11月

第15話 小さな発見

「こんなところで、どうしたの」


 帰途を急いでいたあんがその小さな背中を見つけたのは、煌々と明るいエントランスの片隅だった。インターホンの前、びくりと肩を震わせ振り向いた少年は目を真ん丸に見開いた。


「杏ちゃん!」

「あんたひとり? もう暗いのに、いつまでも出歩いてるのはあまり感心しないわねいく


 鞄の中を探りつつインターホン機器をちらりと覗いて杏は内心首を捻る。呼び出しどころか何の入力もされていない。今さら部屋番号を忘れるはずはないから、おおよそ一定の呼び出し時間を過ぎてリセットがかかったのだろう。


「とにかく中に入って。あとで送っていってあげるから、」

「あっ、待って!」


 取り出した鍵を機器に近づける。その瞬間、機器との間に郁が割りこんできた。彼はそれまで大事そうに抱えていた紙袋を押しつけるように杏に突き出した。


「ぼくもう帰るから、だからこれ、良太りょうたくんに渡して」

「え、なに?」

「お母さんにお願いしたの。できるだけ今日中に食べてって言ってた」


 紙袋の口から四角い密閉容器が覗いている。義姉からのお裾分けであればおそらく菓子の類いだろう。状況的に杏ひとりで攻略することになりそうだけど。


「ありがとね。良太にもちゃんと伝えとく」

「……あの、良太くんだいじょうぶ?」

「うん?」

「寝こんでるんでしょ」


 ――知っていたのか。

 遠慮がちに見上げてくる郁の視線を受け止め、杏は唇に薄く笑みを乗せる。思えばと会って立ち話をしたのはついさっき、スーパーに向かう道でのことだ。広めてくれと頼んだ覚えはないが、さすがに仕事が早い兄である。


「……大丈夫。薬は飲ませたし、栄養とって寝てればすぐに良くなるよ」


 たった今調達してきた買い物袋の中身を見せれば、不安そうな面持ちはほっと和らいだ。小さな肩をポンポンと叩き、杏はそのまま回れ右をした。


「先に送ってく。行こう」





 * *





「――」


 ざらりとした掠れ声がこぼれ落ち、良太は思わず口を噤んだ。続けるはずだった言葉は呑みこんで、代わりに緩慢な手つきで喉元を撫でた。いつも通りの肌の感触が指の腹から伝わってくる。こういうとき、内側を直接掻きむしれたらいいのにといつも思う。

 衣擦れの音を耳が拾った。縦に細く漏れていた光の筋がさっと広がり、またすぐに薄暗くなる。


「……良太、起きた?」


 明るい廊下を背に、まるで影絵のようなその顔色は逆光になってよくわからない。でも躊躇ためらいがちにそうっと囁く声音には気遣わしげな色が滲んでいて、つい良太の口角が上がった。

 短い声を返して半身を浮かせた。忍び足でやってきた彼女は、それが勤めとでも言わんばかりに体温計を差し出す。良太がゆっくり脇に挟んでいると、ふと何かが頰に触れた。杏の手のひらだ。


「気温差が大きいとすぐ風邪ひくんだから。――気分は?」

「……だいぶ、ましかな。……いま何時?」

「八時を過ぎたとこ」

「え……? もう、夜中かと思った」

「よく寝てたもんね。何回か様子を見にきたけど、」


 控えめなアラームが話を遮る。のろのろと抜き取ればそれは瞬く間に取り上げられた。

 じっと見つめていた杏のまとう空気が柔らかくほどけていくのを感じ、良太は詰めていた息を吐き出した。杏は嘘をつくのは上手くない。あでやかな花が綻ぶような彼女の笑顔は、何にも勝るカンフル剤だと思う。


「……杏さん、あのさ」

「なに? 喉乾いた?」

「うん。あ、いや、そうじゃなくて……ちょっと来て」


 もぞもぞと身じろいで良太は小さく手招きする。きょとんと見開かれた吊り気味の瞳は一拍置いて訝しげにすがめられた。真意を掴んでやろうという意思が透けて見える強い眼差しには自ずと後ずさりたくなる。動いたところで臥せっている身では高が知れているのだが。


 ――日頃からもう少し真面目にしとけばよかったかな。


 そんな後悔がよぎったのも束の間、杏はすっと膝をついた。長い髪がひと房ふわりと肩を滑り落ち、花の香りが微かに漂う。

 間近に寄せられた愛しい顔に目を細めると、良太は彼女の斜め後ろを指した。


「みて」


 杏が背後を振り返った。

 真っ暗な夜空に白い光が浮かんでいる。真円には幾らか足らず、半円よりは丸みを帯びたレモンのような形の――。


「月?」

「うん。……目が覚めたら、ちょうど見えててさ」

「満月までもうちょっとね」


 建物と建物の間の、縦に長細く切り取られた空間。その絶妙な位置にまるでぴったりとはめこんだように浮かぶ十三夜の月。明るくて、静かで、眺めているとなんとなく厳かな気分になってくるそれ。


 良太が杏と寝食をともにするようになって七ヶ月が過ぎた。日々のいろんなことを体験し、共有する知識も随分増えた。なのに今の今まで知らなかったのだ。この部屋から月が見えるなんて。きっと杏も気づいていないんじゃないか――そう思った。


「キレイだよね……。ちょっとした、お月見って感じで」

「お月見、ねぇ。あんたの場合、楽しみなのは団子の方でしょ?」

「……あるの?」

「さっき郁が持ってきた。前もってねだってたんだってね。義姉ねえさんの団子」


 じろりとめつけられ思わず息を呑む。その鋭い光は一瞬で消え去り、彼女はやれやれと身体の力を抜いた。


「食欲が出てきたのはいいことだけど。まずはおかゆよ」


 きっぱりと、だが瞳には安堵の色を滲ませて杏は良太の腕をとんとんと叩いた。「待ってて」と言い置き立ち上がった彼女にすかさず手を伸ばす。ハッと驚く横顔と、振り返った余韻に宙を舞う髪を見上げながら、良太は彼女を掴む手に力を籠めた。


「……リンゴは? だめ? すったやつ……」

「あんたの味覚ってほんと、郁とおんなじなんだから」


 くすくすと優しい苦笑が降ってくる。手首を掴む手の上に彼女の温かなそれが重なった。

 満たされた思いで良太は口の端を持ち上げると、捕えた花をそっと離した。


 淡い光に照らされた、静かで優しい夜だった。









▼イメージイラスト

https://kakuyomu.jp/users/ritka/news/822139838588582744


――――――――――


「こんなところで、どうしたの」という台詞で始まり「静かで優しい夜だった」で終わる物語


診断メーカーで出したお題を元に書いたssでした。

「こんなお話いかがですか」

https://shindanmaker.com/804548



※十三夜は日本独自の風習です。十五夜からおよそ一ヶ月後となる旧暦9月13日の月を指し、お月見をする習慣があります。

十五夜、そして十三夜とも月の満ち欠けを基準に算出するため毎年日付が違います。十三夜は大体10月にくることが多く、こちらのssを書いた2018年当時は10月の話として公開していました。

2025年の十三夜はちょっと遅めの11月2日です。なのでこちらの話も11月分として公開いたします。

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