第57話


 アサミが足を止めたのは、急角度の狭い階段を上りきってすぐの踊り場のようになっているスペースだった。


 階段の降り口は床に空いたかなり広い開口部となっており、その開口部を取り巻いて落下防止用なのだろう、木製の手すりがしつらえられていた。


 左右には廊下がのびている。


 アサミは、

「このスキマ、すっごいわ。深い」

 と呟きながら白茶けたこれまた昭和を感じさせる砂壁を見つめているが、皆月みなづきにはもちろんただのざらざらした砂壁しか見えない。


 かなでを見上げてみたが、奏も別に霊や何かが見えるということではないので、片方の眉をかるくあげてみせただけだった。


 アサミが<スキマ>と呼ぶ場所には、死者の魂が入り込んで出られなくなっていたり、時を経て人というよりも怪異と呼ぶのがふさわしいモノに成り果てていたりするという。はたまた彼らあるいはそれらの一部がスキマからさ迷いでて生きた者に害をなしたりするのだそうだ。


 彼女はしゃがみ込み、頭を下げて壁と階段の境目の部分を覗き込むようにした。


「何かいるかも。でもいるとしてもずっと奥にいて見えない。この旅館、庭や新館もこんな感じのスキマだらけよ。ここまで多い場所は初めて見た」


 アサミの表情には緊張感が漂い始めていた。


 二階にあがっても電灯の光は薄暗かった。いまどき照明器具がLEDじゃないのだ。


 窓の外はもう真っ暗闇だった。


 ただし、しだれ桜のライトアップのおかげで紫っぽい淡い光が旧館二階のこの廊下にも漏れ入っている。


 窓の外、眼下ではちょうどシゲさんがしだれ桜付近の竹灯籠たけどうろうに点火棒を使って火を入れていた。隣にはさきほど別れた若手従業員の田辺が立っており、地面に置いてある竹灯籠を持ち上げてシゲさんが腰をかがめなくてよいように手伝っているのも見える。



 暗闇の中、そちこちに小さな焔が揺れ、儚く桜の花びらが散る情景は幻想的である。


 皆月が眺めていると、突然、別の人物が視界に走り込んできた。


 それは一瞬の出来事だった。



 その人物は長い髪を翻し、片手にを持ち、シゲさんと田辺に駆け寄った。女性と思われた。



「ユイ! お前なにして」


 田辺が叫び声をあげると同時にそのなたの刃は田辺の左肩から右胸を袈裟懸け状に切った。


 紫色のライトアップに血しぶきが照らされる。田辺はそのまま真横に倒れた。


 シゲさんが「わあっ」と声をあげてた。


「ま、待て! 待たんかっ、……」

 しかし、女はなたを振り上げる。


 シゲさんはよたよたと逃げようとした。

 逃げた方向にはしだれ桜がある。


 女は水平になたを振るった。


 シゲさんはしだれ桜の太い幹に抱きつくようにしてずるずると倒れた。


 なたは幹に食い込み、事切れたシゲさんの頭部はほとんど切断されていた。




 皆月は手で口許くちもとを押さえ、声にならない声を喉から絞り出してよろけながら後ずさった。その背が、後ろにいた奏の逞しい胸にどん、と当たる。


 奏も窓の下で突如行われた惨劇を見ていた。


 皆月の身体を支えるようにして、奏がその両肩を背後から掴む。


「涼太しっかりしろ。頼む。くそっ、ヤバいぞ」


 皆月は顔から血の気が引いているのが自分でわかった。耳の奥で一斉に鳴る蝉の声と奏の声が入り混じっていたが、なんとか自分を取り戻す。

 しかし、身体が小刻みに震え、それ止めることはできなかった。


「い、今の」

「ああ」



「何事?!」

 とアサミが窓に駆け寄る。眼下をみおろすと彼女は眼を剥いた。


 おそらく入間いりまユイとおぼしきを手にした人物は、片足をあげてしだれ桜の幹にぐいと足裏を当て、それをてこにして幹に食い込んだなたを引き抜いた。


 そして、異様な俊敏さで身を翻し、旧館の玄関に駆け込んでいく。いや――駆け込んで、


 この建物に。



 奏の行動は素早かった。

 奏は階段の降り口から階下に向かって

「新堂さん桜子ちゃん、逃げろ! 危ない!」

 と、空気がビリビリと鳴るような物凄い大声で怒鳴った。



 階下から悲鳴とバタバタという物音が響く。


 何秒ていどだったのかわからない緊張の後に、かるい足音がして桜子が階段を駆け上がってきた。


 その後ろから新堂。


「そっちに逃げて!」

 アサミが階段を上りきった桜子を二階廊下の左手へとそのまま走らせる。


「ゆ、ユイちゃんが!」


 と、新堂が階段をのぼりながら、階段の降り口のところの手すりから身を乗り出している奏に向かって叫ぶ。


 しかし、ざく、という音がして彼女の顔からは突然、すうっと表情が消えた。目からも光が失われ彼女は階段の途中で前のめりに倒れた。


 その背中には、が突き刺さっていた。


 ずるり、と、それが鮮血を滴らせながら抜き取られる。


 の柄を持つ手は白く、ほそかった。


 女性の裸足はだしの足が、新堂の、旅館の従業員の作務衣のようなお仕着せを着た背中を踏み越えて階段を上ってきた。


 ぺた、ぺた、と、濡れた足音がした。



 を手にした女は、顔にめんをつけていた。


 あの幼かった日、皆月みなづきかなでが見たのと同じ、奇妙にとぼけたまるい口のあいた黒っぽい木製の面だった。


 彼女は階段を上りきる手前でふと戸惑ったように足を止めた。


「ど……」


 その面の下から漏れだした声は、女性のものとは思えないものだった。

 低く、しゃがれている。


「ど…………っ、……」






「下がって!」


 アサミが奏と皆月に向かって叫び、スプリングコートの内ポケットに右手を差し入れた。



―――――――――――――――――――


☆作者より


ここまでお読みくださりありがとうございます!


2026年1月現在、カクヨムコン11に応募している別作品の更新を優先しているため、しばらくこの『幽明のチェロ奏者』の更新がとどこおっております。


ここで滞るな! というところで滞ってすみません……🙇🙇🙇


2月半ばくらいに更新再開予定しております!

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幽明のチェロ奏者 赤宮マイア @AkamiyaMaia

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