死んでも諦めない! 滅んだ世界の青年がアンデッド転生したら、ネクロマンサーの狐獣人と英雄を目指すことになりました

井浦 光斗

序章 転生したらアンデッドでした

第1話 世界の終焉

 朝の光がカーテンの隙間から差し込む。僕、ひいらぎまことは、いつも通りの朝を迎えていた。枕元で鳴る目覚まし時計の電子音に微睡んでいた意識が引き戻される。まだ寝ぼけたままの頭を揺さぶるように起き上がり、ゆっくりと伸びをした。


「今日も同じように学校行って、授業受けて、放課後は友達とゲーセンかな。あー、早く土日にならないかなあ」


 何の変哲もない独り言が口を突いて出る。いかにも平凡な高校生らしい予定だと、自分で呆れてしまうほどだ。でも、この退屈でありきたりな日常を、僕はそれなりに大事に思っていた。少なくとも、その時までは。


 歯を磨いてからリビングに降りてテレビのスイッチを入れる。画面には朝の情報番組が映り、妙なニュースが流れていた。


「世界各地で謎の黒い蝶が確認されているとの情報が……ネット上では『クロアゲハパニック』とも呼ばれ、写真や動画が……」


 アナウンサーが仰々しい表情で語るそのニュースを見て、僕は鼻で笑った。


「また大げさなやつか。フェイクニュースじゃないのか?」


 スマホを手に取り、SNSを覗いてみる。確かに「#黒い蝶」「#フェイクニュース」というハッシュタグが並び、どこかの国で空を覆うように群れる黒い蝶の動画が投稿されていた。薄暗い空を蠢いている蝶の数々……しかし画質が粗く、どう見ても合成にしか見えない。コメント欄でも「絶対加工だろ」「釣り乙」といった反応が多数を占めている。


「ほら、やっぱり騒ぎすぎだよな。なんかしょーもないデマにしか思えないんだよな……」


 言い聞かせるように呟く。心のどこかで、ほんのわずかに嫌な予感がしたけれど、僕は意識的にそれを追い払った。現実感がなさすぎるし、バカバカしい。ニュースだって、視聴率を稼ぐためなら多少は誇張したくなるものじゃないか。


 いつもと同じ朝食を済ませて、いよいよ登校準備だ。着替えをして、スマホと財布をバッグに入れて、玄関に向かう。さっきまで散々騒がれていた黒い蝶のことなんて、気にも留めなくなっていた。外は晴れやかな朝日が差しているはずだ、と僕は思い込んでいた。


 玄関扉を開ける前に、ふと窓から外の景色を確認する習慣がある。鍵とか閉め忘れていないか、とかなんとなくチェックするためだ。だからその日も、何気なく窓を開けたのだが、そこで僕の時間が止まった。


 窓を開けた瞬間、視界いっぱいに「それ」が広がっていた。どこまでも黒いアゲハ蝶の群れ。晴れた朝の光さえ奪うほどの密度。小さな羽が無数にひらめきながら、空一面を埋め尽くしている。その光景は悪夢としか言いようがなかった。


「……嘘だろ?」


 自然とその言葉しか出ない。まるでテレビの合成映像が飛び出してきたみたいな不気味なリアルさ。外から聞こえるか細い悲鳴が断続的に途切れ、まるで音を吸い取るように黒い蝶たちはやがて街へと降り始めた。


「なんだこれ……マジで……」


 朝日が射していたはずの道路は、いつの間にか薄暗く覆われている。空から降りてきた蝶の群れが、地上を黒い霧のように塗りつぶしているのだ。はじめは遠巻きだったはずの蝶が、ゆるやかに、じわりと、僕の家の方向へも流れてくる。


 すると視界の片隅で、近所のビルがバラバラと崩れ落ちた。いや、崩れ落ちたというか、蝶が触れる端から黒い粉末へと分解されていく。壁面が砂のように舞い散り、悲鳴も一瞬でかき消える。呼吸が引っかかり、心臓が嫌というほど主張する。


「嘘だろ……嘘だろ……!」


 誰かの助けが欲しくて、でも声は出ない。玄関へと駆け出そうとしたが、手が震えてドアノブを掴むことさえおぼつかない。

 外では車が急ブレーキをかけて停まっているのが見える。黒い蝶がドアから侵入して、一瞬で車全体を粉末へ変えてしまうのが目に入った。現実の光景とは思えないほどの惨劇。それはまるで、音のないホラー映画のようだった。


「逃げなきゃ……逃げなくちゃ……!」


 頭の中で指令を出しても、脚がすくんで微動だにしない。ここを出ても、この蝶の海をどう切り抜けるというのか。右へ向かおうが左へ向かおうが、どの道も黒い羽根がびっしりと詰まっている。平常心で考えられるわけもない。視界の端で、人影がかろうじて逃げ惑っているのを認識するが、次の瞬間にはその人も闇に呑まれて粉末化している。


 絶望以外の何も感じられず、背筋が凍る。喉の奥から声にならない声が漏れるだけだ。世界は音を失い、ただのモノクロの悪夢と化していた。


 そして僕の家のすぐ目の前まで、黒い蝶の「波」が押し寄せる。壁のように広がる無数の羽は、仄暗い揺らぎをもって僕を囲むように迫ってくる。生温い風が肌を撫で、目を開けていられないほどの不安を煽る。


「こんなの……嘘だ、そんな……」


 その言葉さえ霞んで、口の中が砂漠のように乾く。異常な速さで家の外壁が粉末となり、まるでブラックホールに吸い込まれるように消えていく。振り返れば、自室もすでに廃墟のように崩れ始めている。ドアを開ける意味すらない。蝶の群れは容赦なく建物の内部へ侵入してきた。


 僕は叫ぼうとするが、舌が動かない。鼓動だけが無駄に早くて、呼吸さえままならない。あらゆるものを呑み込む黒い波に視界が覆われて、わずかに空いた隙間から外を見れば、隣家や電柱も跡形もなく粉となって舞っている。


「う、わぁ……っ……!」


 声にならない悲鳴を上げると同時に、僕の身体が重力を失ったかのようにガクンと揺れる。黒い蝶が袖口に触れた瞬間、そこからじわりと崩れるイメージを抱き、思わず目を瞑った。現実かどうかの判断なんて、もはやできない。祈るように腕を抱きしめても、すぐにそれすら気のせいのように消えかけている感覚だった。


 どれほどの時間が経ったのか分からない。いや、わずか数十秒、数分なのだろう。周囲の騒音がすとんと消え、耳鳴りだけがやけにはっきり残る。見渡す限り黒に包まれ、家も家具も、街の建物も、誰も彼も、すべてが黒い粉末になってかき消されていった。黒い蝶の群れは、それをじわじわと食らっているみたいに見える。


 そして僕は身体から感覚を奪われ、意識が遠のいていくのを感じた。視界が闇に閉ざされ、呼吸がきちんとできているのかもわからない。薄れゆく意識の中で最後に目に焼きついたのは、漆黒の蝶が何万羽も羽ばたく光景。聞こえるはずの人々の悲鳴も、もはやかき消され、何も残らない。


 世界が滅びる、というのは、こういうものなのだろうか。


 たった今までは、ごく普通の一日が始まるはずだったのに。家を出て、学校へ行って、友達と午後からファストフードでおしゃべりしって、そんな小さな退屈を淡々と積み重ねるはずだった。しかし、そのすべてが根こそぎ奪い去られようとしている。


 胸の中にあるのは虚しさと恐怖。何もできないまま暗闇へ落ちていく自分。生きたいとも死にたくないとも、はっきり意思表示する間も与えられない。まともな言葉を出せないまま、頭の芯がふっと揺れた。


 こうして、僕のありふれた日常は、一瞬で崩壊した。もしかしたら、僕も跡形もなく砕け散ったかもしれない。


 暗闇が訪れ、僕の意識は呑み込まれた。これが絶望の最果てだと感じる。そうして、世界は本当に――


 滅びた。

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