ラストダンスは満開の下

望乃奏汰

🌸

山あいの長閑な村、といえば聞こえはいいが、要は田舎だった。限界集落の外れにある大きな石造りの倉庫と昔ながらの文化住宅。

その玄関先に所在無さそうな顔のスーツの男が立っていた。


スーツを着ているといっても、スーツに着られているというような風体で、男に比べたら就職活動中の大学生のほうがよっぽどスーツを着こなしていると言えるだろう。

そんなスーツの男、津公檀吾は憂鬱だった。



津公檀吾は大学を卒業してから働いていた消防設備点検の会社をクビになり、バイトで食い繋ぐ生活を続けていた。そのどれもが長続きせず、単発の倉庫整理バイトで出会った山田だったか中田だったかいう名前の男から紹介された仕事が布団の訪問販売だった。


勿論そんなよく分からない初対面の人間から紹介される仕事がまともな訳がなく、言われるままに行った繁華街の裏にある怪しげな雑居ビルの一室の狭い事務所にいた、如何にも胡散臭い浅黒いテカテカした顔の声のでかい中年男性から


「お前かぁ!ツキミダンゴとかいうおもろい名前の奴ァ!まぁこんなとこ来るっちゅーのはどうせロクでもないっちゅーこっちゃ。布団売れ。売れんかったら殺す。」


と、初対面で理不尽なセリフを吐かれ、なにやら紙の入ったクリアファイルとアタッシュケースを投げ渡された。

「オメェーみたいな社会のクズなんざなぁ!すぐにどぉとでもできるんじゃあワシぁ!逃げんなぁよ!!」


このキモいイントネーションで捲し立てる目の前の男がどこの誰で何なのか、なぜ自分が布団を売らなければならないのか、津公には分からなかったが、津公は流されるままにしか生きれない男だった。面倒事を避けようとすればするほど悪い方にどこまでも転がり落ちていく。布団を売らないと怒られる。既に暴言を吐かれているのだが。


事務所を出て、男に投げ渡されたアタッシュケースの中を開くとクリーニングされたカッターシャツとスーツ、ネクタイ、布団カタログとサンプル、クリアファイルに入った契約書類、名刺ケースが入っていた。名刺の名前は「岩見澤雄」と書いてある。偽名を使えということか。分かりきっていることではあるが、偽名を使わなければならないような怪しげな布団を売るということであった。


アタッシュケースに入っていたものとは別のクリアファイルには、名前と生年月日、住所といったどこで入手したかも分からぬ個人情報のリストが入っていた。トナーが限界のコピー機で印刷されたようなガビガビの印刷品質だった。

津公はそのリストの一番上にあった「曙ハツ」という名前の人間の住所に行ってみることにした。交通費は当然のように自腹だった。



津公は玄関のチャイムを押した。ピンポーンではなく、ぷぉーんという間の抜けた呼出音が鳴る。やや暫くしてドアの奥からバタバタという足音が近付いてきて人が出てきた。

玄関の横開きのドアが開いた瞬間、津公は息を飲んだ。


「舞桜、兄ちゃん、、、?」

「ダン、久しぶりだね。どうしたんだい、こんなところに。」


羽波舞桜は同じ団地の隣室に住んでいた津公の幼なじみであった。津公は舞桜のことを兄のように慕いどこに行くにもついてまわっていた。そんな津公のことを邪険にするわけでもなく舞桜は本物の弟、いや、それ以上に可愛がっていた。

しかし、津公が中学生の頃、舞桜は親の仕事の都合で転校してしまった。その頃には思春期ということもあり、昔ほどべったりと一緒にいることも少なくなっていた二人は、それ以来疎遠になった。


10年以上振りに見る舞桜は柔和で爽やかな雰囲気は変わらず、身長は随分高くなっていた。伸ばした髪を後ろでまとめ、頭にはタオルを巻き、紺色のエプロンを着ている。


津公はまさか10年振りに会う『お兄ちゃん』に「日雇いバイト先で紹介されて行った雑居ビルの事務所で変なおっさんに恫喝されていかがわしい布団を売りつけに来ました。」とは言えず、

「・・・・・・いや、なんか、いい雰囲気の家だなーって。」

と、全く説明になっていない言葉を吐いた。

それでも舞桜は「あはは。なんだよそれ。」と笑いながらそれ以上訊いてくることはなかった。


「舞桜兄ちゃんはなんでここに、、、?」

「この家は僕の母方の祖母の家なんだ。曙酒造という酒蔵をやっていてね。僕は今酒造りをやっているんだ。」

だからエプロンなのか。と、津公は納得した。

「まぁ、せっかくだから上がっていきなよ。」

「じゃ、じゃあ、、、」

津公はとても流されやすい男だった。


応接間、というか、普通の畳敷きのこじんまりとした居間へと通される。

部屋の真ん中にあるちゃぶ台の周りに置かれたあまりフカフカとは言えないぺたんこの座布団の1つに津公は座った。

「今お茶入れるからちょっと待ってて。」

舞桜は居間から見える台所のほうへ行った。


リストに載っていた曙ハツ、舞桜の祖母であるという女性の姿は見えなかった。留守なのだろうか。待っている間にスマホで「曙酒造」を検索してみたが、酒の通信販売のサイトが出てきた。『天下無双』という国士無双のパクリとしか思えない名前の日本酒が出てきた。曙酒造についてそれ以上詳しい情報を調べる前に舞桜がコーヒーカップを2つ持ってきた。

「お待たせ。砂糖とミルクいる?」

「いや、大丈夫。」

津公はお茶と言われたのでてっきり日本茶が出てくると思っていたが、舞桜の家のルールではコーヒーも「お茶」と呼ぶのかもしれない。津公の家ではリモコンのことを「チャンネル」と呼んでいた。

コーヒーはおいしかった。


「舞桜兄ちゃん、今日はハツさん、、、おばあさんは留守なの?」

「ばあちゃんは腰を悪くして今は施設に入ってるんだ。」

「そうなんだ。」

「ダンはどう最近。元気にしてる?」

「まぁ、元気っちゃあ元気かな、、、」

「なんか顔色悪いね。仕事が忙しいの? スーツだしこんな田舎まで来るってことは営業職? 大変だね。」

舞桜は心底心配そうにこちらを見てくるので津公は罪悪感で胸が傷んだ。

「ところで、舞桜兄ちゃんはお酒造ってるんだよね。なんかすごいね。」

「ばあちゃん家、曙の家は昔から日本酒を造ってたんだけど、『天下無双』って知ってるかな。結構ツウの人には人気の銘柄だったみたいだけど、国士無双のパクリみたいな名前だよね。でも日本酒の売上っていうのは年々減ってて、うちは後継者もいなくてね。日本酒造りをやめて今は元使ってた酒蔵を改装してクラフトジンを造ってる。」

「へぇ、、、なんかカッコいい、、、」

「そんな大したものじゃないんだ。この村って田舎だろ。よく言えば自然豊か。山の植物を使ってこの土地独自のクラフトジンを作りたいんだ。後々は『天下無双』の名前と精神を引き継いだ、ローマ字の『tenka-musou』ってブランド名にしようと思ってる。」


目を輝かせて夢を語る舞桜の姿を見て、津公は自分が恥ずかしくなった。自分と離れてからも舞桜兄ちゃんはずっとカッコよく、しっかりと自分を持って生きていたのだ。それに比べて自分はまともな仕事にもつかず、流されるまま布団を詐欺まがいで売る犯罪のようなことをしている。津公は気がつくと泣いていた。


「ちょ、どうしたの、ダン。お腹でも痛い?」

「いや、、、舞桜兄ちゃんが余りにも輝いていて、自分が情けなくなって、、、」

津公は今に至るまでの自分のことを泣きながら舞桜に話した。舞桜はそれを黙って聴いていた。

「そうか。それはつらかったね。」

舞桜は津公の肩を抱き背中をさすった。

舞桜からは森の匂いがした。

津公は泣き疲れたことと安心感からそのまま寝てしまった。


◾︎


津公が目を覚ますと酷く頭が痛んだ。

それに身体が動かない。

視界も塞がれ口にも何か噛まされていた。


「気が付いた?」

舞桜の声がしたが、津公は声の方に首を動かすことができない。

「ごめんね。コーヒーに睡眠薬入れてた。寝てる間に身体も固定させてもらったよ。」

津公は何が起きているのかわからなかった。


「ダンは人生辛そうだし、クソみたいなバイトも長続きしないうえに流されるまま布団の訪問販売詐欺なんかしなきゃならないようなどうしようもない社会のクズだから僕がクラフトジンにしてあげるね。」


津公は頭が真っ白になった。舞桜が何を言っているのか全く理解できなかった。あのいつも優しい舞桜がそんなことを言うはずがない。理解できないのではなく、考えることを拒否していた。クラフトジンにされるとはなんなのか。蝋人形の舘ならぬクラフトジンの舘なのか。


舞桜は続ける。

「この家の裏山ってね、所謂『忌み山』ってやつでね、昔から地元の人が近付かないんだ。だから外から色んなものを捨てていく人がいてね。不法投棄の家電とか、医療廃棄物とか。他にも、動物の死体なんかも捨てられたり。多分、ペットショップに卸すための繁殖業者なのかな。犬とかネコとか。ひどいよね。不思議と、動物が捨てられる場所は決まっていて、いつも山の中腹ぐらいにある窪地に集められている。もっと不思議なのは、その動物の死体からは決まってキノコが生える。湿度とか気温の関係なのかな。冬虫夏草って知ってる? ダンは学が無さそうだから教えてあげるよ。虫の死骸、セミとかから生えるキノコで、中国では漢方とか薬膳料理として使われている。クラフトジンって、いろんな材料で出来るんだ。植物をスピリッツと蒸留して香り付けをする。そんな中で、キノコを使ったクラフトジンなんていうのもあってね、マイタケとか、霊芝とか、シイタケとか。だから、あの動物から生えてるキノコでクラフトジンを造ってみたらどうかなって。試しにやってみたら、すごいんだよ。材料が死体から生えたキノコだから生臭い感じになったら嫌だなと思ったけど、深い森の香りの中に桜みたいな甘さが感じられる、後味は白檀が残るみたいな、そういう独特のフレーバーが生まれたんだ。なんでもやってみるもんだね。まぁ、勿論普通の市場には流通できないから、とある筋の『美食倶楽部』にだけ卸してたんだけど。あるときそこの会員さんから『人間の死体でやってみることはできないのか』って言われて、多分処理に困る死体があったからそういう事を思いつきで言ったんだと思うけど。『美食倶楽部』の人達は表に出たら困る仕事をやっている人か、あらゆる権力構造の外側にいる人で構成されてるから、処理に困る死体なんてのは割と出るのかもしれないね。死体は先方が用意してくれたから、山の窪地に置いてやってみたけど、人間にもキノコがちゃんと生えた。それで蒸留したジンは動物とは比べ物にならない、とてもこの世のものとは思えない素晴らしいものになったよ。勿論『美食倶楽部』でも大絶賛。満開の桜の花弁を胸いっぱいに吸い込んだかのような、とかって喩える人もいたな。生産者である僕の名前と引っ掛けてこのクラフトジンに付いた名前が『死の舞踏ダンスマカブル』。センス悪すぎて笑っちゃった。まぁそんなわけで定期的に卸して欲しいと言われてね。でも人間の死体なんて都合よくホイホイ用意できない。だから死体を作ることにしたんだ。ダンがバイト先で仕事紹介して貰った人も会ったっていう威圧的なおじさんも『美食倶楽部』の会員の誰かの雇ったずーっとずーっと下請けの奴らで、死体になっても困らない人間を探してここに呼び寄せるようにしている。まさかダンが来るとは思わなかったからびっくりしちゃったけど。幼なじみのよしみで助けるなんてことはないからごめんね。断ると僕が殺されちゃうから。」


まさか本当に冗談ではなくクラフトジンにされるとは。と、津公は思った。

流されるまま生きていると人間はクラフトジンにされてしまうのだ。


「じゃあね、ダン。おいしいクラフトジンになってね。」


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