地図とバンコク

ガス抜き

地図とバンコク

 地図を利用するのは、初めて行く映画館までのルートを情報誌の小さく簡略化されたもので確認するときぐらい。旅行も親が運転する車移動だったり、修学旅行などの団体でのものばかりで、地図を頼りに知らない土地を一人で歩くことが記憶の限りでは全くなかった。本格的に地図を使う必要が生じたのは、自分一人で旅行をするようになる二十代半ば以降になってからだ。

 最初の個人旅行先はタイだった。バンコクのドンムアン空港に到着するまで、機内で繰り返しガイドブックを開いてはその日の宿泊先までの行き方を何度も確認した。空港を出たら通りを渡った正面の駅から左方向へ向かう列車に乗り、終点のフアランポーン駅から7月22日ロータリー沿いにある、バックパッカー向けとして名の知れたジュライホテルへと向かう。

 そのつもりで空港を出ると、目の前のそこそこの大通りをかなりのスピードを出す車が次から次へと走っており。その先に見える駅にたどりつくための横断歩道は見当たらない。空港二階から駅へと向かう通路はあるようなのだが、一度空港内に戻って通路を探すも、空港二階へ上がる道筋がわからない。機内でガイドブックを開きながら自分は地図を読めると確信していたのだが、空港内の地図がどこにあるのかはわからない。仕方がないので再び空港を出て、次々走り去る自動車のほんのわずかな切れ目を見逃さず、どうにか大通りを渡った。もちろん、初めての海外旅行に備えてかなりの重量となってしまったバックパックを背負ったままだ。

 大通りを渡りきって次の障壁となったのが金網だ。駅の両サイドには線路が敷設されており、道路と線路の間の防御用として、私の身長より高い金網が張り巡らされていた。左右を見渡すと、やはり空港から駅までは二階通路から向かうのが正しいようで、大通りから駅へと向かう出入口は見当たらない。かといって再び大通りを戻って空港へ向かうのも危険すぎる。

 見たところ鉄道はしばらくやってくる気配がないので、意を決して金網をよじのぼり、線路へ飛び降り横切って駅ホームへたどり着くことに成功した。金網に加えてホームによじのぼるのもひと苦労だったが、誰にも注意されることがなかったのは幸運だった。誰も手伝ってくれなかったのは不運だったのかもしれないが。

 しばらくするとフアランポーン駅方面への列車が到着したのでそのまま乗り込んだ。切符は買っていなかったが、途中で車掌相手に清算を済ませたのだろう。無賃乗車をしていたら覚えているはずだからだ。

 空港前の駅からフアランポーン駅までは、ガイドブックの地図を見て予想していたよりも時間がかかり、地図は読めるが距離感は読めないことに気付いてしまった。フアランポーン駅からジュライホテルまでは歩いていくつもりだったが、徒歩圏内なのか判断がつかなくなってしまった。

 そこで駅を出たところでタクシー運転手に外から声をかけると、行き先をきちんと聞かれないまま乗るように促される。発車してから行き先を告げた。ジュライホテル。伝わらない。7月22日ロータリー。7月22日は英語で言ってみたが伝わらない。ガイドブックで他の言い回しを探したが見当たらない。だったらそもそも地図を見せれば良い。だが運転手は地図を一瞥するもすぐに突き返す。どうやら地図を読めない、読み方がわからない相手だったらしい。

 にもかかわらず、彼はタクシーをすでに走らせている。走りながらあっちかこっちかと質問してくる。地図は頭に入れていたつもりだが、すでに動き始めているため車が今どちらを向いているのかもうわからない。走りながら何度か行き先を繰り返し告げるが、伝わらないままタクシーは走り続ける。

 空港に到着したときは午後になったばかりだった。金網を乗り越えて空港前の駅にたどり着いた時点でも、せいぜい到着から一時間程度。フアランポーン駅に到着したときも空は明るかった。

 運転手は何度か路肩に停車し、ガイドブックの地図を眺めてはすぐに走り出し、ときどき道行く人に声をかけ、私にも聞くように促し、気付けば外は完全なまでに夜になっていた。初の海外旅行の初日は野宿するしかないかもしれない。覚悟を決めた頃、ようやく目的地にたどり着いた。

 バンコクには他にももっとわかりやすい安宿街があり、そこに限らずともゲストハウスはそこら中にある。今思えばジュライホテルにこだわる必要などはなかった。だが初めての海外旅行、初めての一人旅ということもあり、ここと決めたらそこだけ、という融通の効かなさが災いした。というだけでなく、地図の読めない運転手を拾ってしまったのも運の尽きだったのかもしれない。

 結局は到着したので問題はなかったが、道に迷うこと約二時間、メーターは動き続けており、料金割引はなかった。無事にジュライホテルにもチェックインすることができたが、薄暗くやけに広すぎる吹き抜けが不気味で、個室の壁には日本語の落書きだらけ。興味本位でいくつか読むと、そのほとんどが買春テクニックにまつわるもので、苦労してたどり着いたゲストハウスだったが二泊で引き払い、自分の目で地図をきちんと確認の上で別の安宿へ移動した。ジュライホテルは翌年か翌々年に閉鎖され、もう宿泊することはできない。

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