何が悪い! 3

「じゃあお母さんに連絡しときますね」


 私はそう先輩に向かって伝え帰り道を進む。

 ふと見上げた空は赤く、そういえばあの日もこんな夕焼けだったことを思い出す。


「ここから出て逃げろ」


 神性体に押し潰されそうになりながら先輩は私に覆い被さって言った。庇ってくれたあの時間。先輩の腕の下から今日みたいな赤い空を見上げた時、私は先輩を死なせたくない気持ちとこのまま二人で死んでもいいやという交わる事のないはずの二色、白と黒のような気持ちが交差した事を覚えている。


 結局、心は汚れた白色、寂しそうな灰色のまま「いや…………いや…………」と幼い子供のように首を横に振ることしかできなかったあの時の私の弱さが今思い出しても憎い。


「……そうかも」


 ふいに過ぎった予想に一人呟く。

 先輩なら、やりかねない。


(ジャック先輩はきっと私に河川敷へ行って欲しくない)


 なら、どうするだろう、と歩きながら考える。

 答えはすぐに出た。


(先に一人で問題を解決しようとする)


 その行動は実に先輩らしい。

 付き合いは長く、一緒にいる時間も家族と同じくらい長い。

 先輩の行動予想は概ね当たっていると思う。


(時間は多分、八時……いや、その少し前にジャック先輩の部屋に向かわないと)


 神器の受け取り時間、その少し前には部屋を立つはず。


(今から、部屋を片付けて、お風呂に入って、制服から着替えて……うん、ちょうどくらいかな)


 ただこれだとご飯を食べる時間が無い。どこかで、コンビニとかでご飯を買って先輩のお部屋で食べさせて貰おうかな、なんて考えていると帰る足取りは自然と軽くなっていった。


(あぁ……もうほんとに馬鹿すぎ)


 結局、八時ちょうど位の時間に先輩の部屋の扉を叩き、返事のない扉を見て私は自分の馬鹿さを呪った。

 多分、先輩はもう教会にいる。出来るのを待つつもりで向かったのだろう。

 先に問題を一人で解決しようとしているのなら、一秒も無駄にはしたくないはずだ。

 そこまで考えられていれば、と不甲斐ない自分に苛立ちが募る。


(こんなものまで買って)


 手に持ったコンビニの袋を持ち上げ白い目で眺める。これもあれも二人で分けよう、なんて棚に並んだお菓子を見ながら考えていた呑気な過去の自分が恨めしい。


(教会の次はどこへ向かうだろう)


 一番あり得そうな河川敷へ先輩が向かうとは……思えなかった。

 それなら先に一人で行く意味があまり無い。私を待ってくれてもいいはずだ。


(でも、どうだろう……ジャック先輩、心配性な所あるからなー)


 うーん、と一人唸る。

 ただ河川敷以外に先輩が行きそうな所というのも思い浮かばない。

 もしくは私の知らない所、異端審問官のネットワークで知った場所とか、だろうか。


(それもそれでジャック先輩が一人で行く意味が分からない)


 可能性は低い。なのに、何故だか先輩はそっちを選ぶような気がしてならない。

 もしそうならキドウさんが何か知ってないだろうか。外回りの可能性もあるから、先にケイさんに確認を取って……

 うん。そうしよう、と私はケイさんの部屋を目指し駆け出した。


「あれー!久しぶりー!コトちゃん!」


 ケイさんの部屋の扉を叩くと出てきたのは従者であるシイさんの方だった。

 出てきたシイさんがガバッと手を広げて抱きついてくる。私はそれを慌てて受け止めた。シイさんの豊かな胸に埋まり、ふわりと甘い香水が薫る。相変わらずシイさんは距離が近い。


「お久しぶりです。シイさん。あのケイさんは今どこへ?」


「ケイちゃん?ケイちゃんはね、まだお仕事なんだよねー私だけ先に仕事上がれって言われちゃって」


 そう言いながらシイさんは扉を開いて部屋へと誘う。シイさんとケイさん、二人の部屋だったはずだがこんな時間に勝手にお邪魔して良いのだろうか、と扉の前で躊躇ためらっていると……


「そういえば、なんでケイちゃんを探してるの?」


 とシイさんに首を傾げながら聞かれた。


「キドウさんと出来れば先輩……カネイトさんの居場所が知りたくて」


「キドウくんならー確か寮のワークスペースでみんなといるはず、でも、あそこにジャックくんはいなかったなー」


 天井を見上げ思い出しながら言うシイさんに私は「分かりました。ありがとうございます」と頭を下げてワークスペースへ急ぎ足で向かう。


「ジャックくんがどうかしたの?」


 私はふいに後ろから声をかけられ立ち止まり振り返った。


「先輩どっか行っちゃって」


 シイさんは目も口も大きく開けて「えー! それは大変!」と大きな声を上げる。


「よしっ、私も手伝うよ!」


「えっ、いえそれは嬉しいですけど、もう仕事終わってますよね」


 流石に悪いです、と私は首を横に振る。


「従者の休みはお嬢様が寝ている時だけだからね! ケイちゃんまだ仕事中だし、私も仕事中みたいなものだよ!」


「そうですか。じゃあ……ありがとうございます」


 私はおずおずと頭を下げる。

 よしっすぐに行こう!と駆け出すシイさんの後を私は慌てて追った。


「おー! シイさんとアマツカちゃん、どうしたん? そんな急いで」


 ワークスペースの扉を開けると第十席の皆さんが集まっていた。呑気なキドウさんの声とは裏腹に部屋は少し殺気立ってすらいるように思えた。


「シィとコトちゃん……どうしたんだい? 何か我々に用かな」


 一番奥の席からケイさんがこちらへ歩いてくる。

 私は「お久しぶりですケイさん」と頭を下げた。


「ジャックくんがいなくなっちゃったんだってー」


「おー、その話をちょうどしとったんよ」


 私は「えっ」とキドウさんの方を見る。


「あいつー現在地だけ送って、それ以外の連絡ないねんなー。なんかアマツカちゃん聞いとらん?」


 キドウさんが私の方にスマホを見せる。画面を見ると送られていたのはこの街の住所だが……ここに何かあっただろうか、と考えるうちに眉間に皺がよっていく。


「何者かに連れ去られたとか、近くの民家で何か見つけたとか、空の上とか、地下とか、まー流石この情報だけで民家にお邪魔しますっちゅうのは……」


 なぁ?と曖昧な表情を浮かべている。

 結局の所、キドウさんたちも行き詰まっているらしい。


「まーでも、ここが全然関係ない可能性もあるし、カネイトくん一人を頼りにってわけにもいかんから」


 俺もまた回って来ようかな、とキドウさんは独り言のように言って椅子にかけていたコートを掴み立ち上がった。


「そういえばなんかカネイトくんに用事でもあったん?」


 私は少し躊躇ってから「河川敷のホームレスの方が少し怪しくて、また夜に見に行こうとしてました」と正直に話した。


「「怪しい?」」


 ケイさんとキドウさんが同時に言って眉を顰める。


「沈め、沈めって呟いたり、神性体にも怖がっている様子がなくて」


「まぁそれは確かに怪しいなぁ」


 だけど……


「そうなるとジャックくんが送った場所は全然関係ないと言うことになるな」


 河川敷と先ほどの住所はかなり遠い。

 だけど、無関係とはどうしても思えなかった。

 ただ先輩を信じたいだけかもしれないけれど。


「あっ! はい! わかりました!」


 突然シイさんが手を上げる。


「あの川って終わりの方に下水を流してる所ありますよね! そして住宅には下水道が通っている!」


「川から下水道を通ってあそこまで登ったと?」


 ケイさんが首を傾げる。


「はい!」


 満面の笑みを浮かべて頷くシイさん。

 それは出来るのだろうか、あまり想像出来ないけど。


「無茶やろなー。あそこはドバドバ下水出てるし水の流れは早い。しかも柵あるし、穴に入るには高さもある」


 その時、私は頭ふいにを過ぎった予想にあっと声が出る。


「さっきの住所に下水道へ続くマンホールは」


「俺も思ったんやけど、近くにマンホールどころか消火栓用の蓋もなくてな」


 キドウさんはゆっくりと首を横に振った。


(地下、下水道、消火栓用の…………消火栓用の?)


 ぼんやりと何か断片的な記憶が蘇ってくる。

 あの、地獄のような日、行き先を聞く私にお母さんとお父さんが「教会には地下へ逃げるための避難経路がある」と言っていた。


(結局あの日、教会が燃えていてその避難経路は使えなかったから、すっかり忘れていた)


 火の粉を巻き上げ、天高く燃え上がる教会。

 周りで呆然とした表情をしながら燃える教会を見つめる信者の方達がいた。私たち家族はそれからすぐに捕まり……


「お願いがあります。旧教会跡地に行きましょう」


 旧教会跡地、という言葉を出した瞬間、ザワリとワークスペース内が騒がしくなった。勘繰るような視線が私に向けられる。

 だけど今、言うしか無かったはずだ。


「何か……そこにあるんかい」


「地下への道があったはずです」


 旧教会跡地から、先輩が送った場所はそこまで離れていない。少なくとも河川敷や下水が放出されている所よりかは近い。

 そして先輩が隠したかった理由も分かる。

 私に集まる視線。人じゃない醜悪な物を見るような目。同じ者同士で固まり、爪弾きにしようとする、この目が私たちは怖い。


(だけど……きっと先輩の送った場所に何かあるはずだから)


「そうなんか。ほな、行こか! 行く先決めてなかったしちょうどええわ」


「シィ、準備だ。武装してから後を追ってきなさい。誰か車の準備を」


「「「はい!!!」」」


 弾かれたように声を揃え、皆一斉に動き出す。

 私は自然と止めていた息を吐き出した。ここは学校のような場所ではない。私情より仕事が優先される場だ。

 いよっしゃー!と大喜びしながら出て行ったシイさんを見送り、私たちは玄関の方で車を待つ為に向かう。


「ケイさんは知ってたんですよね。私たちが旧教会側の人間だってこと」


 隣を早足で歩くケイさんに私は聞いた。


「仕事に必要な事を知っておくのは管理する者の義務だ。だけど、そこに仕事で不都合な何かがあったとしても、その者に対し行動を変える程、私の視野は狭くないつもりだ」


 急ぐぞ、と駆け出すケイさんの背中は確かにあの人の娘さんらしい、頼もしい背中だった。

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