第2話 アンデッドとしての目覚め

 世界が崩壊した――そう認識したはずの意識が、闇の中をたゆたう。真っ黒な深淵で、僕の意識はずっと沈み込んでいた。時間の感覚もない。


 だけど、どういうわけか、僕はまだ何かを感じていた。世界の終わりに呑み込まれたはずなのに、心臓の鼓動のような音が微かに届いてくる。

 いや、これは僕の鼓動なのか? ……そもそも、生きているのか? 死んだのか?


 ぼんやりそんな疑問を抱いていると、暗闇の奥に一筋の光が射し込んだ。最初は弱々しいもので、ほんの小さな灯りだった。けれど次第に僕の輪郭を縁取るみたいに輝きが増していく。頭がずきりと痛み、僕の意識が、どこか別の場所へと引っ張られていくのを感じた。


「……ん……あれ……?」


 視界がゆっくりと開けていく。血の気が引いたように白く冷たい石畳が目に入った。まるで古い教会か遺跡の床みたいだ。彫り込まれた模様には複雑な線が走り、うっすらと紫色の光が残滓のように揺れている、まるで魔法陣みたいだ……。


 僕は荒い呼吸をつきながら、自分の身体を確認する。なぜか軽い。体重がなくなったような、あるいは自分の感覚がずれているような奇妙な感覚だ。手を動かそうとすると、まるで睡眠不足の朝みたいにぎこちない。


「すごく……動かしにくい、っていうか、なんだ、この体……」


 そうぼやいて、肩を回してみる。腕が細い。足だって、やけに短い気がする。姿勢を起こそうとすると、視界の端に小さな手のひらが映った。まるで小学生のころの自分の手みたいに……って、いや、待てよ。僕、確かに高校生だったはずだよな? 何で手が小さい?


「……あ、あれ……? なんか……子供の体……?」


 困惑して周囲を見回すと、煙がほのかに漂う祭壇らしき場所が目に留まった。そこには魔法陣のようなものが描かれていて、薄暗い室内のあちこちに怪しげな装飾が施されている。何だか映画のファンタジーセットみたいだ。

 その片隅に人影があって、長い狐耳がひょこっと揺れた――狐耳? 金色の毛並みに白い肌。ローブを身にまとって、ゆっくりとこちらに振り向く彼女は、落ち着いた顔立ちで息をついている。


「成功、した……らしいわね。でも……生者としては蘇らなかったわね、半分予想通りだったけど」


 そうぼそりと呟くその女性は、息が上がったようすで胸をおさえている。見ると、祭壇の魔法陣がまだほのかに光を発していて、彼女はその中心でなにやら儀式をしていたらしい。


「え……と、誰……? ここ……どこ……?」


 声を出そうとしたら、意外に喉が乾いていて、かすれ声になった。すると彼女――狐の耳が生えた女性は首をかしげたまま、ゆるりと近づいてくる。


「やっぱり、まだ混乱しているわね。無理もないわ。異界の魂を呼び寄せて、死体に宿らせたのだから」

「死体に……え、ちょっと待って、どういうこと?」


 混乱に拍車がかかる。自分が意識を失ったあの瞬間を思い出そうとすると頭が割れそうに痛む。


「あなた、生前の体を保ったまま蘇る予定だったの。もしうまくいけば異世界からの召喚として完璧な状態を呼べるはずだったんだけど……結果として、アンデッド。つまり死者を再生した体になってしまったみたいね」


 アンデッド。まさかファンタジー用語で聞くだけの存在が、自分の肩書きになるなんてあり得るのか? 呆然としている僕の腕を、彼女はじっと見つめる。まるで少しばかり憐れむような眼差しだ。でも、その奥に強い意志の光を宿しているのがわかる。


「こ……子供の体になったうえに、死んでるのか、僕……?」

「そういうことになるわ。変な感じよね。鼓動は……ほら、ないでしょう?」


 言われるまま自分の胸に手を当ててみる。……本当に鼓動が感じられない。思わずぞっとしたが、体は動くし、思考もある。何か、酷い夢を見てるのかもしれないという望みを抱くが、この現実感はあまりに生々しすぎる。


 その女性はローブを整えつつ、僕に向かって優雅に一礼した。狐の尻尾がふさりと揺れ、その仕草にはどこか魔術師というより妖艶な雰囲気が漂う。


「名乗ってなかったわね。私はレアラ・アマルフォード。表向きはただの魔法使いだけれど、本当は……そう、ネクロマンサー。死霊術を扱う、異端の研究者よ」

「ネクロ、マンサー……?」

「そう。死者の魂や肉体を操る禁術。それがばれたら、いろいろと面倒なことになるわ。だから大っぴらにはできないの」


 レアラはそう言いつつ、儀式用の道具らしき本や小瓶を片付け始める。部屋の片隅には灰のような物質や、か細い煙が立ち昇っていて、ついさっきまで大掛かりな儀式が行われていた証拠だろう。


「ここは……?」


 僕はその怪しげな雰囲気に呑まれそうになりながら問いかける。レアラは落ち着いた声で答えた。


「アステール大陸。アルヴァロン王国の外れにある廃墟よ。ここで研究するには都合がいいわ。誰も近づかないし、騎士団の巡回も来ない。まあ、襲われる危険はあるけど……」

「アステール……大陸……。そんな場所……初めて聞いた……」


 頭の片隅に焼き付いた地球の光景を思い浮かべようとするが、途端に脳が痛む。

 でも確かに覚えていることがあった、それは地球が滅びて僕が死んだこと。


「僕は……死んだ。はずなのに。こうして動いてる。変だよ……」

「私に文句言わないでよね。私は本当は、生者としてあなたを蘇らせる予定だったんだから」

「そ、それも変だけど……」


 ドライな口調に少しムッとしかけるが、すぐに引き戻される。レアラの表情はまるで失敗作を検証しているようだが、その瞳の奥には強い探究心と焦りが混じっているように見えた。


 ふと、外から風が吹き込み、ローブの裾が揺れる。と同時に、廃墟の天井がごとりと軋んだ音を立てた。古ぼけた石の壁には亀裂が走っていて、ここで大声でも出せば崩れてしまいそうだ。レアラは踵を返し、急いで魔術書を抱え込む。


「こんなところに長居はできないわ。騎士団や教会にでも見つかったら大事になる。死霊術なんて絶対見逃してもらえないもの……」

「騎士団……教会……? あ、え、待って、全部がよく分からないんだけど」

「分からなくていいの。とりあえず、暫くの間はあなたには協力してもらう、いいわね?」

「え、ええと……正直、頭の中がごちゃごちゃだけど……協力すれば、いいの?」

「ええ、あなたにも私の研究を手伝ってもらうわ――禁術使いとして、私は外で活動するとき普通の魔法使いを装わなきゃいけないから、色々危険なの。だから、あなたには私の護衛兼、実験台になってもらおうかしら」


 実験台……? 不吉な単語が飛び出してきたけれど、現状、選択肢はない。

 僕の体はアンデッドになった。そういえば呼吸をしているのかもよく分からないし、鼓動もない。混乱しているけれど、このファンタジーのような世界で生きるには、彼女の力を借りるしかないみたいだ。


「……分かった。他に頼れる人もいないし……ついていくよ。なんでこんなことになったのかすら、よく分かってないしね……」

「そう。それなら決まりね。うふふ、私がはっきりとした意思を持っているアンデッドを引き連れて歩く日が来るなんて、ちょっと面白いわ」

「おい、面白いって……」


 ツッコんでも仕方ないので、僕は服の裾を眺めて息をつく。確かに、子供みたいな姿だ。しかもアンデッド。なんだか自分が自分じゃないみたいで、震えそうになる。でも自分が死んだあの時を思い出そうとすると、悲鳴を上げる気力すらなくなる。

 全部が変で、僕はただ、先に進むしかない。


 レアラは儀式道具を抱え、廃墟の扉へと向かう。仄暗い空気の中、扉の向こうから白っぽい光が差している。どうやらすでに朝か昼か分からない時間帯のようで、外はうっすらと曇天だろうか。


「行きましょう。カルディラスって街を拠点にするの。そこは冒険者が集まる場所だから、色々な情報を手に入れやすいわ」

「カルディラス……ね。……ああ、分かった」


 とにかく外へ出るしかない。祭壇の一角を振り返ると、何かのうねりが残っていた。あれは死霊術の儀式の痕跡なのだろう。漆黒の煙がひゅるりと揺れるのを見て、僕は思わず身震いをしてしまった。


「僕は……異世界に来てしまったのか?」


 自問を呟きながら、レアラの後を追った。もし僕にまだ役割があるなら、ここでただ立ち止まっているわけにはいかない。廃墟の薄暗い扉をぎい、と開けた瞬間、外の空気が一気に流れ込んできた。少し湿った風が肌を撫でる。アンデッドの身でも、そこには生温い生命の気配があるように感じた。


「ほら、ぼさっとしてないで行くわよ。ところであなた、自分の名前は覚えているかしら?」

「うん……ひいらぎまこと。マコトでいいよ」

「……わかったわ、それじゃあ行くわよマコト」


 腰丈ほどの手すりを乗り越えるように、僕は震える足で地面を踏みしめる。足が地に触れる感覚は確かにあるが、脈や熱が感じられない。それでもこの世界で歩いていくしかないんだと覚悟を決める。


 レアラが一瞬だけこちらを振り返る。金色の狐耳が、微かな風で揺れた。そこには奇妙な優しさがあった。それが、ほんの少しだけ救いに思える。


「カルディラス――そこが、あなたにとっても私にとっても出発点になるはずよ」


 そう言うと、彼女はすたすたと歩き出した。僕は慌てて足を動かす。まだ子供になった身体の動きに慣れなくて、ぎこちない。それでも、廃墟の扉から漏れた外の光は、真っ暗闇とは違う微かな希望を宿しているようだった。

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