何が悪い! 2

「さぁ第二ラウンドの始まりだ」


 出血が止まったとはいえ、残り体力は少なく、この足では動きも制限される。

 やれるのか、と自問しながら神器を握り直す。


(やるしかないだろ)


 俺は顔を上げネズミと再び向き合い構えた。

 さっきは地上でやりたい事はないって言ったけどあれは嘘だ。

 地上でやり残した事なんて沢山ある。

 早くも傷を治したらしいネズミが爪を振るう。頭を下げて避ける俺の背後にあったコンクリートの壁が抉れたのだろう。細かな粒が体に当たり床へと落ちていく。


(まだ一度も行ってきますって返せてないんだ)


 毎朝、寮の前を掃除してくれる人たちを俺はいつも避けていた。

 それが神様ありきの行動だと思ったから。信者じゃない、仲間じゃない俺には向けられていないと避け続けた。


(初めてもっと話したいって思ったんだ)


 クラスメイトが言ってくれた言葉が脳裏に浮かぶ。


「ほんと生きてて良かったよ」


「そうそう。ありがとう!」


「マジで危ない仕事だろうし、気をつけてな」


 鋭い前歯が俺の目の前を過ぎり冷や汗が出る。生きててありがとう、と言ってくれた側から危うく鼻が無くなる所だった。


(よく食べたねーって声をかけらた時、美味しかったですってちゃんと伝えられてない)


 ネズミの鼻先で弾かれ体が打ち上がり、俺は再び床に倒れた。

 目眩があれからさらに酷くなっている。真っ直ぐ立つ事すら難しい。


「その言葉全てがきっと神様を思ってなんかじゃなく、誰かが誰かを。人が人を思っての言葉のはずだ」


 それでも俺は震える手をつき立ち上がる。


「あんたにも思ってくれる人がいるんじゃないのか。あんたの思いについて来てくれる人が、声をかけてくれる人が」


 男を睨みながら俺は声を上げる。


「……そうだな……その声は……少なくない」


「じゃあ、なんで! 地上めちゃくちゃにしてんだよ! その先にあるのは!」


 男の表情が曇る。


「あの日と同じ地獄だろうが!!」


 互いを悪魔と罵り合い、憎しみの連鎖が爆発した。

 結局、あの日、この街で持ちうる限りの武力と武力がぶつかり合い無関係な人まで巻き込んで、街が焼けた。


「何がこの街にいる限り無関係じゃない……だよ」


 苛立ちがつのり握った拳で壁を打つ。

 勝手に関係ない人まで巻き込んで、そんな理不尽あんまりじゃないか。


「あんたも分かってんだろ!」


 ネズミがこちらに頭を向けて突っ込んでくる。

 躱して、さらに追いかけてくる爪も神器で弾く。ぶつかった拍子に手が痺れた。


「……主人の意向だ」


 男が目を伏せながら言ったのに対し、ふざけんな、と舌打ちが出る。


「どうせ俺は死ぬ。救援は来ない」


「貴公も……見限られたか」


「違う。俺のミスだ。なぁ俺の最後の頼みだ。あんたについて来てくれる人たちの為にも、あんたが導けよ」


 このままだと俺が死んで、ネズミがまた地上で暴れて、教会の権威が落ちて、街は再び荒れる。

 俺に声をかけてくれた人たちがそこで理不尽に泣く。それは嫌だ。


「……出来るわけがない」


 ネズミの爪が俺の頭を切り裂こうと迫る。

 それを咄嗟に神器を頭上へかざし受け止めた。

 腕を覆うように伸びる神器の裾が想像以上に頑強でネズミの鋭利な爪を通さない。

 ネズミが見下ろし俺を睨む。俺は下から腕を抑え全身を使ってそんなネズミに抗った。


「こんなドブネズミじゃなくてさぁ!!」


 歯を食い縛りながら俺は男へ叫ぶ。ジリジリと壁の方へと押されながらもネズミの爪はまだ頭へ落ちていない。


「あんたがここのみんなの為に下水の灯火、導きの光になってやれよ!!」


 俺は爪を押し戻していた力を完全に抜く。

 その瞬間、ネズミが前へとつんのめる隙に腰のランタンを取って光量を最大にする。


(こいつは神様だけど、効くはずだ)


 だって、こいつとは何度も目があった。あの瞬間、確かに俺をその目で獲物と見ていたはずだ。


「食らえよ神様!!」


 ネズミに向かって吠えながら俺は眩い光を放つランタンをその目に押し付ける。確かにその光は闇を照らした。

 ネズミが「ヂッ」と鳴いて体をよじり光から距離を取る。


「オラァ!!」


 神器を握り俺は前へと駆け出し、ネズミの横腹に対して真っ直ぐ一本の切れ込みを入れる。骨をなぞり、肉が裂ける感触が刃を通って手に伝わってきた。

 ネズミは……


(クッソ……)


 がむしゃらに振るわれたネズミの手が俺の腹をちょうど打って飛ばされた。

 まだ動き続けているという事は、核は腹にもないらしい。動物っぽい見た目だと頭か腹だったはずだが……


(もしかして……反対か?)


 そんな隙、再び作れるだろうか。先ほどのランタンはおそらく警戒されるだろうし。


「……あれ」


 立ち上がったはずが俺は床に頬を打って倒れていた。

 太ももを抉られた右足に感覚がない。力も入らない。


(やばいな……)


 震える手を伸ばし太ももを締め付けていたベルトを外す。

 ふと胸を見てあぁ、と情けない声が漏れた。再び出血している。あれだけ激しく動き、心拍数も早まって……当たり前だ。


「貴公……気付いているか……顔が生者とは思えないほどに……青白いぞ」


 男は俺を真っ直ぐ見下ろしながら言う。


「一瞬で……楽にしてやって……下さい」


 そう言って男が向けた顔の方。俺のすぐ側にネズミが立っていた。

 辺りが暗くなりネズミの息遣いが頭上から近づく。


「くそっ」


 俺は咄嗟に腕を使い床を這って躱した。


「動くと……楽に……逝けませんよ」


「グッ……」


 左の肩にネズミの爪が刺さった瞬間、全身に電流が走ったように激痛が襲い一瞬、意識が飛ぶ。

 再び意識が戻ると俺は床へ倒れていた。


「まだ……だ」


 辛うじて動く右腕を使い、少しずつ前へと進む。その先には灰色の大きな壁が聳え立っている。


「これから始まる……主人の……神話、そのプロローグには……貴公の勇姿が……刻まれる」


「……うるせぇな」


 俺は動く右腕を使い壁を這うようにしながら少しずつ片足で立ち上がっていく。

 結局、あれだけ避け続けたのに痛くて苦しくて辛い状況にある。


「……いく……ぜ」


 それでも震える声で俺は壁に背中を預けネズミに神器を向けた。呼吸は短く荒い。頭がガンガンと痛み、視界は常に大きく揺れ続けている。


「なぜ……そこまで……出来る」


 ネズミの背後で男が目を見張り俺を見ていた。閉じられていた目がハッキリと開いている。


「……」


 簡単な理由だったけれど、言葉に出すのを俺は躊躇った。

 こんな状況になってもまだ恥ずかしさと言うのは残っているらしい。


「あの悪魔共は……貴公にとってなんなのだ。我々をののしりり迫害し……ネズミと同じ扱いを……貴公も……受けただろう」


(あぁ……受けたよ)


 あの地獄のような日から街は大きく変わった。

 俺たちは突然この街の異端者になり、悪魔と言われ、歩くだけで後ろ指を刺された。親父は職を失い俺たち家族は路頭に迷った。

 それでも同じもの同士で固まり助け合いあの家であの日、教会に捕まるまでひっそりと暮らしていたはずだ。


「何故……同胞を裏切り……そちら側について……そこまで立ち向かう」


 そちら側について……か。


「何言ってっか、わかんねぇなぁ」


 ため息を吐く。

 俺は多分、今でも教会の側へ完全にはついていない。


(ついてたら、きっとここに一人では来ていない)


 また悪魔だと罵られるかもと怯え、異端者側だと隠したままここに来て、結局それのせいで救援は無い。自業自得だ。


「なぜ……そこまで……出来る」


 男の目を見張った表情が頭を過ぎる。

 俺は床に向かって簡単だ、と小さく呟き、顔を上げて男を睨み大声で叫んだ。


「好きな子守って何が悪い!!」


 親にいらないと言われたこのちっぽけな命で誰かを、もしあの子アマツカを守れるかもしれないのなら。神様下水の主人……俺は最後まであんたに立ち向かうよ。


「チュチュ」


 壁から背中を外し前へ倒れるようにネズミに斬りかかる。

 この一撃。


(賭けだ)


 ネズミは体を起こし、二本足で立って爪を振りかぶる。

 知らないのか。拳の振り下ろしは密着した状態だと威力を失う。


(だからこそ……刺せる)


 俺の背中から腹にかけて爪が刺さる。そのままネズミが爪を抜く勢いに任せて空中へ振り上げられた。


(頼む……!)


 宙に浮くその瞬間、ネズミの腹に刺さった神器を足先で蹴ってさらに奥へと突き刺す。

 あの日見た傷跡。どんな傷でも一瞬で治せる回復力を持った神様に治せない傷なんてあるはずがないのに。

 神様になる前のネズミの死因になった傷跡だろう。腹を裂かれ臓物を引きずり私たちの元へと這ってきた、と男は言っていた裂かれた腹の傷跡。


「チュ」


 ネズミは小さく鳴いて天井を見上げたまま動きを止めた。

 一瞬、初めて襲われたあの日に見た毛の薄い腹の方にあった一文字の傷跡に神器が刺さっているのが見えた。足先から伝わったゴリッと何かを貫いた初めての感触を思い出しながら俺は床を何度か跳ねて、最後は少し滑りながら止まった。


(どうだ……?)


 血で歪んだ視界の先、ゆっくりと鼻先から灰のようになって崩れながら消えていく神様が見える。


「あああああああ!!!」


 男が叫びながらネズミに駆け寄り縋り付く。


「またっ!先の見えない暗闇に……私たちを……置いていくと言うのですか!主人!主人!」


 男が掴んでいた毛が灰のように崩れていく。男は呆然と手のひらの上で消えていくそれを最後の一粒になるまで眺めていた。


「……悪いことした気分だ」


 俺はそれを床へ倒れ伏したまま薄目を開けて見ていた。

 床へ残ったネズミの核を拾いこちらに背を向け「あぁ……」と嘆いてそのまま男は項垂れて動かなくなってしまった。

 信じた対象が消える瞬間を目の当たりにしたせいで心が壊れたのかもしれない。


「後は、あんたが導けよ」


 もう体は動かせない。

 胸と太ももからの出血は止まっていない。じきに意識を失うだろう。

 もうだいぶ、意識が朦朧もうろうとしている。


「私に……主人のような……光は……ない」


 丸く小さくなった震える背中から声が聞こえた。


「でも、暗闇の中で手を引いてくれる存在ってだけでありがたいだろ」


 少なくとも俺は……そうだと思う。


「そうか……ありがとう。そして……我々の……敗北だな」


 男はネズミをその腕で大事そうに抱えて俺の目の前に立つ。


「我々は……ここから……撤収する」


「そう、かよ」


 もうすぐまぶたが降りそうだ。


「約束する……勇猛な……貴公は……愛の為に……散ると……私の記憶に留めておく」


 男はそう言いながら薄く目を開けたまま俺を見下ろし懐から拳銃を取り出す。警察が使うような拳銃では無く、セミオートの四角く黒い拳銃。日本ではあり得ない物だ。


「せめてもの……はなむけ……さらばだ……また……地獄で」


 頬に涙を伝わせながら男はその引き金に手をかける。

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