第10話 夜中の会話(1)

 夜のとばりがすっかり降りた頃、僕とレアラはカルディラスの街外れにある隠れ家へ戻ってきた。緊急クエストをどうにか無事に終えたとはいえ、さすがに身体も心もくたくただ。

 扉を開けた瞬間、相変わらず、むわっとしたホコリの匂いが鼻をつく。少し前に掃除はしたはずなのに、やっぱり古い家だからか、すぐ埃まみれになるらしい。


「はぁ……疲れた」


 レアラがローブの襟元をくいと引き下げて言う。僕も同意するようにうなずき、黙って隣の椅子に腰を下ろした。どこか落ち着く雰囲気があるのは、不思議とこの家に慣れてきた証拠かもしれない。ずっと暮らしているわけじゃないのに、帰ってくるとほっとする場所になり始めている。


「ゴーレム討伐は無事成功したわね、お疲れ様」

「うん。ギルドの人たちも喜んでくれてたし、報酬もちゃんと出そうだね。やっぱり、アンデッドの身体だと少しくらい無茶しても動けるし、助かったよ」


 僕がそう言うと、レアラはふっと笑みを浮かべて尻尾をゆらりと揺らす。金色に近い狐の毛並みが暗がりでもわずかに光を反射して、揺れる灯りに合わせて幻想的に揺らめいていた。


「あなたは本当に大変ね。生前は普通の人間だったというのに、いきなりアンデッドだもの。今日みたいに魔物と真正面からぶつかるの、平気になってきた?」

「うーん……慣れるって言うほど慣れてないけど、死なない体は確かに不思議だよ。動けるから助かってるけど、普通に考えたらやっぱり変だよなって思う」


 自嘲気味に笑いながら、僕は固くなった肩をほぐす。アンデッドになっているとはいえ、疲労や痛みが消えるわけではない。ただ、致命傷は割とどうにでもなるという、生者では考えられない感覚がある。自分でもまだ整理しきれていない。

 ランプの弱い光が部屋の壁に淡い影を落としていた。


「さてと……少し落ち着いたらお茶でも淹れようかしら。あ、マコト、ランプの芯をもう少し上げてくれない? 手元が暗くて」

「うん、わかった」


 気怠さを感じつつも、ランプの調節をして光量を少し上げる。すると部屋にいたずらに立ちこめるホコリがちらちらと舞うのが見えて、自然と鼻がむずむずした。


「よし……ほんと、埃っぽいね。そろそろ本格的に掃除しないと」

「まあ、次のクエストが始まる前に余裕があったらやりましょうか。ともかく、今は休まなきゃ。あなたも疲れてるでしょ?」


 レアラが椅子に腰を下ろし、軽く伸びをした。その仕草がやけに人間らしいと思ってしまうのは、彼女が狐獣人だからこそ感じる違和感なのかもしれない。

 見た目はほとんど人間の女性だけれど、頭の狐耳と尻尾が目に入るたびに、僕の中の「異世界に来た」っていう実感を強める。


 そう考えた瞬間、何かが頭の奥をかすめた。ふと、虚空を見つめてしまう。


「……そういえば、僕の世界が滅びた時……」


 ぽつりと呟いた瞬間、ぎゅっと頭が痛むような感覚がした。まるで無理やり思い出しかけるのを阻止するかのように。でも、その映像の断片は今でも消えない。

 おぞましいなにかが空を覆い、ビルが粉末のように崩れて、逃げる間もなく街が呑まれていくあの光景――


「マコト?」

「あ、うん……ごめん。ちょっと思い出しかけたけど、全然まとまらないんだ。僕の世界……地球がどうして滅びたのか、はっきり知らないままなんだよね」


 深いため息をつきながら、額を押さえる。自分が「地球の高校生だった」ということは何となく覚えている。でも、そこから先に踏み込もうとすると、頭の中がよく分からなくなるんだ。家族や友達の顔、通っていた学校、すべてがぼやけてしまう。レアラが心配そうにこちらを覗き込んだ。


「あなた、前世ではどんな生活を送ってたの? 学校に通ってた……って言ってたわよね。地球ってどんな世界だったの?」

「えっと……僕がいたのは、魔法なんてなくて、みんな科学技術を使って暮らしてた。スマホとか車とかが当たり前にあって、……そうだな、テレビもあったし……うまく言えないけど、少なくともこの世界の人みたいに魔法は使わない。ごく普通の高校生活してたと思う」


 平凡な学生生活だったはずなのに、思い出がぼんやりしていて自分自身不甲斐ない。レアラは目を輝かせて続ける。


「魔法がまったくない世界……逆にどんな仕組みで文明が動いてるのか興味深いわね。科学って、私の研究とは正反対かしら?」

「たぶんね。家に帰ればスイッチ一つで明かりが灯ったり、火を使わなくても調理できたり……そういう道具があふれてた。でも、もう全部……思い出せないんだ。何がどう動いていたのか、そこまで詳しくないし」


 苦笑しながら肩をすくめる。微妙なずれを感じるんだ。生前の僕はそこそこ科学に接していたはずなのに、今や頭の中にあるのは断片だけで、体系的な知識がほとんど残っていない。それはなぜかと考えると、結局自分が死んで、アンデッドとして目覚めたからに違いない。


「そっか。無理して思い出さなくてもいいのよ。まだ落ち着いて日が浅いし、身体も生前と違うんだから」

「ありがとう。でも、少しだけ悔しいというか、もどかしい気持ちもあるんだよ。絶対に色んな思い出があったはずで……家族や友達の顔だって、もっとくっきり思い出せそうなのに、どうしても霧がかかったみたいで何も掴めない」


 レアラはふっと小さく微笑んだ。いつも落ち着いた雰囲気の彼女も、こうして言葉を選んでくれるところに優しさを感じる。


「でも、今はここで生きてるじゃない。少なくとも、この世界であなたが必要としてくれる人はいるかもしれない。そう思えば、過去に縛られすぎないかもよ」

「……そうだね、分かった」


 説得力のある台詞だと思う。不思議と、胸の奥にぎゅっと残っていたざわつきが、彼女の言葉に少しずつ和らいでいくのを感じた。

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