ニコちゃん先生の卒業式

・みすみ・

ニコちゃん先生の卒業式

 彼女は、自分の可愛かわいい名前を気に入っている。


「高い低いのタカに、川にかる橋のハシ、レインボーのにじに、子どものコで、高橋虹子たかはしにこです」

 キラキラネームとは言え、電話口で、漢字の説明をするのが簡単なのも、良い。


 ありふれた名字に、キラ可愛い二文字の名前という組み合わせだから、小さい頃から、虹子にこの呼び名は、名字ではなく、「ニコちゃん」、または「ニコ」だった。

 大学を卒業し、小さな地方都市で教師になってからも、それは変わらなかった。


 各教室での最後のホームルームを終え、親も担任もまじえて、わらわらと写真撮影をしたり、語り合ったり。

 一連の騒ぎを終えた生徒たちが、思い思いに教室から出ていく。

 虹子は、無人になったのを確認してから、自教室をあとにした。


 それは、虹子が教師となって1年目。

 3年生クラスの副担任ふくたんにんとしてせわしない一年を終えた3月1日、卒業式の日のこと。


 教室を出ても、卒業生たちは、名残を惜しむように、校内にとどまり続ける。

 そこここで、バカ笑いが起きたり、黄色い声が上がったりしている。


「ニコちゃん先生!」

 山田和馬やまだかずまだ。

 職員室に戻るべく、のんびりと渡り廊下を歩いていた虹子の姿を見つけるや、ひとり、猛然もうぜんと駆け寄ってきた。

「これあげる。中、見て!」

 と、唐突に白い洋封筒ようぶうとうを渡される。


 たじろいたのは一瞬だった。

「ラブレターかね?」

 したってくれる生徒に冗談じょうだんを言えるくらいには、仕事にも、生徒にも慣れていた。

 ほどほど慣れたところで初めて出会った生徒たちとお別れなのは残念だが、教師生活のスタートとしては、良い1年を過ごせたと、虹子は思う。


「そう、ラブレター」

 胸に、卒業生用のピンクのバラの造花をつけた和馬は、へへへと笑う。

 虹子が封のされていない封筒から、中身を引っぱり出してみると、でかでかと「居酒屋いざかやわかごま・春のキャンペーン」と書かれたチラシが入っていた。


「ちゃっかりしてるなぁ」

 居酒屋をやっているのは、山田和馬の両親である。つまり自分ちの宣伝というわけだ。

「ニコちゃん先生、いっつも薄給はっきゅうなげいてたじゃん。チラシについてるクーポン、20%オフになるからさ、使いなよ。ちなみに、オレ、金曜日と土曜日の夜に店を手伝う予定だから、金曜日か土曜日に来てよね」


「むう、懐事情ふところじじょうを教え子に心配されるとは、なさけなし」

「オレ、優しいだろ。な、絶対、来てよ!」

「オッケー。近いうちに顔出す」

 山田和馬は、本日をもって、本校を卒業する。

 実家の居酒屋に元副担任の虹子が顔を出したところで、差しさわりはないはずだと、虹子は教師の倫理観で計算する。


「やった! ありがと、ニコちゃん先生。じゃあ、また!」

 そう言うと、和馬は、とっとと級友の輪の中に戻っていった。

 ソメイヨシノにはまだ時期が早く、空気はいまだひりひりと冷たい。校門脇の寒緋桜かんぴざくらだけがひっそりと咲いていた。


   ■ □ ■ □ ■ □


 彼は、彼女の可愛い名前を気に入っている。

 生徒たちに、大声で「ニコちゃん先生」と呼ばれると、ほんのちょっと恥ずかしそうに笑う。

 名前の通り、「ニコ」っと。

 だから、わざと、和馬はいつも必要以上の大きな声で呼びかける。


 和馬は、虹子に封筒を渡すと、さっさと、仲間のところに戻った。

 さっそく、いじられた。

「なんだよ、和馬、ニコちゃん先生に、ナニ渡してたんだよ」

「感謝の手紙か?」

「ばっか、コイツがそんなキャラかっての。きめぇ」

「じゃ、ラブレター」

「平成かよ!」

「いや、昭和だろ!」

 ぎゃーぎゃーと、やかましい。


「うっせー、だるいわ、うざがらみ。おまえらにもやろうか? 居酒屋わかごまの、20%オフクーポン付きチラシ」

 和馬が、肩に回された手を振り払いながら言ったら、爆笑された。

「ガチ営業」

「必死かよ!」

「さすが、2代目」


「必死だよ、悪いかよ」

 和馬も笑いながら、言い返す。

(こっちは、まだ、生徒なんだよ)

 生徒だから、相手にされない。

 生徒だから、邪険じゃけんにもされない。


 ずっともどかしいばかりだったのに、生徒じゃなくなったあと、どうやってつながれば良いかがわからない。


「ラブレターかね?」

 虹子は、無防備に笑って言った。

 彼女は、ただの1ミリすらも、和馬の本気を疑ってはくれない。

「そう、ラブレター」

 本気の本気のラブレター。

(いまのオレのせいいっぱい)


 会いにきてよ。

 生徒じゃないオレに。

 会いたいんだ。

 教師じゃないあなたに。


 願いを込めて手渡した。

 今日は、彼の卒業式。


 3月になったばかりの風は冷たくて、級友たちは、そろそろ外にいることに飽き始めてきた。

「焼肉行く人〜」

「制服だべ」

「もう着ねえし」

「俺、これで入社式だっつの」

「マ?」

「大マジ」

「なら、ラーメン」

「おっし! いえけいな!」


 いつもの帰り道みたいに、連れ立って、移動を始める。

 和馬は、一度だけ振り返り、そこにもう高橋虹子の姿が見えないことを確認する。


「和馬〜? 忘れもんか?」

 立ち止まった和馬に気づいて、友だちのひとりが声をかける。


「大丈夫!」

 和馬は答え、ひらけた正門から、大きく一歩、踏み出した。



             ―終―



 






 



 

 

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