第4話 次元の狭間

 森を進むうち、木々の合間から視線を感じて何度かビクリとする。


「大丈夫、下級魔物程度ならあなたでも対処可能よ」


 レアラがそう軽く保証するのが不思議と励みになる。僕は半信半疑ながら、死んだ体ってやつがどこまで使えるのか知りたいし、こうなったら腹をくくるしかない。


 やがて、視界の先に開けた空間が現れた。そこは崖の奥まった場所で、木が生い茂るはずの地面が妙に歪んで見える。黒い霧みたいな靄が渦巻いていて、アスファルトの上にヒビが入ったような……そんな風に空間が割れている感じだ。そこに、小さなスライムのような生物が群れているのが見える。


「……あれが、狭間、かな」

「ええ、そうみたいね。だけど手前の雑魚を片付けないと近づけないわ」

「たしかに、こっちに向かってきてる……え、こっちに来た、うわっ!」


 なんといきなり、狼型の魔物が崖の陰から飛び出してきた。灰色の毛並みに血走った目をして、低い唸り声を上げている。


「マコト、さっき渡した剣、使いなさい! 腕が噛まれたって血は出ないけど、できれば噛ませないほうがいいでしょ」

「ああ、わかった……!」


 僕は慌てて腰に吊るしていた短めの片手剣を引き抜く。剣なんて振るったことは当然ないが、まったく武器がないよりはマシだ。

 狼はガッと勢いをつけ、剣先めがけて跳びかかってくる。僕はビビりながらも、子供サイズの身体をフルに使ってスイングする。刃ががつりと狼の歯とぶつかる衝撃が腕に伝わるけれど、痛みはそこまでない。


「うわああああ! でも斬れ、そう……!」


 剣先が狼の肩に斬り込んだようで、獣が鋭い悲鳴を上げる。普段の僕なら力不足かもしれないが、アンデッドらしいパワーの恩恵で思ったより押し勝ったみたいだ。

 狼は体勢を崩して後退するが、すぐに血走った目で再度突進してくる。僕は剣を構え直し、半ばヤケクソで切りかかる。


「や、やあっ……!」


 まともに剣の扱いなんて知らないのに、不思議と身体が動く感じがする。死んでいるから力の加減が分からない、というのもあるだろう。結果的に、斬り込む軌道が狼の前脚を弾き飛ばし、そのまま転げさせることに成功した。

 狼が地面に転がった隙に、思い切って上から剣を突き立てる。ガシッとした手応えとともに、獣がうなり声を上げて動かなくなる。

 はあ、はあ、と息を切らせている自分が不思議でならない。アンデッドでも走り回ったら疲れるのか、という妙な疑問が湧く。


「まさか僕にこんなことできるとは……腕がブレそうだけど」

「悪くないわね。慣れればもっとスムーズに動けるんじゃない? 血が出なくて済むのもアンデッドの利点よ」

「そりゃあ、まあ……その、痛いっちゃ痛いんだけど、血はないし、感覚もぼやけてるし……」


 僕が呆れつつ狼の死骸を見下ろしていると、少し離れたスライムの群れに向かってレアラが小さな魔法弾を放つ。闇色のエネルギーが宙を走り、スライムたちをあっさりと粉砕してしまった。彼女はかるく攻撃をしていただけのようだが、その手際は鮮やかだ。


「はい、お片付け完了。あなたが狼を引きつけてくれたおかげで、スライムは楽に処理できたわ」

「思ったより戦えてびっくりしてるよ。まあ、腕はまだ震えてるけど……」

「慣れれば大丈夫よ。痛覚なんてごくわずかなんだから、神経質になるだけ損だわ」


 なるほど、これがアンデッド……。たしかに人間離れした頑丈さや身体能力を感じるが、やはり身体が壊れるのは怖い。

 とはいえ、無事魔物を退治できたのは一歩前進かもしれない。自分の変わりように複雑な感情があるけれど、ここで尻込みしても仕方ない。


 気づけば、森のざわめきの中で風がごうっと吹き抜け、目の前にある狭間らしき空間が黒い霧をまとうのがはっきりと見えた。


「やっぱり不気味だな……」


 僕はその、闇色の穴を見つめる。表面が波打つように明滅していて、視線を逸らそうとしても、逆に吸い込まれそうな圧を感じる。


「狭間の規模としては小さいほうだと思うけど、放っておけば拡大する可能性が高いわ。そのうち凶暴な魔物もわらわら湧いてくる。大陸中に被害が及ぶ前に、こういう小さな狭間を封じるのが冒険者の仕事でもあるの」


 レアラは杖をそっと足元につきながら、まるで『当たり前』の事実のように語る。ネクロマンサーだろうと何だろうと、彼女にとってはこの先に待つ戦いも、研究の一端に過ぎないのかもしれない。


「封じる……って、どうやるんだ? 僕たちだけで、こんな穴を閉じられるのか?」

「ふふ、そこは心配しなくていいわ。内部にコアみたいなものがあって、それを破壊すれば狭間はしぼんでいく。ただし、守護する魔物が手強い場合も多いから、骨が折れるけどね」

「つまり大変な作業なんだね……旅の通り道で手短にテストできるとか言う話じゃない気がするんだけど」

「私としては、これが一番なのよ。あなたを放置してカルディラスに行って、まともに戦えるか分からないまま騎士団に襲われでもしたら、それこそ危険でしょ?」


 なるほど。一見無茶に思える計画だけど、アンデッドとしての僕を野放しにしておくのもリスクが高いというわけか。半ば納得しかける自分が情けないような、仕方ないような気分になる。


「うーん……確かに、無謀かもしれないけど、やるしかないか」

「そうそう。初めてにしてはなかなかだったわ。もう少し動きを洗練すれば、腕一本くらいは守りながら戦えるはずよ」

「一本くらいって……簡単に言うけど、こっちはビクビクなんだぞ」


 苦笑いしているうちに、黒い霧がゆるりと大きくうねった。何かが外へ飛び出してくるような不穏な気配があって、思わず身構える。けれど次の瞬間には静かになり、ぽかりと空気の穴が口を開けているだけだった。


「じゃあ、行きましょうか」

「行くって……この穴の中に?」

「当たり前でしょ。狭間のコアは内部にあるんだから」


 レアラは小さく息をつくと、杖の先で霧をそっと掻き分けるように空中を払う。すると、ぼんやりと揺らめいていた闇が、まるで波打つ水面みたいに震えた。中からひやりとした風が吹き出すたびに、背中が粟立つ。


「はあ、マジで怖いな……」

「あなた、一応死んでるのよ。恐いと思う気持ちは分かるけど、命を落とすリスクは少ないわ」

「落としたら困るんだけどね。世界を彷徨う怨霊になるのも嫌だし」

「ふふ、まあ、私が拾ってあげるから大丈夫よ」


 レアラが笑みを浮かべる。だけど彼女の瞳の奥は本気そのもの。死霊術を操る彼女にとって、この状況は研究と実践の場なのだろう。それに、僕としてもアンデッドの力を知りたい。だから逃げるわけにはいかない。


 狭間の縁に近づくほど、視界がふわりと歪んでいくような錯覚を覚える。思わず足をもつれさせてしまいそうだが、必死に踏ん張って前を見る。


「ちなみこれより先に進んだら、引き返すのは難しいわ……覚悟はいい?」

「うん。今さら逃げたってもう意味ないし、僕がどれだけやれるか試してみる」


 レアラが薄く微笑む。「ふふ、いい覚悟ね。じゃあ、死んでも泣かないでよ」と軽い冗談を言ってのける。死んでるくせに、もっと死ぬのは嫌だけど、今さら泣き言を言うつもりもなかった。

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