第11話 夜中の会話(2)

 ランプの火がぱちりと小さく弾ける音を立てた。室内はますます静まり返り、外の気配も遠ざかるように薄れていく。夜更けというより、もう深夜と呼ぶのが相応しい時間帯だった。部屋の壁には僕とレアラの影が伸びていて、テーブルの上に置いた湯飲みからは、まだほんのりと湯気が立っている。


 そんな中、レアラがふいに視線を落とした。


「そういえば、マコト。私……あなたにちゃんと話していなかったわね」

「え?」

「私の故郷のことよ。狐の獣人族の里は、かつて次元の狭間に呑まれて、壊滅したの」


 その言葉に、思わず僕の手が止まる。


「……里?」

「そう。あなたがこの世界に来るより、もっと前のこと。まだ私が普通の魔法使いだった頃、ね」


 レアラは遠い記憶をなぞるように、静かに語り出した。


 夜の帳の向こう、黒々とした森に抱かれた里。風に揺れる灯火、笑い合う仲間の声、穏やかでささやかな生活。けれど、それはある日突然訪れた歪みによって、すべて粉々に壊されたのだという。


「空に、裂け目のようなものが現れたの。最初は小さな光の揺らぎだったのに、気がついたら、そこから異形の魔物たちが這い出してきたわ。牙や腕がいくつもあるような、おぞましい姿で……あれは、この世界の理じゃ説明できない存在だった」

「……それって、あの次元の狭間から?」

「ええ。まったく同じとは限らないけど、今日のゴーレムにも似たような歪んだ魔力を感じた。里を襲った魔物たちも、あんなふうに、何かがおかしかった」


 レアラの声は淡々としていた。でもその奥には、言葉にできないほどの深い喪失感と怒りが滲んでいた。彼女の金色の目がわずかに潤んで見えたのは、気のせいではなかったと思う。


「私には、何もできなかった。家族も、仲間も、みんな……みんな呑まれていった。魔法も届かなくて、ただ逃げることしかできなかったの。だから、私は決めたの。もう二度と、同じことを繰り返させないって」


 拳を強く握りしめる音が聞こえた。まるで、それだけが今の彼女を支えているように見えるほどに。


「それで、死霊術を?」

「そう。普通の魔法じゃ届かないなら、禁術でも構わない。たとえ異端と呼ばれても、力を得なきゃ、誰も守れないから」

「……レアラ」


 その覚悟の深さに、僕はただ言葉を失った。だけど、彼女の想いが僕の胸に突き刺さるように染み込んでくる。


「僕も……僕も同じだよ。地球が滅びた時、何もできなかった。全部、悍ましいなにかに呑まれて、ただ見てることしかできなかった。僕は、叫ぶことさえできなかったんだ」


 あの時の無力感。足がすくんで動けなかった悔しさ。自分が死んだのかどうかも分からないまま、世界が崩れていく光景をただ呆然と眺めていたあの夜。


 レアラは僕の言葉に静かに頷き、そしてそっと目を閉じた。


「……だからあなたにも、その悲劇を知ってほしかったの。私が、どれほどのものを失って、それでも前を向こうとしているのか。そして、あなたが今、ここにいる意味も」


 僕は黙って頷いた。それだけで十分だった。彼女がそのすべてを僕に委ねてくれたことが、何よりも重くて、温かかった。


 長い沈黙が流れる。そしてその静けさを破るように、レアラが再び口を開く。


「それに、もうひとつ話しておきたいことがあるの。……私の里には、言い伝えがあったのよ。『異界より来た魂こそ、大いなる理に立ち向かう鍵になる』って」

「大いなる理……?」

「ええ。私も最初はただの迷信だと思ってた。でも、里が滅んで、私一人だけが生き残って、その言葉が何度も頭に浮かんだの。もしかしたら、あれは本当に必要な運命だったんじゃないかって」

「それで……僕を呼び寄せたの?」


 レアラは頷く。


「異界の魂を呼ぶには、強い霊媒が必要だった。私は高名な騎士の遺体を使って、そこに生者を呼ぶつもりだったの。でも、呼び寄せたあなたは……すでに死んでいた」

「だから僕は、アンデッドになったんだ……」


 ようやく、全てが繋がった気がした。なぜ僕がこの世界にいて、なぜ死者として生まれ変わったのか。その理由が、ようやく今、はっきりした。


「でもね、案外、それで良かったのかも」


 レアラはにっこりと笑った。


「あなた、生前は魔法も剣術も知らなかったんでしょう? なら、アンデッドの身体の方がタフで使いやすいわよ」

「うわ……使いやすいって。なんか酷い言い方だなあ」

「ふふ、でも事実でしょ? それに、高名な騎士の遺体を器にしたおかげで、ある程度の剣術が身体に染み込んでるみたいだし。あなた、自分で驚いたでしょ? あれだけ戦えるなんて」

「うん……確かに。生前の僕じゃ、絶対に無理だった」


 複雑な気持ちはあるけれど、戦える力があるのは事実だ。それが誰かの死を前提にしているのだとしても、今この力が誰かを守るために使えるなら、きっと意味はある。そう思いたい。


「マコト」

「うん?」

「あなたが死者としてここに来たこと。私は、それこそが運命と思ってる。だから……お願い。この世界を、滅びさせたくないの」

「……分かったよ」


 小さく呟く。彼女の覚悟と願いに、僕の意志が呼応するのを感じた。僕たちはどこかで同じものを見て、同じ痛みを知って、同じ想いを抱えている。


 灯りがゆっくりと揺れる中、僕たちは無言で向かい合った。どちらも、未来のことなんて分からない。でも、今この瞬間だけは、確かに同じ方向を向いていた。


「もう夜も遅いし、とりあえず今日は休みましょうか。そんな顔をしていたら、気分まで参っちゃうわ」

「はは……そうだね。まぁ、アンデッドだから休まなくてもいいのかもしれないけど」


 自嘲気味に笑う僕の言葉に、レアラも苦笑する。そう、アンデッドの身体でも意識や思考は変わらず疲労を感じるんだ。切り傷や打撲は平気でも、心の消耗はむしろ生者以上に堪える気がする。隠れ家の壁は薄く、外の風がすき間からすうっと入り込むが、それがかえって心地よいくらいだ。


「ありがとう、レアラ。ちょっとだけ気分が楽になったよ」

「気にしなくていいわ。あなたこそ、私の研究には欠かせない存在なんだから。おやすみなさい、マコト」

「おやすみ」


 隣室へ消えていくレアラを見送り、僕は椅子の背にもたれかかる。空気の冷たさが自分の肌に触れる感触はあるけれど、体温がなく心臓もない身体ってどうなんだろう……と改めて思う。でも、こうして夜遅くまで生きて動いている時点で、やっぱり僕は生者じゃないんだ。


 胸を押さえてみても、ドキドキすることはない。でも、感情や思考は確かにあるから不思議だ。

 本当なら、今ごろはみんなと翌日の学校の話で盛り上がっていたかもしれない。それが全部消えてしまった。それが現実。


「いつか、全部わかる日が来るのかな……」


 呟いて、部屋の明かりを少し落とす。死霊術師の彼女と暮らすなんて、地球時代の僕からしたら信じられない出来事だ。けれどもう、戻る場所はない。ならばやるべきことは、ここで生きていく術を見つけること……そして、同じ滅びを繰り返さないために動くこと、だろう。


 カーテンの隙間から夜の月光がわずかに差し込み、部屋を青白く照らしている。僕はその光を見つめながら、わずかに口元を引き締めた。死んでいても、こうして感じられる景色があるのなら、まだ大丈夫だ。きっと僕は――


「……本当は諦めたくないんだ、二度と……」


 自分に言い聞かせるように呟き、そっと目を閉じる。こうして新しい一日が終わっていく。思い出せない記憶を抱えつつ、それでもここで生きるのだという決意を、僕は静かにかみしめた。

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