第2話 闇を抱えた優しさ

 光希(ミキ)が慎一と出会ってから数日が経ち、彼のことが頭から離れなかった。あの穏やかな目、そして何気ない言葉に心が引かれた。それなのに、なぜか恐怖を感じていた。自分には彼のような優しさを受け入れる資格がないのではないか、という思いが常に彼女の心を締め付けていた。


ある日、光希は再びあのカフェで慎一に会うことになった。彼もまた、偶然を装うように、光希の目の前に現れた。最初は少しぎこちなかったが、慎一の穏やかな微笑みに安心感を覚え、少しずつ会話が弾むようになった。


「また会えて嬉しいです。」


慎一は、いつものように静かな声で言った。光希はその一言に胸が温かくなるのを感じた。しかし、何かが彼女の心に引っかかっていた。


「慎一さん、あなた…すごく優しいけど、どうしてそんなに優しくできるの?」


慎一は少し黙ってから、静かに答えた。


「実は、僕も昔は…人に優しくできなかったんです。」


光希はその言葉に驚き、思わず慎一の顔を見つめた。彼の表情には一瞬、深い悲しみの影が浮かんだ。それは一瞬のことで、すぐに彼の普段の穏やかな笑顔に戻ったが、光希はその微かな変化を見逃さなかった。


「どういう意味ですか?」


光希の問いかけに、慎一は深く息を吐き、少しだけ沈黙が続いた。その後、慎一はゆっくりと語り始めた。


「昔、僕は…家庭で虐待を受けて育ったんです。父親からの暴力や言葉の暴力。それがあって、最初は誰にも心を開けなかった。誰かを傷つけないと自分が傷つけられると思ってた。でも、ある時から、少しずつそれが変わってきたんです。痛みを知っているからこそ、他人の痛みにも気づけるようになった。」


光希はその言葉を聞きながら、胸の奥で何かが痛み出すのを感じた。自分と同じように、慎一もまた愛されなかった過去を抱えている。その過去が、今の彼を作り上げたのだと思うと、光希の心は不思議な温かさとともに、何とも言えない感情に包まれた。


「でも、それでも…僕は人に優しくなりたかった。あの痛みを他の誰かに伝えたくなくて、できるだけ優しくあろうとしたんです。」


慎一の言葉に、光希はただ静かに聞いていた。彼が抱えている過去を知ることで、光希はますます彼に引き寄せられるようになった。しかし、彼女の中で一つの疑問が浮かぶ。


「でも、もし…私があなたに何かを傷つけてしまったら、どうするんですか?」


その問いに、慎一は少しだけ考え込み、そしてゆっくりと答えた。


「僕は…傷つけられても大丈夫です。自分の痛みを知っているから。大切なのは、誰かを傷つけないようにすることだと思っています。」


その言葉を聞いた瞬間、光希は涙がこみ上げてきた。慎一の優しさに触れるたびに、自分の心が解けていくのを感じる。しかし、過去の自分を捨てることができない光希は、またしてもその優しさを恐れていた。


その夜、光希は一人で考えていた。慎一が過去に受けた傷と、今の優しさ。そのどちらもが彼を形作ったものだ。自分の過去と重なる部分があるからこそ、光希は彼のことを理解できるような気がしたが、それと同時にその過去が自分にとって重すぎるものだと感じた。


「もし私が、あんな優しさを受け入れたら…どうなってしまうんだろう。」


光希はその問いに答えを出せずに、ただ夜の静寂に包まれていた。

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影の中で、愛を求めて @biology25

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