第3話 生前の記憶は朧げで

 朝焼けの残滓が消えかかった空の下、僕は小さな足取りで歩き出す。いや、正確にはこの体が小さいだけで、意外と軽くて動きやすいのかもしれない。

 でも、こうやって歩きながら改めて思うんだ。自分が本当に死んでるなんて、やっぱりまだ信じられない。


「さて、カルディラスを目指すわよ」


 前を歩くレアラが、背中越しにふわりと尻尾を揺らしながら言う。廃墟の扉を抜けて、朽ちた石壁を背後に見やると、その場所はもう夜の闇に沈んだみたいにひっそりと佇んでいた。


「ところで、あなたって生前はどんなことをしていたのかしら? 何か覚えてる?」


 レアラが不意に振り返り、僕の顔を覗き込む。金色の狐耳がぴくりと揺れ、興味津々といった感じだ。


「生前ね……」


 改めて問われ、僕は脳裏を探ってみる。頭に浮かぶのは、『何か』に覆われた絶望的な光景と、かろうじて学校へ通っていた記憶だけ。目を瞑ると頭がずきりと痛み、他のことは霞んでしまって掴めない。


「正直、あんまり思い出せないんだ。自分が学生だったことだけはハッキリ覚えてるんだけど……それ以外がぼんやりしてて。家族とか友達とか、何となくいた気はするけど具体的に浮かばないんだ」

「ふうん、なるほどね。ま、呼び寄せた時点で記憶が混乱してるのは予想してたけど、それにしても酷いわね」

「うん……覚えているのは僕の世界が滅びて僕が死んだってことくらい、いったい僕の世界で何が起きたんだろう、って」


 記憶を辿ろうとするたびに心が重たくなる。

 するとレアラは、そっと微笑んでみせる。


「ま、急に全部を思い出すのは無理よ。あなた、身体も変わっちゃってるんだから。焦らないで、ゆっくり取り戻していけばいいわ」

「焦るなって言われてもさ……」

「うふふ、確かに。私としては研究のために早く知りたいけど、仕方ないわね。じゃあ、覚えている範囲だけでもそのうち詳しく聞かせてちょうだい」


 レアラが再び視線を前方に戻し、耳と尻尾をふわりと揺らす。その柔らかそうな毛並みと、廃れた大地の殺風景な背景があまりにも対照的だ。


「分かった。俺も自分のこと、ちゃんと把握したいし……何か思い出したらレアラに話すよ」

「ありがとう。期待してるわ。ほら、行くわよ。魔物か騎士団がうろつく前にね」


 そう言って彼女はまた一歩、軽やかに歩き出した。僕は彼女の後ろ姿を見やりながら、見慣れない異世界の空を見上げる。どうしようもない喪失感がまだ胸を刺すけれど、今はこの狐耳の少女とともに進むしかない。


「ところで……騎士団や教会っていうのは、ネクロマンサーを嫌っているのか?」


 自分なりに状況を飲み込みつつ、口を開く。レアラは足を止めず、周囲の荒涼とした道をチェックするように視線を巡らせる。荒野と言うほどではないけれど、草木は色を失いかけ、遠くには崩れかけた村の跡が小さく見えている。もしかすると昔は活気のある土地だったのかもしれないが、今は人の姿どころか動物の気配すら薄い。


「ええ、死霊術なんて嫌われる要素しかないもの。教会は生と死の秩序を乱す魔術を許さないし、騎士団は王の命令で禁術使いを取り締まっている。私たちが見つかったら、一発アウトよ。もちろん、アンデッドのあなたもね」

「そりゃあ、逃げるしかないってことか。僕が捕まったらどうなるんだか……」

「解剖されるか、焼かれるか、ま、最悪は灰にでもされるんじゃないかしら」


 軽い口調でひどいこと言うな、と内心思う。とはいえ、こうして普通に会話している時点で、自分が果たして生者か死者か分からない存在だという事実を改めて感じる。苦笑いしてみても、胸の鼓動は当然のように聞こえない。


 そんな僕の心情を知ってか知らずか、レアラは空を見上げ、金色の耳をぴくりと動かす。どこかで風が吹きすさぶ音が聞こえ、砂を巻き上げては舞い散らせているようだ。死んだ村の廃墟から少し進むだけで、この一帯には活気がまったくないのが分かる。


「あと数日はかかるでしょうね。カルディラスまでは道なき道を行くしかないし」

「ふうん、そんなに遠いんだ。大丈夫かな……迷子になる自信は結構あるんだけど」

「ふふ、地図を見るのは私の役割よ。あなたはしっかり着いてきて、それで十分。あ、それと、アンデッドに食料とか水はあまり必要ないわ、マナさえあれば動けるわよ」

「そ、そうなの? でも、腹が減らないっていうのもヘンな感じだし……口寂しいというか」

「人間時代の名残ね。実際は味覚も残るけど、栄養価は要らないはず。ま、暇つぶしに食べたいなら止めはしないわ」


 彼女はさらりとした口調で言ってのける。僕としては、せめて食べる楽しみぐらいしか残して欲しい気がするが……。


 そんな雑談をしながら、しばらく進む。と、レアラが古びた木の看板を見つけて立ち止まった。かろうじて文字が読み取れる程度で、半分は朽ちてしまっている。看板の向こうは小屋らしき建物があるが、壁が崩れていて中は空っぽ。


「……思った通り、ここの土地には『歪み』が発生しやすいのよ。廃村になってるのも、狭間の影響かしらね」

「歪み? 狭間?」

「簡単に言うと、時空がねじれて異界化しちゃう領域。最近あちこちで観測されてるのよ。異形の魔物が湧き出したり、狂った現象が起きたり……大陸全体で問題になってる」

「そう、なんだ」


 ポツリとつぶやいて、口を噤む。自分が死んでここに呼び寄せられた理由となにか関連付いている気がしてならない。

 レアラは地図を手に深いため息をつくと、きっぱりと言った。


「実はね、カルディラスへ行く前に、その狭間でちょっと試してみたいの。あなたの力を測るにはうってつけだと思うのよ」

「え、いきなり? 戦わせられるの!?」

「今のあなたなら大丈夫よ。実際に戦わないとあなたの能力も分からないし。ほら、異界の力を引きずってるかもしれないじゃない?」


 半分冗談めいているけれど、レアラの瞳は真剣そのものだ。


「……僕が強いかどうかなんて、正直、分からないよ。生前はなにもできないただの学生だった、はずだし」

「でもアンデッドになった今なら、それなりのタフさは期待できるわ。死霊術を使った私が保証する。腕が飛んでも、ある程度は大丈夫よ」

「う、腕が飛ぶのは嫌だなあ……」


 笑い事じゃないけど、言っても仕方がない。少なくとも、僕の腕を見てレアラは「血が出ない」と指摘していた。痛覚も鈍いとなると、確かに人間のころとは比べ物にならない頑丈さがあるのかもしれない。しかし、それはホラーな話だ。


 仕方なく頷くと、レアラは満足そうに一人頷き、カバンを背負い直す。


「ふふ、いいわね。じゃあ決まり。ここから少し外れた場所に狭間があるって話を聞いたわ。行ってみましょうか」

「行くしかないか……なんとなく怖いけど、やらなきゃ……」

「そうそう。ここで立ち止まってても意味ないわ。あなたもなにか思い出したりするかもしれないしね」


 そう言われると、確かにやらねばならない気がする。地球の最期を思い出そうとするたびに頭が痛むけれど、これを乗り越えて少しでも自分の現状を掴みたい。うん、とにかくやってみよう。


 風に舞う砂埃の先をレアラが指さした。廃村の奥に、森の入り口が見える。崖が重なり合うようにそびえ、薄暗い緑のトンネルが続いている。あの奥に狭間があるんだろうか。思わずのどが鳴りそうになるが、アンデッドだし、実際には渇きは感じない……変な気分だ。


「行くわよ、マコト」

「うん、分かった」


 こうして僕は、アンデッドとして初めての冒険へと足を踏み出すことになる。まだモヤモヤするけれど、レアラの後をついていくしかない。森の入り口は想像以上に暗く、冷えきった空気がすぐに肌にまとわりついた。

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