下水の灯火 3
その途端、肌を焼くような熱波に襲われる。呼吸をするのも難しいほどの熱波だ。俺は目を細めながら部屋を見る。
そこは想像以上に思った通りの工房だった。石のタイルに薄暗い室内。その部屋の中に赤い光を放つ小さな黒い炉のようなものがあり、そこから熱波は放たれているらしい。
神打ち爺は部屋の扉からでも怯むほどの熱気を放つその炉の真横に座っていた。その額に汗らしきものは見えない。ただひたすらに金床の上にある赤く焼けた何かに金槌を振り下ろしていた。金槌を持つ右手は筋骨隆々なのに対し焼けたものを抑える道具を持つ左手は枯れ枝のように細い。日に焼けたような茶色の体も全体的に細身小柄で、そのアンバランスな右腕が際立っている。
「あのー?」
俺が声をかけてもただひたすらに神打ち爺は金を打ち続け、その音だけが部屋中に響いている。本当にキドウさんの言う通り一生、金槌を振るだけなのだろうか。
「……よこせ」
突然、金槌が振り上げられたまま止まり、しわがれた声が聞こえた。灰色の長い髭を顔中に纏った神打ち爺がこちらをゆっくりと向き、細い左手で握ったトングのような道具をこちらへ伸ばす。
「普通に取りにこいや爺さん。まだ動けるやろ」
キドウさんの乱暴な言い方に神打ち爺は眉一つ、どころか一切の反応を示さない。不気味だ、と俺は眉を顰めた。
「この部屋、暑いから入るの嫌やねん」
と、文句を言いながらその道具の先にてるてる坊主を伸ばし掴ませる。神打ち爺はゆっくりとてるてる坊主を掴んで定位置へと戻っていった。
「あぁ、神よ」
その声はどこか先ほどより悲しげに聞こえた。見ると神打ち爺の左手が小さく震えている。
「なんと御いたわしいお姿か。その歪んだ
ブツブツと一人で呪文のような言葉を並べて、てるてる坊主を炉に焚べる。神性体の核になったとはいえ元は紙で作られたてるてる坊主だ。焼けておしまい、かと思いきや、その炉がさらに赤くなり、火の粉が部屋に舞い上がった。
「え?」
俺はどうしてそうなったのか分からず炉を凝視する。特別な炉には見えないが、やはり核というのは何か普通の物体と違うものなのだろう。そもそも神性体も物理法則を無視する傾向があるし、俺の常識で測れるものじゃないようだ。
「すごー!」
隣でアマツカが興奮したような声を上げる。見ると目を輝かせながら炉を見つめていた。
(……出てくる)
炉から引き抜かれたてるてる坊主は白く眩しい光を放っていた。パチパチと赤い火の粉を時々放ちながら、今も燃え続けているかのような様子をしている。太陽を宇宙空間くらい間近で見てみるとこうなっているのかもしれない。
「あぁ神よ。神よ。神よ!」
神打ち爺は呟き、右手の金槌を振り下ろす。高い金属の音が部屋中へと響いて火花が散った。あれが神性体の核。小学生たちが作ったものとは思えない音が鳴っていた。
(……祈りの時間だ)
神打ち爺はただひたすらに右手を動かし続け「神よ、神よ」と言葉を重ねていく。その表情は真剣そのもので、迂闊に近づく事も声をかける事も憚られた。
「ほな。まだこれから数時間はかかるし戻るで。受け取りは八時とかになるとちゃうかな」
「はーい」
心の琴線に触れた絵画を眺めるように、その技術に見惚れてしまう。
しばらくして「先輩ー!」と背後から声をかけられ、ハッとして俺は遅れて二人を追いかける。もうすでに二人はエレベーターの所に立っていた。
「すいません!」
「気にせんでええで、男児たるものああいうのに心惹かれるのは道理やからな」
俺は「えぇ、そうですね」と頷く。
「さらに二つ名とかついてたら最高やん?」
「最高ですね!」
俺たちはサムズアップし互いに共鳴して笑いだす。
「キドウさんのその槍には名前つけてるんですか?」
キドウさんは「これか?」と背負った槍を叩いた。
「これは
「
「ちゃうわ! ホンマの話や」
ツッコむキドウさんを小さく笑いながら見ていたアマツカが「じゃあ先輩のてるてる坊主はなんて名前にするんですか?」とこちらを見上げ聞いた。
俺は腕を組んで首を捻って考える。てるてる坊主、晴れるように祈られた神様。そして武器……しばらく顰めっ面で唸っていたらちょうど良い名前を閃いた。
「
アマツカが吹き出し口を大きく開けて笑いだす。
「てるてる坊主が大きく出たなー」
キドウさんからは呆れたようにそう言われた。
「おかしい。さっきまで同じテンションだったはずなのに」
アマツカはまだ面白いようで「アマッ……アマテラッ……スラッシュ」と繰り返しながら笑っている。
ちょうど一階へと着いたエレベーターを降りながら「俺は
「ほな、ここで解散かな。俺は一旦寮へ戻った後、また捜索に出るけどカネイト君は昨日の傷もあるしゆっくりしてて。明日は学校終わっていけそうならまたチームで探しにいくからさ」
俺は「はい」と頷く。
「じゃあアマツカちゃんもまたー」
手を振りながら離れていくキドウさんを俺たちは見送った。
「アマツカはどうする? 夜まで意外と時間あるけど」
自分のスマホを見るとまだ夕方の頃、ここから寮へと向かうとなると結構掛かる。どこかで時間を潰すにしても俺は一度寮へと戻り制服から着替えておきたい、という説明をアマツカへする。
「んーじゃあちょっとお家に帰って軽く寝ます。また夜に集まる感じでいいですよね?」
「そうだね。迎えにいくからマンションの所に着いた時に連絡する」
「はーい」
そう言った後アマツカはフワッと小さくあくびをした。
昨日はアマツカも質問責めに巻き込まれていたし、ご両親の車を待って家に戻った頃には1時過ぎ。おそらく寝不足だろう。
「集まるの遅い時間にしようか。昨日遅かったし眠いでしょ」
「あーはい。でも先輩は大丈夫なんですか?寮の門限とか」
「大丈夫。俺はアマツカを送り届けた後、適当な所で寝るから」
アマツカの表情がうっすらと曇っていく。俺は慌てて「ほら、年齢聞かずに入れる店知ってるし」と言うつもりで口を開いた時だ。
「……じゃあ久々に私の部屋で寝ます?」
アマツカの発言に俺は「は?」と思わず声に出し目を丸くする。
「良いですよ。別に」
「まぁ……そうしようかな」
アマツカは「やったー!」と子供っぽく喜び跳び上がった
「じゃあお母さんに連絡しときますね」
そう言ってアマツカは離れていった。
俺は寮へと向かう帰路の途中、夕暮れの空を見上げる。そういえば初めてネズミに襲われた日もこんな赤い空だった。まだ車の揺れる感じを覚えている。
「色々、終わったらね」
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