四十路童貞、妖精になる。終章

那由羅

二十路ストーカーの不安と幸せ

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。


 男が怯えた目でオレを見る。距離を取ろうと後退あとずさる。

 そして軽蔑に顔を歪め、こう吐き捨てるのだ。


『見るな』『来るんじゃない』『気持ち悪いやつめ』──と。


「────ッ!」


 暴力に似た悪夢から、オレは拒絶するかのように叩き起こされた。

 荒くなった呼吸を正し、先に見た光景がただの夢であると──未来に在るかもしれなくても、現実いまではないのだと──確かめるように、ベッドへ顎を向ける。


 そこには、一人の四十路男が高いびきをかいて眠っていた。まだ夜は寒い日もあるというのに、毛布を蹴飛ばしてだらしなく惰眠を貪っている。


 その寝顔を見ていたら、胸に留まっていた澱が落ちて行くような安堵がこみ上げてきて、思わず口の端が緩んでしまった。


 男の体に毛布を掛け直して、オレは再びソファで布団をかぶり直す。

 いつまでもこの日々が続けばいいな、とそう思いながら。



 ◇◇◇



 オレの名前は月城つきしろかなで。二十五歳。

 オレは今、憧れの人南足きたまくら歩夢あゆむ先輩と一緒に暮らしている。


 ──ある日の早朝、日課のジョギングをしていたら、オレは道の真ん中で歩夢先輩と鉢合わせたのだ。


 歩夢先輩はパンツ一丁というあられもない格好で、おまけに多数の老若男女から追い掛けられていた。

 オレは動揺しつつも追っ手を撒き、自分のマンションに先輩を連れ込んだのだった。


 聞けば、歩夢先輩は『四十歳を超えた童貞は妖精になる』という神様のルールによって妖精化したのだとか。

 その妖精のフェロモンで人々を惹きつけてしまい、追い掛けられていたらしい。


 にわかに信じ難い話だったけど、その疑問は程なく解消された。

 オレ自身にもフェロモンの影響が出始めたのだ。


 歩夢先輩から目が離せない。ふわりと甘い匂いに心が蕩ける。

 特に背中がヤバかった。フェロモンが背中から出てるらしく、後ろにいると無性に組み敷きたくなってしまう。


 先輩をかくまう名目で自分のマンションに留め置いているけど、オレ自身は獣性を抑え込むので精一杯だ。

 最近は、先輩にこの気持ちがバレて嫌われる夢まで見るようになってしまった。限界は近いのかもしれない。


「ただいま帰りました、先輩」

「おう月城、おかえり」


 深呼吸して心を落ち着けて扉を開けるも、歩夢先輩の声を聞くと体がざわめく。早速心臓が早鐘を打ち始める。


 出迎えてくれた歩夢先輩は、タンクトップにエプロンという春先にはまだ早過ぎる格好をしていた。背中に生えた見えない羽根が引っかかってこの格好で過ごしているんだけど、ぱっと見裸エプロンみたいにも見え、何ともセクシーだ。


 ふんわりと漂う香りから、どうやらビーフシチューを作っていた事が伺える。先輩は意外と料理好きで、結構レパートリーが多い。レトルトの方が安上がりな気はするが、一人暮らしが長いと凝り性になるんだろうか。


「ゲーム、進みました?」

「ああ、継承の塔クリアしたよ」

「お、もうクリア間近じゃないですか。さすがですね」


 ネクタイを緩めつつ、オレはゲームの話題を振った。歩夢先輩が買いそびれてしまったというアクションRPGの2作目を勧めてみたのだけど、余程暇だったんだろう。


「あー……早くクリアして、プサロン使いたいなぁ」

「分かります。キャラデザ神ですよね。あと強い」


 先輩の推しキャラは魔物の王プサロンだ。美形、悲しい境遇、強いと三拍子揃った強キャラだ。


「魔力解放からの天下無双は浪漫だけど、ヒット数稼いで魔力解放発動に持ってくの苦行なんだよなぁ」

「あ、それ2からは仕様変更してますよ。ヒット数じゃなくてMP使って発動しますし、MP切れるまで維持出来るようになってます」

「まじ? 上手くMP運用すれば、天下無双し放題って事か」

「専用ダンジョンでしか使えないのが難点ですけどね……」

「今回ストーリーに絡まないからなぁ」

「まぁ大野Tの声が良いんで使っちゃうんですが」

「分かる」


 キッチンで夕食の支度をしながら笑う先輩の顔を見て、オレも思わず顔が綻ぶ。好きな人と趣味が合うのはいい事だ。


「仕方ないな。ストーリー中はジェシー使うか。はっちゃけダンスでサポートに回るぜ」


 でも、巨乳の女性キャラクターの名前が出て、もや、としたものが胸を撫でた。

 架空の人物に嫉妬するなんて、どうかしてるな。

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