?」


 ベッドのような簡素な寝台から起き上がりつつ、僕は彼女のそばへ寄って書き付けの内容を覗き込む。そこにはいくつかの簡易的なメモや、クエスト一覧が書き足されているらしく、素材採取や小型魔物討伐などの項目がいくつも並んでいた。


「ええ。生活費も稼がなきゃいけないし、何より情報を集めないとね。狭間とハイジンについて、今のままじゃ大事な手掛かりに行きつけないままよ」

「確かに……やっぱり、僕たちももう少し資金と装備を整えないと厳しいよね」

「そういうこと。出費はなるべく抑えたいし、手頃な依頼をいくつか回って稼ぐのがいいと思うわ」


 レアラが書類を片付けながら頷く。わりと理詰めというか、計画的なところは彼女の長所だろう。僕がうんうんと頷いていると、ふと彼女が小声で言葉を足した。


「……ガルスの動向も気になるし、できるだけ早く次元の狭間の位置を突き止めたいの。あなたもそう思うでしょ?」

「うん、あれだけ強引に狭間を探すっていうのは、何かワケがあるんだと思う。何だか嫌な予感がして仕方ないよ」

「フフ、同感よ。ま、ともあれ、今日は早速ギルドに行って依頼を探してみましょうか」

「了解。僕も準備するよ」


 わずかに引き締まった空気の中で、僕たちはささやかな朝食を済ませると、そそくさと支度を整えた。隠れ家を出る頃には、街の風景はもうすっかり活気づいている。冒険者や商人たちが行き交う声が賑やかに聞こえ、昨日までの不穏な気配が嘘のように感じられるけれど――僕の胸には引っかかるものがある。狭間、ハイジン、そしてガルスの噂……いろいろと思考が絡み合って落ち着かない。


 それでも、まずは生活するための稼ぎが大事だと自分に言い聞かせ、レアラと連れ立ってギルドへ向かった。



 ※※※



 ギルドのロビーに入ると、朝一番のせいか、前日よりも人が多い。掲示板の周りには冒険者たちが寄り集まり、ああでもないこうでもないと依頼票を品定めしていた。僕とレアラもその人波に混じる。


「どれどれ……素材採取依頼がいくつか、あと小型魔物の討伐依頼がちらほら……」


 掲示板に貼り出された紙をめくりながら、僕は小声でつぶやく。どうも難易度の高い依頼は軒並み高ランクの冒険者か騎士団が受けているらしく、残っているのは地味で報酬もほどほどな仕事ばかりだ。


「これなんてどうかしら。沼地の薬草採取。報酬はそこそこだけど、期間が短いわ」

「うん、悪くないね。危険なモンスターはあまり出ないって書いてあるし」


 レアラが素早く依頼票を剥がして手に取り、フロントで受注の手続きを済ませる。そして、僕たちはそのままロビーを後にした。今回のような小さな依頼をいくつかこなしながら、情報収集を進める――それが今日の目標だ。



 ※※※



 受注してきた依頼の一環で、僕とレアラは街の外れにある雑貨店を訪れていた。依頼に必要な道具――沼地での薬草採取用の長靴や、簡易道具などを揃えるためだ。カウンターでごちゃごちゃとやり取りしている間も、店主のおじさんにそれとなくハイジンの噂を振ってみる。


「ハイジン? そりゃあ……最近騎士団が動いてるって話は耳にしたけど、普通の連中はあまり深く首を突っ込みたくないってとこじゃないかね。わしも詳しいことは知らんが、あんま会いたくないわなぁ。いかにもヤバい怪物らしいからのう」


 おじさんはそう言って苦笑いを浮かべる。僕とレアラも食い下がるほどの情報は得られず、「ありがとうございます」と頭を下げて店を出る。やっぱり、大した情報は転がっていないらしい。



 ※※※



 日が高くなった頃合いに、僕たちはひとまず街近くの森へと向かった。受注した素材採取の依頼をこなしながら、ちょっとした魔物と少しだけ交戦。そこまで激しい戦闘でもなく、少しこの世界に慣れた僕にとってはそこまで危険ではなかった。レアラも簡単な魔法でサポートしてくれて、何の問題もなく作業を終わらせる。


「ふう、これだけ採れれば十分かしら。沼地って言っても、今回はかなり浅い場所だったわね」

「助かったよ。危険生物も大したことなかったし、これで報酬はそこそこ出るんだからありがたい」


 集めた薬草を袋に詰め込み、笑い合う。何だかんだで、こうした小クエストを回っていけば日銭にはなるし、装備や情報を揃える時間も確保できる。それはそれで悪くない生活かもしれない、と僕は思う。だけど、ハイジンの脅威や次元の狭間の拡大を考えると、悠長にもしていられないだろう。



 ※※※



 夕方近くにギルドへ戻って依頼を報告すると、担当職員が「あら、早かったですね。助かります」と言ってくれた。支給された報酬はささやかだけど、今後の生活費には十分だ。僕とレアラはほっと安堵の息を漏らす。


「よかった……これでしばらくは食べていけそうね」

「うん、当分困らない程度にはね。でも、狭間探索に乗り出すなら、もっと装備やら地図やらが必要になるんじゃない?」


 そんな話をしていると、レアラが「ああ、そういえば……」と思い出したように顎に手をあてて言葉を継ぐ。


「ねえ、マコト。最近、猫獣人の情報屋が街にいるって噂を聞いたのだけれど……裏路地で取引しているらしいのだけど、試しに行ってみない?」

「裏路地の取引……想像するだけで嫌な汗かくなあ」


 僕はやや気弱に首を傾げる。賊やチンピラがうろつくような裏通りで面倒に巻き込まれたら、それだけで厄介事だ。だけど、レアラの瞳にはいつもの冷静さの裏に、強い決意が宿っているのが分かる。


「ハイジンや次元の狭間の手がかりが、得られるなら――多少の危険は覚悟で会いに行く価値があると思わない?」

「そりゃあ、正論だよ。けど、本当に大丈夫かな」


 レアラはフッと笑みを浮かべて、肩をすくめる。


「私たち、騎士団にまで協力を求められるほど派手なことができる立場じゃないし、自力で探せる道は全部試してみないと。そんな悠長にしてる間に、ハイジン被害が拡大したら目も当てられないわ」

「……分かった。やるしかないか」


 僕は内心の不安を飲み込み、彼女の意志を汲むことにする。どこか危険な香りはするけど、放っておけば狭間やハイジンの情報を手に入れられないままになってしまう。それこそ手詰まりだ。

 


 ※※※


 

 その日の夜、隠れ家に戻る頃には、仕事で使った道具や採取した素材を収めた袋を整理しつつ、二人でこれからの方針を再度話し合った。小規模クエストで思いのほかすんなり報酬を得られたのは幸いだ。これでしばらく生活に困らず、偵察用の準備を進められる。


「今回の薬草採取はわりと楽だったわね。この調子でいくつか回れば、資金はある程度揃いそう」

「うん、そうだね。でも本番はやっぱり次元の狭間に踏み込むこと、だよね」

「そうね。そう考えると、情報屋から得られる情報が大事になるわ」


 レアラが地図の端を指でなぞりながら言う。僕も隣でそれを覗き込み、「裏路地で、どうにか接触……」と声を漏らす。


「裏路地での取引って、なんか怖いなぁ。本当に大丈夫かなぁ?」

「大丈夫よ。無理そうならすぐ撤退すればいいんだから。あと、あなたがアンデッドだってバレないように気をつければ、そうそう怪しまれないわ」

「それもそうだね……よし、覚悟はしておくよ」


 相変わらずレアラは淡々とした口ぶりだけど、その落ち着きに僕はいつも助けられている。一人じゃきっと心細くて逃げ出したいほどの計画だとしても、レアラと一緒なら何とか踏み込めそうな気がするのだ。


 彼女が「じゃあ、明日決行ね」とさらりと言って、灯りを少し絞る。部屋の中がほの暗くなると、疲れと共にどこか興奮した感じも押し寄せてくる。


「じゃあ、明日朝早くに裏路地に行ってみましょう、それでいいわよね? マコト」

「うん、大丈夫だよ。ちょっとだけ緊張するな……」

「ふふっ、いざという時はあなたに守ってもらおうかしら」


 そんな軽口を交わしながら、僕は小さく笑みを浮かべる。どこか胸の奥に潜む不安を、レアラとこうして分かち合えば少し軽くなるのかもしれない。

 そして、僕たちは明日に備えて休息をとることにしたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る