下水の灯火 6
人影の方へと近づくと周りの人々はドラム缶の焚き火に向かって手を合わせているのが見えた。目を瞑り、ただ祈りを捧げている。服装も河川敷の下にいるホームレスと違い、灰色の布で体を覆い、僧侶のような格好をしていた。
(……何かいる)
祈りを捧げる人々の足元をよく見るとドラム缶を見上げるネズミたちが何匹かいた。火を避けるはずのネズミが見つめる先には何か黒く焼けた物があった。焼けた肉の匂いと剥がれ落ちそうになっている皮、そこから垂れる長い毛。体の形から猫ではないかと予想がつく。見ると周りや焚き火の中にも骨のような物が転がっている。
(食べる……いや、儀式的な何かかも)
ふと目に入った焚き火に照らされた地下道の壁。そこには大きくネズミの絵が描かれていた。体を上げて手を広げる爪の長いネズミ。その足元には泥水のような濁った色の何かがあって、そこを小さなネズミ達が走り回っている。
「宗教画か」
カルト的だ。
「あんた……同胞……だろう」
突然、近くからしわがれた声が聞こえてくる。
見ると祈っていた一人が俺の方を見ている……いや、正確に言えば目を閉じたままなので見てはいない。こちらの方へ顔を向けていた。
「同胞?」
「地上を……恐れているだろう」
少しドキリとして言葉に詰まった。
「どうかな」
嫌になる時はたまにあるけど、と襟足の所を手で掻いた。
目を瞑り軽く思い出す。
(……薄れてる)
深く探らないと嫌な記憶が出てこない、と気づく。たまに何かに引っ張られるようにして嫌な記憶が顔を覗かせる時があるけれど今日は特にないようだ。
「悪魔を……知ってるかい」
「悪魔?」
俺は紫色の肌にニヤリとした顔、矢尻のような尻尾と蝙蝠のような羽のついた人物を想像する。
「教会の言う悪魔は人と全く同じ形をしていて、人と全く同じ言葉を喋り、人を悪魔側へと唆す存在……だ、そうだ」
教会として正しい言動をとっているかどうかで人か悪魔かが変わるらしい。実に都合がいい話だと思う。
「私たちは……悪魔……らしい」
「……昔はよく言われましたよ」
「十年前までここは教会の脱出用の道……だった……今の教会は新しいのを掘ったようだがね」
教会の脱出用の道の話は知っていたが俺は答えない。
このまま喋らせて何か決定的な事を聞き出したかった。特にネズミの今いる場所だ。
「私たちは彼らにとって悪魔……だからこそ……ここは知らないんじゃないか。異教徒は嘘つきで人間ではなく悪魔だから……ここを知っていた同胞達は……何も聞かれずに下水へ灰となって流されたのさ」
「気の毒だな」
「同情してくれるのか……同胞」
「同情はしない。が、誰かが亡くなったんだ。慰めの言葉くらいは礼儀だと思ってる」
それに多分、その亡くなった人を俺は知っているはずだ。旧教会の関係者なら大体分かる。
だから、この話している人も名前か、ちゃんとした姿を見れば分かるはずだ。今はこう言う形で再会になってしまったけど。
「だが幸い、新しい……希望が私たちには……ある」
「それがネズミの神様か」
「あぁ……そうだ。あの方は私たちの希望。下水の灯火。導きの光だ」
下水の灯火。導きの光、か。凶暴なだけのネズミをよくそこまで
「腹を裂かれ臓物を引きずり私たちの元へと這ってきたあのお方は神となり私たちの元へと戻ってきたのだ」
それまで淡々と一切表情を変えなかった人がニヤリと口元を不気味に歪めた。
「地上の全てを下水に沈めるため」
俺は壁に描かれた絵を見る。足元の濁った色のものは下水らしい。病気になって終わりだろう。狂人の妄言だ。
「地上が荒れて、それで終わりだろう。あんたらもタダじゃ済まないだろうし」
結局なんだかんだ言って、ここの信者達もこの街のインフラに頼っての生活だ。それに本気で教会が取り締まれば、ここもすぐに閉鎖に追い込まれるだろう。
「地上が下水で満ちた時、誰が教会を信じる」
「……信じ続ける人だっているだろ」
と、答えたものの数日前「他でも起こるかもってパニックになった人が騒ぎ立ててるんよ」とキドウさんが言っていた事を思い出す。さらに事態がこのまま悪化すれば、教会の権威は落ちていくだろう。
「その隙に私たちが地上へと出る。事実……今回の祭りで地上に沢山の同胞がいただろう?」
誰だ。元からあそこにいるホームレスのことじゃない。今回の祭りと言っていた。あの襲撃で地上に出た……同胞。
「日雇いの労働者として、工事現場の人たちか」
地上が荒れれば荒れるほどに、非正規雇用の人たちの価値は上がる。
逆に飲食店なんかのサービス業は厳しくなっていくだろう。多くの職業が被害を被る。
きっとあのパン屋にも……
「なるほどね」
だから下水の灯火。圧倒的な暴力による教会の支配への改革、いや革命か。
(それを黒服も望んでいた)
治安の悪化によって暴力の価値も上がるからか。
悪い事もしやすくなるのだろう。
「やがて、地上から水が引いた後に残ったネズミと下水に新しく住み着いたネズミになんの違いがある」
俺は「さぁね、そうならない事には分からない」と答えたものの胸糞悪い話だな、と内心毒突いた。
そんな事をさせるわけが無い。
「ついてきなさい」
「……どこに」
「会いたいのだろう。下水の主人に」
俺は思わず「えっ」と声に出ていた。
慌てて咳払いをして誤魔化す。
(ネズミはここに……いる)
俺は先を行く人の後ろをついていきながらスマホを触る。
(どうする……本当に……キドウさんへ連絡するか?)
ここの事を知っているという事は、俺は教会の裏切り者という事になる。最悪罠と判断されるかもしれない。時間もタイミングも場所も全て罠っぽい。
「やめておきなさい。同胞」
スマホから顔を上げる。前を行く人は俺の方を見てもいない。先ほどから顔を動かした気配もなかった。
「迷って……いるのでしょう」
「……なんでもお見通しか」
「一つ。何故……ここだと気が付いたのでしょうか。ここを知っていても……中々近づきたい場所ではない……でしょう。現に……あなたは一人だ」
「まぁ確かに。調べる価値が低いなら、わざわざ行きたくない場所ですね」
前を行く人は「えぇ」と頷く。
俺も突かれた時のあの匂いだけでは多分、ここにくる事はなかった。隠れているのか、通り道なだけなのか、偶然か。
「下水の匂いから、煙で燻したような匂いに変わったという話を聞いた時に何となくですが気が付きました」
俺は横で常に匂いを放ち続ける下水の方を眺めた。
「下水の匂い……あぁ……あの時……そうでしたか……知った人がいたとは」
「それに畑焼きをやっているような田舎を転々とし行方をくらましているのならば、煙の匂いはおかしい」
煙は外だと目立つから、隠れているのに目立つ行動をする。矛盾していた。
だから考えるべきは反対の事、どうして煙の匂いに変わったのか。この場所の痕跡を残さない為の煙の匂い。この下水の匂いを嗅がれたらまずいという事だろう。
「まぁでも畑焼きのような煙の匂い、としかまだ情報がないならここの捜索まで踏み切れない教会も仕方ない事だけど」
「貴方には初めからここの匂いという情報があった」
俺は頷く。
前を歩いていた人が立ち止まり振り返る。
「悪い事は言わない。こっち側へ……着きなさい」
そう言って俺の肩を叩いた。
(……期待してるぞ、か)
叩かれた肩、笑うキドウさんをふと、思い出す。
「悪いね」
俺はフッと小さく笑った。
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