推しが還暦迎えてもたぶん推してる

pico

推し活27年の記録







 これは、残念なアイドルオタクが、推しを追っかけながら大人になるまでの人生というどうしようもない話である。




 小学生の頃、私は某男性アイドルにハマった。

 好きになった理由は、「かっこいいのにやる気がなさそうだから」。


 推しは、私より3つ年上のアイドル。

 バラエティ番組や舞台に出演しながら、音楽番組では先輩グループのバックダンサーをつとめていた。


 当時はまだアナログ全盛期。

 小学生の私は、アイドル雑誌の切り抜きや写真を集めたり、出演番組をVHSに録りためるので精一杯だった。

 田舎在住で、所属事務所の公式ショップには行けなかったため、地元の商店街のアイドルグッズショップで写真を買い込んだ。

 幼心に、「なんでどれもカメラ目線じゃないんだろう」と思っていた。

 その買い込んだ写真が、違法販売の盗撮写真だと知ったのは、それからずいぶん後のことだった。




 応援し始めてから2年後。

 私が中学生の頃、推しがグループとしてデビューした。

 華々しいデビューを飾り、ファーストコンサートも見事成功をおさめる。

 個人としても、ドラマや映画に立て続けに出演。

 先輩グループのように、順調に売れていくだろうと思っていた。


 しかし、思ったようにグループは売れなかった。

 CDの売れ行きはまずまず。コンサートでも空席が目立ち、先輩グループのようにゴールデンタイムでメイン番組を持つことも難しかった。


 グループとしては鳴かず飛ばずではあったものの、当時のファンに悲壮感はなかった。

 コンサートで鬼ごっこをしたり、誰も得しないような変な衣装で踊ったり。

 バカ売れしてるグループじゃないからこそ、自由に好き放題やれたんだろうと、いまとなっては思う。

 そんな彼らの姿を見ることが、私の一番の楽しみだった。




 大学生になり、私は東京へ進出した。

 その頃から、握手会や番組協力にも精力的に参加するようになった。

 彼らに会うために、授業の合間をぬって働いた。

 着物を着る仕事で時給もよかったため、月に20万以上を稼いでいた。


 稼いだ金は、ほとんど推し活に消えていった。

 北海道から九州まで、それに台湾、上海、韓国……。

 「行けるかどうか」を考えたことはなく、「どうやって行くか」を常に考えていた。




 その頃、グループのメンバーが出演したドラマが大当たりした。

 それ以降、飛ぶ鳥を落とす勢いでグループは売れていった。

 メイン番組を多数抱え、メンバーは代わる代わるドラマや映画に出演。

 コンサートはアリーナクラスからドーム、そして国立競技場へとランクアップ。

 それを嘆くファンも多かったけれど、「推しの喜びは私の悦び!」と素直に思っていた。


 コンサートでは、9割以上の時間を双眼鏡を覗いて過ごしていた。

 私は、近くの他担より遠くの自担派。

 推ししか興味がないので、遠くにいても推しを双眼鏡で覗いていた。

 ときには、双眼鏡ごしに目が合っていると感じたことすらあった。

 いま思うと信じられないが、当時は本気でそう思っていた。


 そんなになにを見るの?と思われるかもしれない。

 あの時間、あの場所では、推しの一挙手一投足も見逃したくないのだ。

 細かな手の動き、目線、くちびるの動き、滴る汗、息づかい……そのすべてを目に焼きつけることが、その瞬間の私の生きる意味だった。


 もちろん、どの曲のどのパートでカメラに抜かれるかも把握している。

 そのため、推しがカメラに抜かれる瞬間だけ、パッと双眼鏡から目を離す。

 大画面に映る推しの圧倒的存在感に、膝から崩れ落ちる。

 あまりの奇行に、周囲のお客さんから「大丈夫ですか?」と心配されたこともあった。




 なぜか、引きも強かった。

 住んでいた地域がたまたま推しのドラマ撮影の舞台となり、たまたまバイト先が撮影現場となった。

 おかげで、握手会以外で推しと話すことに成功した。

 「トイレどこですか?」と聞かれただけだけど。


 当時の彼氏とのデート中、収録現場に遭遇したこともあった。

 「ごめん、解散!」と一方的に告げ、彼氏を帰らせた。

 私はそのまま3時間、収録現場を穴が開くほど見学して帰った。


 仲良くなった友人が、たまたまグループのヘアメイクを担当していた。

 良い話も悪い話も聞いたけど、それでも推しを好きな気持ちは変わらなかった。

 どうでもいいが、今の旦那を紹介してくれたのが、この人である。


 ヨコシマな気持ちで、テレビ関係の仕事に就いた。

 ヨコシマな気持ちしかないくせに、担当していた番組に推しが運よく出演した。

 「このまま経験を積んでいずれはグループのメイン番組の制作会社に就職して……」と考えていた。

 しかし、仕事があまりにもキツく、このままじゃ結婚できないと思って、辞めた。




 現場でいかにいい席を獲得するかも、重要だった。

 ディ〇ニーでのライブチケットを無事に入手すると、前日から園内ホテルを確保し、リハーサルの様子をチェック。

 推しのベストポジションを獲得するため、午前0時から午後7時の入園まで並んだ。

 推しが目の前に来たときは、必ず号泣していた。


 かけたお金も相当なものだった。

 コンサートグッズ全て購入は当然のこと。遠征費にかけた額が、年間で7桁に到達することもあった。

 あのお金があったら……と思うことはあるけれど、なぜか後悔はない。


 あるとき、友人との待ち合わせ前に立ち寄った中古ショップで、グループが5周年記念に出した限定100枚のCDを偶然見かけた。

 買うことを即決できず、とりあえず友人と合流した。

 友人に打ち明けると、「あとで絶対後悔するから買え」と言われ、飲み屋を飛び出して買いに行った。

 CDの値段は10万円。

 私もバカだが、友人もバカである。




 当然、推し仲間もいた。

 ただし、これほどクセの強いファンなので、気の合う仲間は数えるほどしかいなかった。

 なぜか同担(同じ推しを推してるファン)とばかり気が合った。

 やはり私の推しを推す人はちょっと狂った人が多いのだろう。


 コンサート前日にうちわ作りに励み、寝坊して飛行機に乗り遅れたり。

 夜行バスで酒が進んで、尿意に耐えきれずバスを停めたり。

 飽きるほど見たはずのDVDを何度も見ては、同じシーンを100回巻き戻したり。

 深夜に突然始まるイントロドンや、推ししりとり、東京フレ〇ドパーク風推しクイズ……etc

 本当にくだらない時間だったけど、仲間がいたから、ずっと楽しく推しを追っかけられたと心から思う。

 特に、20代になってから一緒にライブを巡った推し仲間は、今でもマブ。

 遠距離になっても時々集合し、なんでも語り合えるズッ友である。





 いま思えば、推しを応援する気持ち、グループを応援する気持ちには、前向きなものしかなかった。

 いわゆるアンチのような人や、叩くことで愛情を表現する人たちもたくさんいたけれど、私はただただ推しやグループのやることを全肯定するタイプだった。


 それも当然だった。

 私は人生の3分の2以上を、「推しこそNo.1」で過ごしてきたのだ。

 私からすれば、家族の次に長い時間成長を見てきた相手である。簡単に否定などできない。

 だから、彼氏だろうが、夫だろうが、推しに勝てるはずがないのだ。


 それに私の推しは、メンバーの誰よりもグループのことを大事に思っていた。

 推しが愛するものを大切に想うのは、当然のことだ。否定なんてするはずがない。




 推しに惜しみなく金を注ぐ残念オタクだったが、幸運にも結婚にこぎつける。

 「推しがNo.1」であることを理解してくれる懐の広い旦那である。

 私にはその感覚がまったく理解できない。


 その頃、グループが突然の休止を発表した。

 職場でネットニュースを見て号泣した私。心配(ドン引き)した先輩が「今日はもう帰んな」と言ってくれた。

 帰りの電車でも、こらえきれずに泣いた。

 帰宅後の旦那にも、すがりついて泣いた。


 きっと推しは今後も個人の仕事を続けるだろうから、活躍を見続けることはできる。

 それでも、推しが愛したグループが休止してしまうことが苦しくて。

 それ以上に、グループ休止を推しがどんな気持ちで受け止めたのかと考えると、本当に本当に胸が痛くて。

 いまでも、当時のことを思い出すだけで、泣いてしまいそうになる。


 それから間もなくして私は、第一子を妊娠する。

 なんと予定日は、推しの誕生日。ここまで来ると呪いだろうかと感じる。

 その数か月後、推しが結婚を発表する。

 とうとう来る日が来てしまったと、思った。

 でも、「推しらしいな」とも思った。

 好きなことや気持ちを貫き通す。推しのそういうところも、私は好きだったから。


 ただ、休止前に結婚を発表したことで、推しはファンにすら叩かれていた。

 そんな推しを見ていられず、私は早々に推しの結婚という現実を受け入れた。

 そして、予定日の1日前に産まれた我が子に、推しの名前を付けた。

 ここがこのエッセイの一番のハイライト(もっとも闇深いともいえる)である。




 それからまもなくして、グループは休止。

 最初の1年は喪失感で消えてしまいそうだったけど、その状況にもだんだん慣れてきた。


 休止後も、推しは活動の幅を広げに広げ、ドラマや映画の仕事も順調に続けている。

 以前のように、テレビ番組を追いかけることもなくなったけど、頑張っている姿を見かけると嬉しくなる。

 推しが褒められていると誇らしいし、推しがけなされていると「気にすんな! 次、次!」って思う。


 グループ休止後はファンクラブも辞めてしまったが、推しがファンミーティングをするとの噂を聞き、また加入してしまった。

 きっと、会えばまた泣いてしまうだろう。家族に内緒で、コッソリ行こうと思う。

 私の夢は、還暦を迎えた推しのディナーショーに参加することである。

 夢に一歩、近づいた。




 推しが結婚しても、子どもができても、やっぱり私にとって推しは永遠に『アイドル』だった。

 私の憧れのその先にいる人。

 追いかけるその先にいる人。

 推しが居たから、いまのわたしがある。

 推し活を生きがいとし、推しを養分として取り込んだ結果、いまのわたしがある。

 つまり、わたしを育ててくれた人―――そう、わたしにとって推しは乳母のようなものなのだ。

 これほどまでに他人の人生に影響を及ぼすなんて、『アイドル』ってすごい。

 推しは、わたしのことなんて知らないのに。


 でも、それでいいの。

 推しがずっと『アイドル』で居続けてくれることが、私にとっての誇りであり、私の人生。

 彼がいつか芸能界を引退したとき、私の推し活人生はようやく終わるのだと思う。








 以上が、どうしようもないアイドルオタクが推し活で経済を回していた話である。


 こんなどうしようもない推し活人生だったけれど。

 「一番の青春時代は?」と聞かれれば、「推しを追っかけてたこと」と真っ先に答えるだろう。

 部活も恋愛も勉強もそれなりに頑張ってきたのに、結局一番楽しかったのは、推しを追っかけていた時代だった。


 推しと同じ名前の、推しよりも大切な存在ができたいまとなっては、当時のような情熱を推しに向けることはできないだろう。

 それでも、推しが生きている限り。

 推しの幸福をよろこび、推しの挑戦を応援し続ける―――そんなファンであり続けたいと、思っている。




 蛇足ではあるが、私が小説を書き始めたのは推しがきっかけだった。

 いわゆる、妄想小説である。

 なぜか人気が出て、1日に1万PVを叩きだしたこともあった。

 カクヨムの小説のPV数を考えると、大変恐ろしい数字である。


 この経験があったから、私はいま、ここで小説を書いている。

 すべては推しに繋がり、すべては推しから始まっている―――

 言葉にするとなんだかコワイので、このへんで終わります。






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