別居調停 後編

翌朝、別居措置が始まった家族は、まるで互いに存在を意識しないかのように別々の住まいへと足を運んだ。美紀は、薄暗い両親の家で一夜を明かしながらも、娘の小さな寝顔を何度も思い出しては、胸の痛みに耐えていた。彼女の心には、これまでの長い年月の苦しみとともに、娘が再び拒食症に陥るのではないかという恐怖が重くのしかかっていた。隆一は友人宅に身を寄せ、自室の窓から冷たい朝日に照らされながら、自分自身の過ちと未来への不安に涙を流していた。

 

その日の午後、調停委員からの連絡が入る。委員は電話越しに、「本日、娘さんの体調に関する緊急の報告がありました。救急車が呼ばれ、病院に搬送されたとのことです」と、重々しい口調で告げた。美紀の心は一瞬で凍り付き、手元にあったコーヒーカップが震えるように落ちた。電話越しに聞こえる委員の説明には、医療面での専門的な見解も含まれており、彼女は娘の容態を確かめるため、急いで病院へと向かう決意を固めた。

 

病院の待合室で、美紀は固く組まれた額に汗を浮かべながら、病室からの断続的な説明を待った。医師は、「拒食症の症状が再発しており、精神的なストレスが直接影響している可能性が高い」と静かに語った。その一言に、美紀はこれまでの苦しみや葛藤、そして今までの決断が、果たして正しいのかという疑念に苛まれた。

 

一方、隆一もまた、自らの居場所で深い反省と孤独にさいなまれていた。電話の向こうで、昔からの友人が「家族にとって最も大切なのは、やはり互いに理解し合うことだ」と助言するが、その言葉すら、隆一の内面の空虚さを埋めるには至らなかった。彼は、これまでの怒りや誤解を解消することができるのか、そして自分が本当に変わることができるのか、自問自答する日々を送っていた。

 

その夜、調停委員は再び家族全員を一堂に呼び集め、今後の対応策について話し合いの場を設けた。委員は、「今回の事態は、皆さんにとって予想外の展開となりましたが、これはあくまで一時的な危機です。別居調停の目的は、皆さんが冷静に自分たちの生活を見つめ直すための措置です」と力強く語った。しかし、その声の奥には、これまでの家族の絆が完全に断ち切られるのではないかという、漠然とした不安が隠れているようにも感じられた。

 

美紀は、娘の容態が安定するまで自分がそばにいることを誓い、また隆一は、これ以上家族に苦しみを与えないために、自ら進んでカウンセリングを受ける決意を新たにした。だが、調停室で交わされた会話の中で、ある意外な事実が明らかになった。委員が慎重に報告したのは、娘の病院での検査結果が、単なる拒食症だけではなく、家庭内の心理的なストレスの影響による神経症状がさらに進行している可能性を示唆していたことである。

 

その報告を聞いた瞬間、部屋の空気は一変した。美紀は涙をこぼしながら、「どうしてこんなに、私たちはお互いを傷つけ合ってきたのか」と呟いた。隆一は、すでに自分の中に閉じ込めていた罪の意識と後悔を、静かに吐露し始めた。しかし、互いに口に出せずにいた真実は、あまりにも複雑で、どこか決定的な解決策を見出すには、まだ早いのだと委員は冷静に告げた。

 

夜も更け、家族はそれぞれの居場所で孤独と向き合っていた。美紀は、娘のためにこれ以上の犠牲を払わせたくないと、決断の重さに押しつぶされそうになりながらも、未来への希望を捨てるわけにはいかなかった。隆一は、かつての温かな日々を思い出しながらも、今の自分が何をすべきかを必死に模索していた。祖父母は、長い年月を共に歩んできた家族の形を守るべく、微妙な均衡を保とうとしていたが、彼ら自身も解決の糸口を見いだすことができずにいた。

 

そして、調停委員は、最後にこう締めくくった。「皆さん、これからの道は決して平坦ではありません。今日の決断は一つの始まりに過ぎず、今後も多くの試練が待ち受けています。しかし、今一度、家族全員で冷静に未来を見つめ直し、互いに支え合いながら歩んでいく覚悟があれば、きっと新たな光が差し込む時が来るでしょう」――その言葉とともに、部屋の中にはかすかな希望の光が差し込み始めたかのようにも感じられたが、同時に誰もが、その先に待つ不確実な未来に胸を締め付けられているのも事実であった。


 夜空に星が輝く中、家族はそれぞれの孤独な戦いを続けながら、未来への一歩を踏み出そうとしていた。しかし、誰もが心の奥底で、すべてがこの決断で完全に解決するわけではないという現実と、まだ解消されない痛みが残ることを、痛感せずにはいられなかった。読者は、家族がこの先どんな未来を迎えるのか、そして本当に再生の光が射すのか、胸に重く残る疑問とともに、その行く末を自ら考えざるを得ない余韻の中で物語は幕を閉じるのである。

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別居調停 星 剣七(本当は七星剣 蓮) @dai-tremdmaster

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