何が悪い! 1

「では……お願いいたします」


 男がネズミに深く頭を下げながら開戦の合図を告げる。

 その瞬間、ネズミが口を大きく開いて飛びかかってくる。

 ネズミの鋭い二つの前歯が俺を狙う。それを俺は一歩後ろへ飛んで躱す。

 埃を舞いあげながら目の前に降りてきたネズミと目があった。血走ったような赤い目をしている。


「まずは……頭!」


 神器を突き出し頭部を狙う。

 不意打ちだったはずだがネズミは咄嗟に体を縮こめ頭部を僅かに逸らしていた。

 頭のど真ん中、から僅かにそれた剣先は硬い毛と分厚い皮を切り裂く。手には確かに肉を裂いた感情がある。


「もう一発!」


「あぁ!」と男性の悲痛な叫び声が聞こえてくる。

 赤い一文字の切れこみがネズミの頭部に出来たものの、続けざまに放ったニ撃目が当たる前に後ろへ大きく飛び引かれた。


(……ちゃんと効いてる)


 これまで何度かかネズミと対面し、今回初めて確かな手応えがあった。


「でも……」


 ネズミの口元に昨日刺さったはずの矢、その傷跡が見当たらない。

 外部からの治療、それこそアマツカが貼ったような神符の類い……だろうか。


(……それだと良いけど)


 飛びかかってきたネズミが鎌のような爪を振り下ろしてくる。

 体を反らして躱し……


「なっ!?」


 一瞬、視界の端で男がスマホでどこかへ連絡をいれているのが見えた。


(……しまった!)


 キドウさん達が来る前にここへ増援を呼ばれると……詰みだ。

 俺は薙ぎ払うように真横へ振るわれた爪を屈んで避け、男の方へ走り出す。ネズミは勢いに任せて攻撃をする為、攻撃のたびに大きく体勢が崩れている。

 その隙に……


(殺す……いや、動けなくする)


 そのためにはどうすればいい。首元をトンで気絶させれるほどの技量はない。


「え」


 気付けば俺はコンクリートの床を跳ねていて、体が勢いよく部屋の壁にぶつかり止まる。


「尻尾か」


 肋骨が折れているかもしれない、と俺は脇腹を手で抑えた。そこに鈍い痛みがある。全身も激しく打った為、体のあちこちが痛む。


「安心……しろ。貴君の始末は……主人の手によって行われることに……意味がある」


「だったら、もう少し早く教えてくれ」


 ぼやきながら俺は埃を払い立ち上がる。

 ネズミの頭が真っ直ぐこちらへ迫ってきていた。

 それを横へ飛んで躱す。そのまま壁にぶつかればチャンス。着地して走り出せるように構え、その時を待つ。


「なっ」


 ネズミは壁にぶつかるスンの所で急に向きを変えて爪で俺を切り裂いた。

 俺の肩から胸にかけ赤い三本線が入る。ジクジクとその線は焼けるように痛み、血がコンクリートへ流れ出ていく。


「やばい」


 傷を手で抑え、見る。手のひらが赤く濡れている。次第に呼吸が浅くなってくる。

 血が迫ってくる死を俺に実感させて……震えた。


「まずいな」


 だが、もうここまで来て逃げられない。


(次に……キドウさんに……託すんだろ)


 頭へ振り下ろされる爪を咄嗟に神器で受け止めた。


「グッ……」


 怯んだせいで若干腰がひけていた。そもそもネズミと俺とではパワーが違う。

 潰される。そんな直感に任せて、俺はネズミの方へ転がる。


「チュ」


 その瞬間、薄い桃色の尻尾が風を切りながら顔へ迫り……


「あっぶねぇ!!」


「ああああああ!!!」


 ネズミの尻尾が宙を舞った。

 咄嗟に神器を振り上げたのが功を奏したようだ。

 ドサッと土袋でも置いたような音と共に尻尾が地面に落ちる。すぐにその尻尾は灰のようになって消えていった。


「これでおあいこ……か?」


 胸の傷を見る。切り裂かれた服が袖以外ほぼ全て赤く染まっていた。

 神器を握る手が震えている。


(怖い……)


 ネズミのギロチンのような前歯が俺の頭を落とそうと迫ってくる。


(早く……決めなきゃ)


 頭を貫く為、突き出す神器。

 ネズミの攻撃は俺の太ももの肉を抉り取る。気を失いそうなほどの激痛が全身を襲ったものの……


「刺したぞ」


 真っ直ぐ突いた剣先が骨を割り、刺さる。頭のど真ん中。


(……ダメだ)


 鼻で弾き飛ばされ後ろへ大きく転がる。

 頭にそれっぽい感触は無かった。


(傷は……)


 抑えた右手は太ももの半分くらいから膝小僧の上までズボンごと無い。

 白い骨か繊維か何かが肉の隙間から見えていた。

 とりあえずコートのベルトを外し太ももの付け根に巻き付け締め上げる。元々つけていたランタンは無事だったのでベルトを通す穴の方へかけておく。足は動きずらくなったけれど、これで少しの間は大丈夫だろう。


(次だ……)


 俺はゆらゆらと船の上のように立ち上がり神器を構える。

 あいつの核は恐らく、男性が語っていたネズミの死体。だから二十センチほどだろうか。二メートル以上の体から、それを見つける……至難の業だ。

 こうなれば……ネズミの武器、その手足全てを切り取り、手当たり次第に刺していく方が早いんじゃないか。


(やるしか……生き残る道はない)


 頭に振るわれる爪を反らして躱し、足を踏み込み神器を……


「は!?」


 俺はネズミの後ろから伸びる鞭のようにしなやかなものに打たれて壁に叩きつけられる。


「……何が……あった」


 俺はコンクリートの床に倒れたまま顔だけ上げる。それだけはないだろ、と祈りながら。


「……あぁ、畜生」


 タンッタンと地面を叩くそれは間違いなく先ほど切り落としたはずの尻尾だった。

 ネズミの全身を改めてしっかりと見て乾いた笑いが出る。

 昨日の傷も、ついさっき斬り付けた頭の傷も、切り落としたはずの尻尾も全て、無い。


「全部治ったっていうのかよ! この短時間で!」


 食いしばった歯がギリリと音を立てる。クッソ、と硬い床を叩き指の付け根の骨に鈍い痛みが走った。


(何か……何か……)


 呼吸は荒く、カタカタと鳴る歯のぶつかる音がやけにうるさい。俺は頬を滑る汗を手の甲で拭いながら、次の手を考える。


「まだ生きてたいんだ」


 壁に手をつき立ち上がると視界が不安定に揺れていた。眩暈、しかも貧血による眩暈だ。

 胸の方を見るとまだ出血を続けている。これだけ激しく動けば止まる血も止まらないだろう。

 太ももの方ももう少しすれば緩めないといけない。その時にもまた血を失うはずだ。


「チュッチュ」


 ネズミは余裕そうに鳴いて俺を部屋の隅へと追いやっていく。


「万事休すって感じだな」


 俺はため息をついて神器を外し床へ置く。

 それから両手を上げた。ネズミが目の前で止まる。


「あんたの計画なら、殺すのは俺じゃない別の異端審問官でも良いんじゃないか」


「……」


「一人だけ、呼び出す。幸い、俺は教会内でまだ悪魔だとバレてないから出来るはずだ」


「……」


「俺はまだ生きてたいからな」


 ハハハ、と俺の声が部屋に響いていく。

 我ながらなんともまぁ情けない笑い声だ。


「地上が下水に浸された時……貴君は裏切り者として教会に焼かれる……いいのか」


「ここは安全だろ。地上でやりたい事はない。さっきまでは職業倫理に従ってたけど……命まではかけられない」


「ここは……安全か……別の方法がある。いいだろう……だが今、すぐにだ……時間がない」


 俺は頷き座る。

 スマホを取り出して……


(あっダメそうだな)


 複数の通話をかけようとした通知とキドウさんからのメッセージ。


『大丈夫か! どこにいるんや!』


(そもそも、本当に知らないんだな)


 教会はこの地下道の存在を知っていて、でも捜査に踏み切るほどの情報がないものとばかり思っていたけれど、どうやら本当にここの存在を知らないらしい。いや、もしかするとキドウさん以外のチームは知っているかもしれない。でも……もう無駄だ。

 助けは、来ない。


「送ったよ」


 スマホの電源を消し男へ床を滑らせて送る。

 太もものベルトを軽く緩めて傷口を見る。剥き出しの肉に水滴のような血が再び浮かんできた。まだ血は止まっていないらしい。


「……ダメか」


「電源を消して……」


 再びベルトを締め上げるとスマホが戻ってくる。

 そのタイミングでお互い、目が合う。


「やってしまってください!!我が主人様!!」


 何かを察し男が叫ぶ。

 と、同時に俺は神器を引っ掴み、ネズミの足の腱を切り裂いた。

 バランスが崩れ前方へ倒れ込むネズミ。その傷もすぐに治るだろう。

 けれど、だいぶ心拍数は落ち着いた。


「爪の切れ味、ちょっと悪いんじゃないか」


 立ち上がり、俺は自分の胸を指差す。

 血で染まった服、その下に赤い三本の線が浮かぶ。

 だけど胸の出血は止まっていた。


「貴様は……真の……悪魔だな」


 男は苦々しい顔つきで吐き捨てるように呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る