四十路妖精の葛藤と決心

 高級レストランの豪華ディナーかと勘違いしそうな夕食を堪能後、片付けを終えた歩夢先輩がカップを差し出しながらぽつりと言い出した。


「俺、そろそろ家に戻ろうかと思っててさ」

「えっ」


 その急な決断に、受け取ったカップが震えて中のコーヒーが揺らいだ。


「な、なんでですか?」

「なんでって……もう少しで有休使い切るし、そろそろ身の振り考えないと駄目だろう。俺、居候なのにベッド占領しちゃってるしさ。家主おまえをいつまでもソファで寝かせられないよ」


 至極真っ当な理由に、オレは言葉を失った。


 歩夢先輩は今、有給休暇を使って仕事を休んでいる。建前は事故による骨折という事にしているが、実際は妖精のフェロモンの影響を考えての事だ。

 時折オレのパソコンを使ってリモートワークをしているが、ずっと出社しないのも限界がある。


 このマンションも、単身者向けだから決して広くはない。先輩と違って、オレはソファで寝て体が痛くなる事はないけど、夢見が悪いのはそこに原因はあるかもしれない。


 でも──


「オレ……オレは、ソファでも、床でも、全然いいんです。

 オレ、最近家に帰るのがすごく楽しいんです。先輩の料理美味しいし、先輩に『おかえり』って言ってもらえるのすごい嬉しくて。

 オレ、オレは──」


 そこから先の告白は、どうしても言うのが躊躇ためらわれた。一時間前の幸せな時間に戻りたい。この先に何かあるかなんて考えたくない。何より、が現実になるのが怖かった。


 沈黙が続く事しばしが経ち──歩夢先輩はカップをテーブルに置いて、バツが悪そうに口を開いた。


「なら……うちに、来るか?」

「…………、は?」


 その言葉の意味が分からず、オレは思わず聞き返していた。


 テーブルの先で胡座あぐらをかいている歩夢先輩は、複雑そうな顔をこちらに向けている。


「トリに、色々言われてさ。お前が……その、俺の事をって話も、聞いた。

 最初はびっくりしたけどな。でも、俺が走り回っただけであの有様だったんだ。そういうお前も、色々、我慢するの、辛かっただろう? 昨日も、うなされてたしさ」


 一句一句齟齬がないか確かめるように言う先輩の姿に、オレは息を呑んだ。


 魔法使いや妖精になる時、トリの降臨、というものがあるという話は聞いていた。

 神様の視点だ。オレの気持ちや、今までしていた盗聴や盗撮なんかも、歩夢先輩には筒抜けになっていたんだろう。


「将来見越してマンション買ったから、部屋は余ってるんだ。

 まあ、なんだ……どこまで付き合えるか分からんけど、こんなに我慢してくれたお前に、俺も少しは報いてやりたいって思うようになってさ……」


 でもオレのそうしたストーカー行為を知っても、歩夢先輩はこうして膝を突き合わせてくれている。

 好意的に捉えてる、とは言えなくても、それなりに受け入れる気持ちがあるという事なのか。


「いいん、ですか?」

「……お手柔らかに頼むぞ?」

「もっ……もちろんです! 優しくします!」


 何を優しくされるのか想像したんだろう。歩夢先輩は顔を引きつらせ、ひゅ、と短く息を吸った。

 それでも先輩としての意地か。ごほんと一つ咳払いをして、気持ちを切り替えてみせた。


「き、決まりだな。なら、これから色々揃えないとな。クローゼットは家にあるもの使えばいいけど、家具は一揃えしたいよな。あとは布団や枕も──」

「ベッドは一緒がいいです。キングサイズ買いましょう」


 ねじ込むように発したオレの提案に、歩夢先輩は絶句してしまった。

 目と目で通じ合ったのか。オレの目を見て本気を悟り、歩夢先輩は青い顔を両手で覆っていた。


「若い子の性欲怖いよぉ……」

「抱いていいですよね?」

「……えっと、その……ゴム、つけてくれよ?」

「何でですか。男同士なら別に避妊の必要は──」


 そこまで言いかけて、前に説明された事を思い出す。

 この歩夢先輩、外見はどこをどうとっても男性だけど、くだんの妖精化で子宮が追加されているらしい。それはつまり──


「妊娠するんですね……!」

「こらこらこら」


 詰め寄るオレに気圧けおされて、歩夢先輩はじりじり後退あとずさる。しかしそこに夢で見た明確な拒絶はない。あくまでオレの自制を促すものだ。

 つまり、そんなに嫌われてない。これは重要な事だった。


「明日、婚姻届持ってきます」

「待て待て早い早い。こういうのは、もっとじっくりお互いを知ってからだな──」

「そんな悠長な事言ってたら、先輩が逃げるかもしれないじゃないですか」

「今、猛烈に逃げ出したいが?!」

「そんなっ……誘っておいて逃げるとか、酷い……っ!」


 嘆いてはみたが、先輩は既に壁際まで追いやられている。逃げ場はもうない。逃がす気もない。

 壁に触れて退路が断たれたと気付いた歩夢先輩は、おもむろに観念して項垂うなだれた。


「……こんなにぐいぐい来るやつとは思わなかったよ……」

「ひなまつりの人形は、先輩に似た顔立ちのものを買いましょうね」

「女の子産む前提なの!? 俺ってお前にどんな風に見えてるの!? あ、ちょっと、待──」


 先輩が何かを言おうとするのを遮って、オレは勢いに任せて組み敷いた。OKが出てるんだ。もう我慢する理由なんてない。


 今まで溜め込んでいた思い出、培った気持ち、未来への展望。その他諸々。

 それらを、言葉にして態度にして形にして、全部吐き出したい。

 時間は幾らでもあるだろう。でも、今感じた幸せは、きっと今しか吐き出せないんだから。


 ──歩夢先輩のをかき消すように、窓の外でトリの甲高い鳴き声が聞こえた気がした。



 〜四十路童貞、妖精になる。終章〜 めでたし

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四十路童貞、妖精になる。終章 那由羅 @nayura-ruri

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