天下無双布海苔団子

津多 時ロウ

天下無双布海苔団子

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。

 気付けば私は古くて大きな家の一室にいて、興味本位で襖を開けると、いつもそこに父の顔があるのだ。額縁の中にあって、白木の台に乗せられた父の顔が。

 四角く縁取られた父はとてもいい笑顔をしていた。私の思い出の中で父はいつも難しい顔をしていたから、あの写真のことが余計に忘れられないだろうと思う。

 それから独特なアルコールと抹香がにおうと、どこからか母がすすり泣く声が聞こえてきて、いつもそこで私は夢から覚めるのだった。

 夢の続きを見たいとは思わない。

 私にとってはいい父親ではなかったから。


 父は毎日働いていた。休みと言えば盆と正月くらいなもので、それ以外は風邪の一つもひかずに店を開けていた。そのくせ、今日も客がこなかったなどと、夕飯時には決まって酒を呷りながら文句を垂れ流し続けていたのだから、いっそ店などやめてしまえばいいのにと私は思っていた。稼げない仕事をやり続ける意味などないのだと、文句を言うならさっさとやめてしまえと。

 文句を浴びながら育った子供の私はいつも鬱々としていて、その原因になっているこの店をいつか燃やしてやろうとさえ思っていた。


「みたらし十五個ちょうだい」

「はいよ。いつもありがとう」

「いいのよ。おいしくて食べやすいサイズだから、ついついたくさん食べちゃうのよね」

「えへへへへ」


「布海苔と黒蜜ときな粉を十個ずつ下さい」

「はいよ。偉いな坊主、おつかいか?」

「うん。好きなの買ってきてってお母さんが。僕は黒蜜がとてもおいしいと思うんだ」


 父の後を追うように母も亡くなり、この店を継いでからもう十年経った。

 売り上げは芳しくなくて生活は貧乏だが、こうしてお客さんと触れ合っていると父がこの店を畳まなかった理由がよく分かる。誰かに必要とされていることがじかに感じられて嬉しいのだ。おいしいと言ってもらえることが嬉しいのだ。店を閉めたらそれが亡くなってしまうと思うと、寂しくて、恐ろしくてやめられないのだ。

 結局、私と父は親子だったということだ。


 私は今の状況にどっぷりとつかっている。どっぷりとつかっているが、生活に満足しているかと問われればどうだろう。していないのかも知れない。

 考えられる理由は主に二つ。

 一つは貧乏なままということ。

 もう一つは、店の名前だ。

 漢字で〈天下無双布海苔団子〉と書くこの店の名前だ。屋号だ。

 この読み難い屋号のお陰で、たまに間違い電話がかかってくる。「三色団子を急ぎで五本。すぐ取りに行きます」とか「子供用の布団を買いに行きたいんですけど」などと。

 父の変なこだわりが遺憾なく発揮された結果、うちの屋号、正式には〈てんかむそう・ふのり・だんす〉と読むのだ。

 団子はダンゴと読むんじゃないのと、子供の頃に抗議したことがあるのだが、串に刺してねえダンゴはダンスと読むに決まっているんだよ、と怒られてもうそれっきりになってしまった。


 そんなことを思い出しながら今日も私は団子だんす屋を開け、おいしいと言ってくれるお客さんと話をする。

 そのときの私は、作らずともとびきりの笑顔になっているのだろう。



『天下無双布海苔団子』 ― 完 ―

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天下無双布海苔団子 津多 時ロウ @tsuda_jiro

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