下水の灯火 4

 その後、俺は寮へと戻り仕事用のコートに着替える。それから中央の建物へと向かい備品の貸し出しの許可書を発行してもらった。


(多分、上手くいけば後数時間後にはネズミの事件に決着がつく……はず)


「これからお仕事?」


 備品の置いてある場所へと案内してくれていた女性が俺の方へと振り向き話しかけた。


「そうです」


「偉いねーまだ若いのに」


 首を横に振り「いえ」と仕事用の淡々とした口調で返す。

 女性は備品の置いてある部屋の鍵を開けながら「謙遜しちゃダメよ。ドーンと胸を張れる仕事なんだからね」と笑った。


「そう……なんですかね」


「そうよーみんなの為に命懸けで神様に挑む。凄い事なんだから」


 こう真っ直ぐ誉められる事に慣れてない俺は「ありがとうございます」と呟くように応えて、目についた懐中電灯を手に取り誤魔化す。


「これから神様の捜索でしょ? そっちより、こっちのランタンの方がベルトに掛けられるし広い範囲を照らせるから良いと思うけど」


 女性はそう言いながら段ボールの中からランタンを取り出した。

 確かに、その通りだ。


「ありがとうございます。そっちにします」


 懐中電灯を元に戻し、そのランタンを受け取りコートのベルトに取り付ける。


「いえいえ、君と違って戦わない分、しっかりと働かないと」


「……それは神様が見てるからですか?」


 え?と女性に不思議な顔をされた。


「いやー神様は関係ないかな?もちろん全くないってわけじゃ無いとは思うけど、普通に仕事としてって感じかな」


「そうなんですね。すいません。変なこと聞いて」


 頭を下げた。

 神様は関係ないらしい。キドウさんも朝、そんな事を言っていた。


(そう……なんだ)


 なんというか、意外だった。

 それから借りた備品を紙に記入し女性に渡して部屋を出た。書類の受理はあちらで勝手にしてくれるらしい。

 俺は神器の受け取りまでの時間をどうしようかと考えながら部屋へ向かう。その途中キドウさんを見かけた。誰かと話しているようだ。チームの人たちだろうか、と少し進むと俺の知らない女性二人と話していた。


(……あの人)


 少し前に見た桜色の長い髪の女性だ。前見た時と違い何故か今日はメイドのコスプレ姿にポニーテールをしている。しかも丈の長い黒のドレスにフリルのついた白いエプロンのオールドタイプなメイド服がやけにしっくりきているように見えた。普段から着ている……訳はないか。


(その隣の人もカッコいい人だな)


 短い黒髪に凛々しい目元、中性的な顔立ち、スラッとした立ち姿にスーツ姿がよく似合っている。主人とその従者と言われても違和感のない組み合わせだ。もしかしたらあの日、隣にいた人だったりするのだろうか。


「はい。いやいや、そんな事ないですよ。お嬢」


 近づくと珍しく標準語を使うキドウさんの声が聞こえてきた。お嬢と言っていたし、偉い方、それこそ教会の上層部の方とかだろうか。


「あっ! カネイト君、ちょうどいい所に来たな」


 横を通り過ぎて行こうとした俺は突然キドウさんに呼び止められた。なんだろう。ちょうどいい所って。嫌な予感しかしないが。


「お嬢、シイさん。紹介します。彼が最近俺の部隊に入った新入りのカネイト君です」


 俺は「初めましてカネイトジャックと言います」と頭を下げる。


「へー! ジャック君ね、よろしくー! 私は空近使遺ソラチカシイ。敬語とか苦手だからシイって気軽に呼んでねー」


 シイさんは笑いながら明るい調子で言った。

 天真爛漫という言葉がよく似合う人だな、と思った。眩しいオーラを感じ俺は目を細める。


「シイさんはうちの隊長の従者件異端審問官として働いてる人や」


「じゃあシイさんは本当にメイドなんですね」


 生きていて本物のメイドを見る日が来るとは思わなかった。


「あっいや、これは全然コスプレやな」


「従者に決められた制服はないからねー」


 シイさんは満面の笑みで俺の感心ごと笑い飛ばした。


「それでこちらにいらっしゃるのが我らが隊長。神前隊長、第十席 優刻敬ユウコクケイ


「よろしくお願いします」と頭を下げる。第十席のチームを率いる隊長。俺が社員とするならキドウさんが部長。ユウコクさんが社長、シイさんがその秘書になるのだろう。


(……ユウコクさん)


 アマツカの言っていたお母様の息子さんだ。


「よろしくジャック君」


 と、手を差し出される。

 ユウコクさんの声は少し低めの声をしていた。


「女性の方……だったんですね」


 俺は握手をしながらそう言った。

 手もほっそりとして骨張っているけれど男性の手より少し柔らかい。


「あぁ、そこのメイドのコスプレと違って私はこれが家で決められた正装でね」


 よく男性と間違われる、と目を細めて微笑む姿は優しそうな笑顔だった。色々とユウコクさんも家で苦労があるらしい。


「一応私も従者らしい格好をしろと家で言われてます!」


「それ、最近も言われてるだろ」


「はいっ! 昨日も言われましたー!」


 シイさんはいやーよく分かりましたね!と言ってくすぐったそうに笑っている。


「それ、その格好やめろっちゅう事や!」


 キドウさんは手を叩き大声で笑って、ユウコクさんは呆れたような表情をしていた。多分、俺も同じ表情だ。


「えー! 酷いと思わない? ジャック君!」


 突然の事で俺は思わず「俺ですか?」とシイさんへ聞き直す。うん、と頷かれたのでしばらく出るはずのない答えを探した後……


「……はい。酷いですね」


「適当やん!」


 そんなキドウさんのツッコみにユウコクさんが少し笑っていた。

 適当ではない。頑張って考えた結果の思考放棄だ。


「ありがとー! 優しいねー!」


 イェーイとシイさんが手を上げてハイタッチを求めてきた。

 俺は「どうも」と返しつつ少し近づく。ふわり、とシイさんから桜みたいな甘い匂いがした。


「イェイ!」


 香水でもしているのだろう、と考えているとシイさんが手をフルスイングしてパンッと小気味の良い音がなった。


「良かったなキドウ君。優秀そうな子じゃないか」


「えぇ、期待してます」


 キドウさんは「期待してるぞ」と俺の肩を叩く。


「はい。頑張ります」


 俺はそれにしっかりと頷いた。

 それから二人のネズミの捜索状況の報告や被害の報告を俺は間で聞く。

 どうやら煙で燻したような匂い、という情報から近くの山の方まで捜索範囲を広げているそうだが、今のところ有力な情報は出ていないらしい。


「また今日も徹夜かい。キドウ君」


「えぇまぁ。いい休憩になりました。それに徹夜はお嬢もでしょ」


「まぁね。お互い鬱陶しいネズミがいて中々ぐっすり眠れる日が無いな」


 ユウコクさんはわざとらしく肩をすくめた。

 キドウさんはそれに「えぇほんとに」と頷く。


「私も今日こそはお手伝いします!」


 シイさんが勢いよく手を上げた。


「指示通りシィは寝てるんだ。いざという時、寝不足で判断を誤ったらどうする」


 そう言われ不服そうにほっぺを膨らませながらシイさんは「はい」と頷いた。従者たる者、主人の命令は絶対らしい。

 それからしばらく皆さんと話をして自然と解散の流れとなった。俺は皆さんと別れた後、風呂に入り早めの食事を取って教会へと戻ってきた。時間は八時少し前、出来上がってすぐに向かうつもりだった。


「あの」


 俺は工房の中を覗く。相変わらず神打ち爺は煌々と燃える炉の横で金槌を振るっていて、金属を叩く音が工房内に響いている。


「……」


 神打ち爺がゆっくりと何も言わずに動き出し、顔を工房の中の棚に向けた。

 そこには小さな白い布のような物が置かれている。あれが神器なのだろう。


「失礼します」


 焼けるような熱波を浴びながら工房内を進み神器を手に取った。

 てるてる坊主の頭の所が両刃の剣に変わったナイフだ。てるてる坊主の中で握り込む為の持ち手がある。手を包むように広がる周りの布は神性体の時のような滑らかな材質で光沢があり分厚いのでそこそこ防御力はありそうだ。


「軽い」


 振って見てもほとんど素手と変わらない位の軽さ。ただしその分リーチが無い。手刀の指がナイフに変わった程度の長さだ。


「よろしく…… 天照刃アマテラスラッシュ


 エレベーターの中で握った神器を見ながら呟いてみた。

 相棒の名前がダサい気がしてきたが気のせいだろう。


 それからしばらく教会から歩いて辿り着いたのは旧教会跡地。崩れた壁に焼け跡が残ったまま放置されている。昔のこじんまりとした小さな教会の姿はもう無い。この時間の暗さも相まってお化けでも出そうな不気味な雰囲気があった。


(ここにはもう誰も近づけない)


 この教会にいるという事はこの町の異端者になり敵と見做される。この街という大きな括りで見れば信仰の自由は確かにある。だけど小さなコミュニティになればなるほど信仰の自由は無くなっていく。


(学校とか職場とか)


 ランタンを照らしながら教会の脇を進んでいく。

 掃除道具入れの横に消火栓用のマンホールと書かれた物があるが、これは嘘だ。

 特定の手順を踏めばさらに奥の扉が開く。中にある金属の棒を立てて穴へ差し込み回すと石臼を引くような音を出しながらゆっくりと下への梯子が現れた。


「……行くか」


 俺はランタンを腰に付けてゆっくりと地下へ続く梯子を降りていく。

 そういえば一人でここの梯子を降りるのは初めてだ。


(昔は母親に抱えられながら降りたから)


 底の見えない暗がりから雫が水面に落ちた時の音が響いて聞こえてくる。


(多分、ここにあのネズミがいる)

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