12月
第17話 星が降る夜
ミルクパンを火にかけている間に自分の分も用意する。マグカップにココアと砂糖――こちらは甘さ控えめに――を入れてよく練り、牛乳を加えるところまではさっきと同じ。あとはレンチンすれば完成だ。
中身が沸騰する手前でミルクパンを下ろし、ふたつのマグカップに注いだ。戸棚からマシュマロの袋を取り出してそれぞれ二個ずつ浮かべてやる。出来上がった三人分のココアを手にして
間接照明しかつけていないリビングは薄暗い。足元に気をつけながら通り抜け、さあどうやって掃き出し窓を開けようかと思案する。
その瞬間、まるで自動ドアのごとく窓が開いた。
「杏ちゃん、流れたよ!」
「え、ほんと?」
「ほんとほんと! ねっ
バルコニーから
一歩外に出た途端、冷たい夜気が肌を刺した。身を
「郁、良太は?」
「あ、ここにいるよ杏さん」
「きゃああ!」
思いがけず至近距離から届いた声に杏は飛び上がった。危うくココアを零すところだ。なみなみ淹れてなくて助かった。
見れば良太は掃き出し窓にぴったり背中をつけて佇んでいた。暗いせいで気づかなかった。
「何してんのよこんなところで!」
「え、流れ星を見てるけど」
「見えるわけないでしょ!? もっと空が見えるとこまで行かないと!」
「大丈夫だよ。それにギリギリまで行ったら落ちそうで怖いし……」
「落ちないわよ!」
バルコニーの手すりの高さは杏の身長でも胸あたりまである。ちょっとやそっとじゃ飛び越えられるものではない。とはいえ高所恐怖症の良太にとってはそれ以前の話なのかもしれない。
「いいニオイがする!」と駆けてきた郁がココアを見て歓声を上げた。ひとまずみんなでティーブレイクだ。
ふうふうと息を吹きかけてココアを啜っていると、郁が幸せそうに口を開いた。
「あー明日がお休みでよかった! 初めて流れ星見られたし、杏ちゃんと良太くんのお家にお泊まりもできるし!」
「ほんとだねえ。俺も明日は休みだし……杏さんは仕事だっけ?」
「そ、あたしは仕事」
本来なら日曜の夜に夜更かしなんて厳禁だ。だが翌日は郁の学校が創立記念で休みなこと、良太もちょうど月曜日は休みだと言うので甥っ子の初めてのお泊まりを許可したのだった。
まるで兄弟のように仲が良いふたりのことだ、杏がいなくてもさして問題はないだろう。
「郁、あと三十分くらいだからね。幾ら明日がお休みだからって、夜更かししていいわけじゃないから」
「はぁい! ね、良太くんももうちょっと手すりの方で見ようよ。あっちの方が流れ星見つけやすいよ! ぼく、良太くんといっしょに見たいな」
「えっと……じゃあ郁くん、手を繋いでもらっていい?」
快諾した少年に手を引かれて良太がおっかなびっくり歩いていく。見るからに腰が引けている様に杏はやれやれと息をついた。これでも引っ越した当初に比べればだいぶマシになった。あの頃はバルコニーに出ることすら拒んでいたもの。今でこそ洗濯物も干せるようになったけれど、それでも極力窓から離れず腕を目一杯伸ばして物干し竿に掛けている。
杏もふたりの隣に並ぶと夜空を仰いだ。星に疎い杏でさえうっすら知っている三つの星の並びが目に入った。なんて星座だったっけと考えていると、その三つ星を刺すように白い光線が突き抜けた。
「えっ……」
目を
「流れた! ねえ流れたよね!」
「あっ、……あ、杏さんとふたりで……っ」
「また見れた! やったー!」
「……え? 郁、今のがそうなの?」
空には変わらず三つ星が
けれど大興奮の郁が「そうだよ!」と頷いて、杏はほうと息をついた。どうやら現実だったらしい。
「――意外と普通に見られるものなのね。びっくり」
「ぼく二回目! すごいね、ゼッタイ流れ星が見える日があるなんて。お父さんが言ってた通りだ」
「ほんとね。こういうの、見ようと思ったら何か特別な機器がないと無理だと思ってたわ」
ぼくもー、と満面の笑みを見せる甥っ子に口角を上げて応えてやる。
三大流星群のひとつ、ふたご座流星群。毎年安定して流星が見られる天体ショーで、天文に明るい人――身近で言うなら兄
誰が見ても厳格で、趣味など何もないように見える兄だが、昔はよく望遠鏡を覗いていた。郁からお泊まりの打診を受けるまで、そんなことはすっかり忘れていたけれど。
ウキウキと楽しそうな郁とは対照的に、良太はしゅんと肩を落としていた。
「願い事三回も言うの難しくない? いかに短く、的確に言うかかなぁ」
「良太くん、心の中でお願いするのは? お願い事って人に言ったら叶わないって聞いたことあるよ」
「えっ!? だって俺、さっき言っちゃったよ!」
「そういえば、何か言ってたわね。なんて言ってたの?」
「い、いい言わない言わない! ナイショ!」
大きく目を見開いた良太は郁と杏を代わる代わる見やって、後ずさった。
その後しばらく粘って小さな流れ星をひとつ見たところで流星観測はお開きとなった。郁をお風呂に追いやって、杏は再び掃き出し窓から外に出た。バルコニーの端、窓と手すりのちょうど中間あたりで良太が壁に
しばし黙って夜風に吹かれていると「杏さん、」と静かな声が
「去年さ、流れ星見たの覚えてる? 確か、遊びに行った帰りだったと思うんだけど」
「……そうね、あったような気がする」
「俺が初めて見た流れ星が、あれなんだよね。杏さんとよく会うようになって、一緒にいるの楽しいし、いっぱい良いことが起きるなーって、思い始めたくらいだったかな」
「うん……」
「あの、笑わないで聞いてほしいんだけどさ……あのとき真面目に思ったんだよ。杏さんとなら、奇跡だって起こせるかもって」
杏の頬がじわりと熱を帯びていくのがわかる。
良太とは郁を介して知り合って少しずつ距離を詰めていった。だが最後の一歩が踏み出せず、友だち以上恋人未満の期間はそこそこ長かった。そんなとき目にすることになった流れ星。杏にとってはヤキモキしていた時期だ。良太が自分のことをどう思っているかがわからなくて。
だけど良太はあの時点ですでに杏のことを良く想ってくれていたらしい。
それならはっきり示してくれればよかった、とは今も思う。――まあ、そういうところが〝良太〟ではあるか。
唇を一文字に引き結びまっすぐ見つめていると、良太がふっと振り向いた。珍しく大人びた、熱っぽい眼差しだった。
「今、こうしていられるのがもう奇跡かも」
「現実よ。奇跡なんかじゃ……」
「うん。だからね、来年もまた一緒にね。流れ星を見られたらいいなって思ってさ」
「……郁が、願い事は言葉にしない方がいいって言ってたけど?」
「大丈夫。願い事じゃなくて約束だから」
へらと笑って良太が小指を立ててみせた。杏も僅かに口の端を持ち上げ、自身の小指を彼のそれに絡ませた。
▼イメージイラスト
後ほど更新します。
――――――――――
※2025年のふたご座流星群の極大は12月14日17時頃だそうです。
今年は月明かりもほとんどなくて好条件! 13日夜から14日明け方までと、14日夜から15日明け方までの二夜に渡って流星が楽しめそうです。
〝ふたご座〟と名前がついていますがふたご座付近を見る必要はなく、流星は全天に流れます。空のなるべく広い範囲をぼんやり眺めていると出会える確率が上がるかもです。
『ゼッタイ』は確約できませんが、晴れさえすれば街中でも比較的見られる流星群かなと思います。大変大変寒いので、流星チャレンジする方はどうぞ暖かくして夜空をご覧くださーい。晴れますように!
月2回更新のため、しばし間があきます。すみません。
[第18話]は12月15日公開予定です。
両手いっぱいの花をきみに りつか🌟 @ritka
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