下水の灯火 1

 朝、いつも通り食堂へ向かう道中、寮の空気が昨日よりも少し変わっていた。どこか空気がピリついている。この時間帯なら武装している人より食堂の所で並び、穏やかな朝食を楽しんでいる人の方が多かったはずだ。今はその数が逆転しているように見える。


「おはよーさん」


 食堂で朝ごはんを食べていると、背後から声をかけられた。


「おはようございます」


 立ち上がって声をかけてきたキドウさんへ頭を下げ挨拶をする。

 見るとキドウさんも他の人達同様、槍を背負いコートを着て武装していた。


「そんな畏まらんでええで、前良い?」


「はい」


 キドウさんが俺の前に座り、俺も改めて席に着く。


「昨日はお疲れちゃん。結局、事情聴取は何時解散になったん?」


「俺が部屋に戻ったのは十二時過ぎでしたね」


 顔を顰めながらキドウさんは「おっそ。違法やろ。そらあかんわ」と言う。


「いえ、十時前には学生だしって解散になったんですけど、そのあと部屋を出たら他のチームの方からの質問が続いて……」


「あーそっか、そりゃご愁傷様やな」


 それからキドウさんは目を逸らし一呼吸を置いて「じゃあもう聞いとるか」と重たそうな口を開いた。


「今回のネズミの一件、第十席で任されてた事件やったんやけど、今日から全ての席の神前隊長とそれに続くチームが投入されることになったわ。第三席以上も数日後、まぁ三日後くらいから本格的に参戦するらしい」


 どこかキドウさんにしては歯切れの悪い言い方に思える。いつもなら「まぁうちが一番早く片付けるから意味ないけどな」くらい言い切り笑っていそうなものだが。


「ちょっと短期間に被害が出過ぎてな。あっもちろんカネイト君は気にせんでええで、昨日生きて帰って来てくれてほんまに良かった。責めるつもりは一切なかったんやけど」


 気を悪くしたらすまん、とキドウさんは勢いよく頭を下げる。

「いえ、責められたとも思って無いです」と首を横に振って答えた。気にしすぎだ。


「そんな状況なのに第三席以上は結構時間かかるんですね」


「あれは軍隊みたいなものやから、適当に動けば街にも被害が出る。周りのサポートなく、動かせんからなー」


「そうなんですね」と頷き、俯く。目を瞑れば脳裏にはドラム缶の周りでフードの下からこちらを不気味に見続け「沈め」と唱える浮浪者達の姿が浮かんでくる。昨日言っていた事からしてアマツカはおそらく今日の夜も動く。第三席の到着と誰かの解決を待っていては遅いのだ。どうやら姉貴に会う事はまだ叶わないらしい。


「今日は夕方に武器の受け取りでしたよね」


「せや、神打ち爺にも一応挨拶しに行くから帰ってきたら言ってな。多分神器はすぐに作ってくれると思うから、そしたら相棒とはじめてのご対面やな」


 そう言ってキドウさんは背負っている槍を強く叩く。金属と金属の打つかる騒がしい音が鳴った。これからの相棒となる神器……か。役立ってくれたら良いが。


「分かりました」


「じゃあ、ゆっくり食べて学校遅れずにな」と、言いつつキドウさんは立ち上がった。


「もう仕事ですか?」


「せやな。元々はうちらが請け負った仕事やし。拭けるケツは自分で拭きたいからな」


 どうやら異端審問官として今回の件に責任を感じているらしい。意外とそういう所はしっかりしているようだ。にしても拭けるケツって、俺まだ朝飯中ですけど。


「神様のためなんかじゃ無い。ここでみんな生きてる。生活してる。それを脅かそうってんなら、俺は全力で止める。それがここへの異端審問官としての恩返しや」


 別に見習えって言うわけじゃ無いで?と言い残し手を振りながら去っていった。カッコつけだ、と思いつつ俺はあんぱんを頬張った。


(神様のためなんかじゃ無い……か)


 そうだとしたら……


「おはよ!」


 学校について自分の席に座ると珍しく隣の席のクラスメイトから挨拶があった。

 耳に付けていたイヤホンを外し「おはよ」と応える。何かあったのだろうか。


「新聞、見たよ。小学生たちが祈って出来た神様、倒したんだってね。弟から学校に来てたって聞いた!」


 隣の席に座ったまま彼女は目を輝かせ身を乗り出すような勢いで話しかけてくる。

 彼女はこの四月からのクラスメイトなので決して付き合いが長いわけではないが、それでもこんなに興奮した様子は初めて見た。


「え?」


 新聞。俺たちの事が載っていたのだろうか。俺は新聞を見ないし他の異端審問官たちはそれどころじゃない雰囲気だったから知らない。


「あの小学校、私の弟がいるし暴れたりする前に倒してくれてほんと良かった。ありがとう!」


「俺も新聞見たよ。カネイトの名前あってマジビビったわ。え? うそ? みたいな」


 それからさらに俺の席の周りに人が集まってくる。話を聞くとどうやら地域の新聞にキドウさんのチームがてるてる坊主を倒した事が載っていたらしい。そこに俺の名前もあったそうだ。


「戦ったんだろ? 大丈夫だったか?」


「怪我とかしてない?」


 怪我、と思い浮かべる。突かれたり打ち上げられたりしたが特にこれといって後に残った傷はない。強いて言うなら両肩に受けた昨日の傷がまだ痛々しい傷跡になって残っているが、もう不自由なく動ける位には回復した。今日の体育も問題ないだろう。人一倍頑丈なのが俺の取り柄だ。


「特に怪我は大丈夫、橋から突き落とされたりはあったけど」


 あれは俺のミスだし、と続けようとした声がクラスメイトからはえぇ!?と悲鳴のような声が上がって掻き消される。


「いやいや」


「それは大丈夫じゃ無いだろ!」


(……まぁ確かに)


 普通に考えたら自分のミスでも川に突かれて落ちるなんて大事件か。


「もしその神様が生きてたら小学校の子たちが襲われてたんだろ」


「え、じゃあもしかしたら子供たちが窓から落とされてたかもしれないって事?」


 そんな何気ない一言にあれだけ騒がしかったクラスメイトたちに静寂が訪れる。顔を青くしたり、互いに顔を見合わせたりする中でゴクリ、と誰かが唾を飲み込んだ。


「怖っ!」


 いつもおちゃらけているクラスメイトがその静寂を切り裂いて叫ぶ。

 固まっていたクラスメイトたちがその言葉を皮切りに息を吐き出し動き出す。


「すごい」


「いや良かった。カネイトがさっさと倒してくれて」


「俺が倒したわけじゃないよ」と首を横に振って訂正する。てるてる坊主の時、俺は先輩たちの足を引っ張っただけだ。そんな奴がその功績を奪うような事までしたくない。正しく評価されるべきだ。

「足を引っ張っただけで何もしてない」と言いかけ……


「そうなんだ」


「でも、戦ったんでしょ。ほんと生きてて良かったよ」


「そうそう。ありがとう!」


 ……ありがとう、か。

 どうやら割とみんな足を引っ張ったかなんて関係ないらしい。そういえばキドウさんも朝、言っていた。


(昨日生きて帰って来てくれてほんまに良かった)


 そうだったんだ、と小さく頷き机に目を落とす。

 俺の中で火に焚べられた薪のように燃えだす何か熱い感情に気がつく。

 それはまだ小さな火だけど、じわじわと確かな熱を持っていて……俺は顔を上げた。


「ありがとう。心配してくれて。頑張るよ」


「おう!」


「マジで危ない仕事だろうし、気をつけてな」


「気をつける!」と俺は笑って答えた。


「今さ、ネズミの神様が超暴れてるだろ?」


「うん。ネズミ退治に今日から百名以上の異端審問官が動き出してる」


「そっかー」


 と、言いつつクラスメイトの顔はどこか暗い。

 不安なのだろう。


「珍しいな。カネイトの周りにこんなに人がいるなんて」


 そこへ、ちょうど今やって来た所らしい前の席の彼が俺たちの方を見ながら言った。


「そうだね」


 こんなにクラスメイトと話せた事は初めだ。


「あー! そういえば見たぞ! 新聞」


「今、みんなでその話をしてるんだよ」


 誰かが彼にそう茶化すように言った。笑い声が教室に響く。今日はその声の中に俺がいる。

 と、そのタイミングでチャイムが鳴って担任がやってきた。

 クラスメイトたちがそれぞれ自分の席へと戻っていく。


(もう少し話したかったな)


 クラスメイトへそう思ったのは初めだった。


「あれ?え、ジャック先輩!? 待ってたんですか!?」


 あれから全ての授業を終えた俺は一年の教室前でアマツカを待った。

 ちょうど教室から出てきたアマツカが俺の方を見ながら目を瞬かせ廊下に声を響かせる。

 同じように出てきたクラスメイトからの視線を集めている。

 俺は少し言うのを躊躇ったものの一呼吸置いてから「夜。川を見に行くんじゃないの」とここに居る理由を伝えた。助けなきゃって思ったら何も考えず走り出す彼女ならきっと……

 黙ったままの俺に少し困惑したような様子だったアマツカの表情がそれを聞いて花開くように明るい笑顔に変わっていく。


「行きます!」

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